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Vol.1|共感・共鳴が、SUBARUを支える「絆」になる。

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  • 井野岡 大

    井野岡 大DAI INOOKA
    株式会社SUBARU
    人事部 担当部長

    1999年、株式会社SUBARUに入社。販売店への出向、群馬県の生産拠点での生産管理担当を経て、アメリカ・インディアナ州のラファイエット工場へ赴任。北米における同社の劇的な成長を牽引した。帰国後は、北中米市場に向けたアフターパーツの営業職を経て、2016年から社長秘書に。当時、社長を務めていた吉永泰之氏の薫陶を受けた。現在は、人事部担当部長として、同社の人事制度・人財育成・企業文化の変革に挑んでいる。

  • 林 幸弘

    林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
    株式会社リンクアンドモチベーション
    モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
    「THE MEANING OF WORK」編集長

    早稲田大学政治経済学部卒業。2004年、株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに従事。経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。

中期経営ビジョン「STEP」を起点に、企業変革に取り組んでいるSUBARU。その中核を担うのが、人事制度・人財育成・企業文化の変革プロジェクトだ。第1回は、同プロジェクトを牽引する、人事部担当部長・井野岡大氏のキャリアに迫り、同社の強み・価値に焦点を当てた。

SUBARUブランドを通じたお客様との「共感・共鳴」を。

SUBARUブランドを通じたお客様との「共感・共鳴」を。
林 幸弘

まずは、井野岡さんが歩んできたキャリアについて伺いたいと思います。販売店でのセールスからキャリアをスタートされたそうですね。

井野岡 大
井野岡

SUBARUには、販売店出向制度があり、私たち事務系の従業員は、現場に販売実習に行くことが決まっています。出向のタイミングは入社年によって異なりますが、現場でお客様の視点を感じることを必須にしているんです。私が出向したのは、兵庫スバル自動車(株)。お客様の数も、販売数もトップという中心拠点でした。

林 幸弘

お客様とのつながりを感じる、象徴的なエピソードはありますか?

井野岡 大
井野岡

特に印象に残っているのは、私と同じく、出向で関西にいらっしゃっていたお客様ですね。当時の上司や先輩からは、「クルマは家の次に大きな買い物。クルマのことを話しても仕方がない。2時間、お客様と雑談できれば一人前だ」と常々言われていました。お客様といろいろなお話をさせていただき、お互いに通じ合う部分が多かったこともあり、セールスを超えたお付き合いをさせていただいたんです。「あなたが担当だから買うんだよ」と言ってくださった時は、本当にうれしかったですよ。しかも、そのお客様からは「地元に帰るタイミングで、もう1台、井野岡さんから買うよ」と言ってくださっていたのですが、本当に買っていただけましてね。兵庫から四国まで納車に伺ったのは、本当にいい思い出です。出向先から本来の業務に戻った後も関係は続き、メールでクルマの相談を受けたり、お互いに遊びに行ったりもしましたね。

林 幸弘

人生の1ページどころか、数ページにわたるお付き合いになったわけですね。そうした「つながりの強さ」は、SUBARUならではのものだと思います。

井野岡 大
井野岡

お客様とブランド。お客様と販売店。お客様と一人ひとりの人財。ビジネスや自動車にとどまらない「つながり」に、魅力を感じていただいていることは間違いないと思います。他メーカーさんよりも、そうした意識を強く持っているのではないでしょうか。いずれにしても、SUBARUブランドを通じて、お客様と共感・共鳴した経験は、その後のキャリアを左右する貴重なものであったと思います。

あこがれの地・アメリカへ。躍進のインパクトを体感する。

あこがれの地・アメリカへ。躍進のインパクトを体感する。
林 幸弘

販売店での実習を終えられた後は、群馬の工場に配属されたそうですね。そこでは、どのようなお仕事を経験されたのでしょうか。

井野岡 大
井野岡

生産管理担当として、自動車の開発をコーディネートしていく役割を任されました。例えば、試作を行う際に、部品手配やスケジュール管理などを行うといった形ですね。そして、ここで経験した業務が次のアメリカへの赴任につながっていくことになります。配属されて1週間くらいのタイミングで、上司と面談する機会があったのですが、「この仕事と同じポジションがアメリカの工場にある。今、赴任している人はいずれ帰国するので、アメリカ行きに興味はあるか?」と聞かれたんです。私自身、ずっとアメリカの工場で働きたいと思っていたので、即答でした。「行きます!」って。

林 幸弘

アメリカの工場で、とのことですが、そう願っていた理由は何だったのですか?

井野岡 大
井野岡

高校時代に、自治体が行っていた人材交流でホームステイを受け入れたことがあり、その関係でアメリカに旅行に行った際、インディアナ州にあるSUBARUの工場を見学したことがあったんです。その時の光景がとにかく鮮烈でしてね。本当に感覚的な理由なのですが、「いつか、ここで働くんだ」と胸を高鳴らせたことを覚えています。だから、というわけではないですが、群馬での2年間は死に物狂いで修行していましたよ(笑)。

林 幸弘

夢がかなったわけですね。当時のアメリカ市場はどのような感じでしたか?

井野岡 大
井野岡

販売台数で言うと、25万台前後ですかね。「レガシィ」もそれなりに売れていた気がします。ただ、赴任して2年経つと、状況はかなり厳しくなっていました。日本をベースにしたデザインやプロモーションが限界を迎えていたんです。当時は、生産ラインのピッチタイムを落とせるところまで落とし、現地社員の雇用を継続しつつ、なんとか稼働させていました。SUBARUに対する従業員の想いや期待はとても強かったですし、会社もそこに応えたいと考えていた。だから、痛みを伴うようなことはギリギリまでしなかったんですよ。

林 幸弘

そうした厳しい状況を乗り越えて、SUBARUはアメリカで躍進していくことになります。

井野岡 大
井野岡

きっかけは、2008年から始まった現地販売会社SOA(SUBARU OF AMERICA)の「LOVEキャンペーン」ですね。これは、SUBARUオーナーに自分のクルマやSUBARUに対するコメントをもらうと、さまざまな表現で「LOVE」という共通語が登場することから始まった、マーケティングキャンペーンでした。家族を守る。パートナーと特別な体験をする。人生を豊かにする……。より広義で、深い愛を基軸にしたマーケティングは、社会的に大きなトレンドへと進化していったのです。私はこのキャンペーンに関わってはいませんが、その影響力は身をもって感じていました。それまでどうやって生産ラインを稼働しつづけられるかに苦慮していた日々から、1台でも多くつくられるよう工夫する日々へと変わっていった。躍進のインパクトを肌で感じていましたね。逆立ちしても何も出ない。それくらい、つくらされましたからね(笑)。

企業としてのSUBARUに向き合う。

企業としてのSUBARUに向き合う。
林 幸弘

帰国後も北中南米向けアフターパーツの営業を担当するなど、アメリカにおける躍進を牽引した後、井野岡さんは社長秘書を務めることになります。その経験が自身の大きなパラダイム転換になったそうですね。

井野岡 大
井野岡

トップである社長がどのように企業経営に向き合っているのか。それを肌で感じたことで、企業としてのSUBARUへの向き合い方をあらためて見直すことになりました。私自身、SUBARUという会社は好きでしたが、それ以前は、その存在について深く考えることはなかったように思います。キャリアの節目に、「販売店の熱意に私たちは支えられているんだ」「一人ひとりの技術がSUBARUの価値につながっているんだ」といった気づきを得ることはありましたが、常にそうした視野を持っていたわけではありませんでしたからね。

林 幸弘

視野・視界が広がったということでしょうか。その中でも、特に大きな気づき、発見のようなものがあれば、お聞かせください。

井野岡 大
井野岡

SUBARUに関わってくださる方がどれほど多いのか。自動車産業の裾野の広さですね。当時の社長・吉永さんと一緒に、とにかくいろいろな場所へ行き、多くの方に出会う中で実感したことでした。一人ひとりの従業員、販売店、お客様、株主の皆様、関連企業・グループ企業の方々……。皆さんのSUBARUへの想いや、仕事に対するプライドなどを直接聞くことで、その重さを知ることができたと思っています。

林 幸弘

特に印象に残っているエピソードはありますか?

井野岡 大
井野岡

どれも忘れられない経験ばかりですが、中でも頭に焼きついているのが、北米で行われた「ディーラー大会」ですね。SUBARUが出資している日本の販売店とは違い、アメリカの販売店は独立系企業でしたから、「もう売りたくないよ」と言われれば、それまでなんです。にもかかわらず、アメリカの「ディーラー大会」の熱量は、言葉では表現できないほどすごい。SUBARUへの期待や、自らの仕事に対する誇りといったものを強く感じることができるんです。しかも、その大会では、クルマを何台売ったとか、そんな話はほとんどしない。現在、「The Subaru Love Promise」という慈善活動を販売店独自に行っているのですが、その成果を讃え合うのです。ペットを愛そう。地球を愛そう。教育について考えよう。SUBARUへの共感・愛を起点にした「LOVEキャンペーン」は、もはや異次元の活動に昇華したと言えるでしょうね。

企業の宝は人。次は、人事だ。

企業の宝は人。次は、人事だ。
林 幸弘

私も吉永さんにインタビューさせていただいたことがありますが、経営者のすごみのようなものを感じさせられたことを覚えています。そうした方と直に接したからこそ、学べることは多いと思います。

井野岡 大
井野岡

そうですね。中でも忘れられないのが「吉永さんの時代はよかったね、とだけは言われたくない」という言葉です。2015年度の決算で最高益を記録した時、確かにいろいろなステークホルダーは幸せな気持ちになりました。けれど、本当に大切なのは、一瞬だけ輝くことではなく、みんなが幸せな状況を長く続けることだと言うのです。これを次の世代にお願いしたいと何度も言われましたね。幸せを継続していくためには、何よりも企業ブランドが大事。お客様にどのような価値を届けるのか。そして、それをお客様にどう感じ取っていただくのか。単発の商品にこだわらず、どうすればブランド力が高まるかに注力してきたのが、この10年であったと思っています。

林 幸弘

販売店時代のご経験も、北米の「ディーラー大会」のお話もそうですが、共感・共鳴を呼ぶブランドの力を感じますね。そうした中で、井野岡さんは人事というキャリアを選択するわけですが、その背景にはどのような想いがあったのでしょうか。

井野岡 大
井野岡

自動車業界は、「CASE(※)」と呼ばれる新たな潮流が押し寄せ、100年に一度の大変革時代を迎えています。そうした予測のつかない状況において、企業の宝とは何か。それは、やはり「人」なんですよ。これからは、もっと人に向き合っていかないといけない。吉永さんとも何度もその話をしましたし、私自身、それが私のやるべきことだと思うようにもなっていました。社長秘書は、一般の業務からいきなりすっぱ抜かれるので、社長もそれなりに「その後」を気にしてくれるんですよ。一緒に飲みに行くたびに、「井野岡さんは、次、何をやりたいの?」なんて聞かれて。だから、社長と一緒に決めた形ですかね。それが、私への期待であり、使命だとも思っています。

※CASE:Connected(コネクティッド)、Autonomous(自動運転)、Shared/Service(シェアリング)、Electric(電動化)の頭文字を取った造語。

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