「7分間の奇跡」を実現する新幹線劇場誕生秘話
-
矢部 輝夫Teruo Yabe
合同会社おもてなし創造カンパニー 代表1966年日本国有鉄道入社。電車や乗客の安全対策を専門として40年勤務。2005年鉄道整備株式会社(現株式会社JR東日本テクノハートTESSEI)取締役経営企画部長に就任。新幹線の清掃会社を「トータルサービス」の考えを定着させることでおもてなし集団へと変革。専務取締役、おもてなし創造部長など経て、2015年退職。合同会社おもてなし創造カンパニーを設立し代表に就任。
意味のあふれる社会を実現する。「THE MEANING OF WORK」、1回目の情報発信で取り上げたいテーマとして真っ先に、テッセイ(株式会社JR東日本テクノハートTESSEI)が浮かんだ。2012年頃から注目され、海外メディアが、1車両7分間という驚異的な速さで清掃している様子に注目し、「新幹線劇場」と絶賛。ハーバード大学経営大学院で教材化。「奇跡の職場」として日本社会にも情報発信された。その誕生秘話を追った。
「清掃の時間」ではなく「新幹線劇場のショータイム」
「自分たちは見られていない」と感じてしまっていた現場
私は2005年にJR東日本から鉄道整備会社の経営企画部長に就任しました。当時は従業員の定着率も低く、事故や怪我も多く発生していて、正直JR東日本にいた頃からあまりいい話を聞かない会社でした。不安な気持ちで、現場に行ったことを覚えています。
まずは1ヶ月、見習いとして現場に行きました。そこで驚いたのは、想像以上におばちゃんやおじちゃんたちが、一生懸命仕事をしていたということ。イメージと全然違いました。真面目にお客さまのことを考えていて、仕事に真摯な人が多い。どうして、定着率が低かったり、クレームが発生してしまったりしているのだろう、と不思議に思いました。
1ヶ月、いろいろな人と仕事をし、その打ち上げの飲み会の場がありました。その時に、1人の熟練の女性スタッフが私に言いました。
「矢部さん、本社はね、何も知らないんだから」
なるほど、と思いました。実態はどうあれ、現場の人たちは本社や会社から「見られていない」「何も知らない」と思われているんだな、と。
確かに、上意下達の指示系統になっていて、会社と現場の距離が離れている状態でした。
仕事をリフレーミングする
私は現場での1ヶ月で感じたことをレポートにまとめ、経営会議で提案し、変革をスタートさせました。私が最初に考えたことは、閉ざしてしまった皆の気持ちを、どうすれば開くことができるか、ということでした。パートさんや社員さんの研修で集まった際に、私は必ず伝えるようにしました。
「皆さんは、お掃除の世界という暗い場所で働いていると思っているかもしれないが、それは間違いだ」
「JR東日本の新幹線は、皆さんの掃除がないと動けない。皆さんはJR東日本の新幹線を、お掃除というメンテナンスで支えている技術者なんだ」
まるでアニメか何かで、主人公の目がキラっと光るように、働く人の目が変わるのを感じました。よし、という手応えがありました。「見られていない」と思っていた自分たちの仕事に光があたる感覚だったと思います。心が開きはじめました。そこから、ES(従業員満足)に繋がるような施策を次々と始めていったのです。
様々な施策を進める中で、ある女性の従業員が「私たちの仕事場は劇場です」と発表したのです。「お客さまが主役、私たちは脇役。新幹線劇場というステージの上で、お客さまと私たちが一緒になって素晴らしいシーンをつくっていこう」と。これは本当にびっくりしました。私の発想では絶対に浮かばなかった言葉です。従業員からこの言葉が出てきたということが大きかったと思います。いわゆる「リフレーミング」が行われたのだと思います。「清掃の時間」ではなく「新幹線劇場のショータイム」というふうに自分の仕事が再定義された瞬間でした。
どんな手を使ってでも「お掃除屋さん」と思わせない
その後私がしたことは、とにかく「自分はお掃除屋さんなんだ、と思わせないこと」です。どんな手を使ってもいいから、お掃除屋さんとは思わせないようにしようと思っていました。
その一つが制服です。それまではお掃除の制服しか着てこなかったところに、レストラン業界やエンターテインメント業界など、ありとあらゆる制服のカタログを取り寄せました。時にアロハシャツを着たり、サンタクロースの格好をしたり。服装が変わることによって、人の意識は変わります。「お掃除屋さん」ではなくて「新幹線劇場の一員」だと思ってもらうために、徹底しました。
ある時、62歳の女性が制服を家に持って帰ったらしいんです。それをお孫さんの前で着たら「おばあちゃん、素敵!似合ってる!かっこいい!」って言ってくれたと、顔をくしゃくしゃにして私に伝えてくれたんです。ほんとに嬉しかったですね。すぐに広報に伝えて、社内に発信しました。そういうエピソードを逃さず、みんなに伝えることも大事だと思っていました。
ちなみに、制服については従業員からのリクエストを広く求めていたのですが、一度高齢の女性従業員から「レディー・ガガ」のような衣装で「レディー・ババ」というのをやりたいと言われた時は、残念ながら見送らせて頂きました(笑)。
お客さまや仲間が、自分を見てくれている
また、「エンジェルリポート」という施策も実施しました。大体1チームが20名ほどで動いているのですが、その中に1人、エンジェルリポーターを指名するのです。エンジェルリポーターには、仕事をしながら、見たこと聞いたことをどんどん会社にリポートしてください、と伝えます。ルールとして決めたのは「いいことだけ」リポートしてください、ということです。悪いことはリポートしなくていいんです。私が目指したのは、「誰かが見てくれている」という気持ちを生み出すこと。それは、「誰かに監視されている」という疑心暗鬼とは、全く逆の気持ちです。ですので、「いいことだけ」リポートするというルールにしました。また、「いいこと」の基準を設けませんでした。あなたが「いい」と思ったことをリポートしてください、と伝えました。基準を設けると、「何が良くて何がダメか」という線引きが難しく、混乱すると考えたからです。エンジェルリポーターに基準を任せ、とにかくたくさんの「いいこと」が発見されることを目指しました。
「〇〇さんは、いつも少し早めに出勤して、みんなが仕事をしやすいように、道具を並べ替えてくれている」
「〇〇さんは、まだ入社3ヶ月なのに本当に一生懸命で、みんなの刺激になっている」
というようなリポートが集まりはじめました。印象的なリポートを抜粋して、皆さんに配布しました。「自分のことが書かれている」「あなた、書かれているね」というコミュニケーションが生まれていきました。最初は年間で約400件、それが6年ほど前には、年間1万件を超えるリポートが集まるようになりました。
今でもよく企業の経営層の人が、私に相談される時に「うちの会社は褒めることができていない」と話されます。その時に「経営層や管理職が褒めるという前提になっていませんか」とお伝えします。経営層や管理職が褒めるということはとても大切ですが、絶対に限界があります。目の届かないところで頑張っている人がいて、その頑張りは一緒に働く従業員が必ず見ています。なので、従業員同士が認め合い、褒め合うということが大切で、それがチームワークを強固にし、絆を生んでいくのだと思います。
「基準をつくらない」ということも大切でした。当時、ある会社がエンジェルリポートの施策をうちの会社でも実施すると言ってくれて、実行したらしいのですが、うまくいかなかった。それは基準をつくってしまったからです。「こんな場合は500円」みたいな基準をつくったことで、逆に現場から不満が噴出してしまったそうです。「不公平だ」「えこひいきだ」と言って。つい基準をつくりたくなるんです。精緻に整えたくなる。でも、あまりルールを緻密につくろうとし過ぎると、うまくいきません。「認めてくれている」という感情を生み出す、という目的を考えれば、「いいことだけ」「基準はリポーターに任せる」という仕組みが最適だったと思います。
ハーバード大学が7-Minutes Miracleに注目した理由
ハーバード大学からの電話
2010年頃、私宛に電話がありました。「ハーバードの〇〇と申しますが、矢部さんはいらっしゃいますか」というような電話でして、最初は保険屋さんからの電話かと勘違いしていました(笑)。よくよく聞くと、ハーバード大学が取り組みについて話を聞かせてほしい、ということで、驚きましたね。その前から鉄道業界では、注目をされていて、ヨーロッパにある国際鉄道連合から20数名の方が視察に訪れたりしていたんです。なぜ、仕事もタフで高齢者も多い現場で、こんなにも質の高いサービスが提供できるのか、と驚いていました。国際鉄道連合がつくったレポートを、アメリカのCNNが見つけて、CNNの取材が世界に発信され、ハーバード大学から取材の依頼が来た、という経緯です。
当時、リーマンショックが起きた後でした。世界中がマネジメントの在り方について、改めて模索している中で、当時の私たちの取り組みが注目されたのだと思います。組織をピラミッド構造で捉えた時に、トップのマネジメントや効率的なコントロールについて、多くの議論が交わされていた。でも、ピラミッドを構成する第一線のスタッフの仕事にどう光をあてていくのか、ということをアカデミックの世界の人たちがいろいろと模索していた頃だったのだと思います。そういう意味で、私たちが取り上げられました。
日本企業の伝統的な風土が生み出すイノベーション
私たちが新幹線劇場という形で、現場の人たちが輝くような施策を実現できた土台には、やはり日本企業の伝統的な風土があると思います。終身雇用や年功序列という仕組みは、今の時代にそぐわないとよく言われますが、やっぱりそういうシステムによって、育まれていた風土はあると思います。時間をかけて一つの仕事に取り組み、育っていく。チームの中で人と人の絆がつくられていく。和を重んじ、認め合い、高めあっていくという風土が、私たちの挑戦的な取り組みの土台にあったと思います。
そして私たちの組織は、高齢者の多い組織でした。高齢者の活用がよく課題として挙げられますが、私があの頃実感したのは、「高齢者はまだまだ元気」、ということでした。70歳を越える人もいましたけれど、元気に仕事をしてくれる。イノベーションという言葉は、「全く新しい発想を生み出す」ように捉えられがちですが、私は「温故知新」だと思っています。シリコンバレーで若者が生み出す発想もイノベーションですが、東京駅で高齢者のチームが日々の仕事に工夫を加えることもイノベーションなんです。新しい切り口で自分たちの仕事を捉え直し、挑戦をしていく。「温故」という意味では、古い組織の方が、いろんな知恵が眠っているわけです。古さに辟易するのではなくて、「歴史がある」「ノウハウがある」ことに希望を見出して、小さな発見を続けることが大切だと思います。
組織を変えるために大切なこと
これまでも色んなところで「新幹線劇場」「7分間の奇跡」の話をしてきて、経営者の方や、人事部の方が、ありがたいことに感銘を受けて、施策を真似して実施してくれます。それはとても嬉しいことなのですが、多くの方が挫折をされます。それはなぜか。きっと、私たちがやった施策の表面をなぞっているからなのだと思います。「仕事をリフレーミングして捉え直す」「制服を変えて意識を変える」「エンジェルリポートで認め合う文化をつくる」など、耳障りのいい言葉ではありますが、実際にはいかに「徹底するか」が大切です。組織変革に特効薬のようなものはなくて、いかに現場で毎日毎日徹底するかに懸かっています。
うまくいかなかった経営者の方からは、「新しい施策に挑戦しようとしても、自分たちは○○屋だから、そんなことまでする必要がない、と言われてしまう」というお話を聞いたりします。いや、私たちもそうでしたよ、と伝えます。どんなに「新幹線劇場」と言い続けても、簡単に意識が変わるものではありません。それでも、なんとしてでも、「お掃除屋さん」だという意識を変えたいという一心で、様々な施策に取り組んできました。変わることは簡単ではなくて、「少し表情が変わった」「意見が挙がってくるようになった」という兆しを逃さずに、スポットライトを当てて、共有して、の繰り返しです。簡単には変わらない、けれどいつか必ず変わる。それを信じてやりきるしかないと思います。
もう一つ大切なことは、すべての人を変えるなんてできない、と割り切ることだと思います。横一線ですべての人のモチベーションを上げて、組織がモチベーションの高い人で満ちるなんて、不可能だと思っています。停滞した組織で、最初に変化を遂げられる人は、5%程度だと思います。いかにそういう人を見つけて、その人達をリーダーとして育てるかが大事です。えこひいきとかそういうことではなくて、それが戦略であり、戦略人事ということではないでしょうか。時間もお金も限られた中で、どう成果を出していくか。目を凝らして組織の中を観察し、光を放つ可能性がある人達を見つける。その人達に重点的に投資をして、変革のリーダーになってもらう。リーダーたちが各現場で奮闘して、フォロワーを変えていく。そんな順番だと思います。
制服を変えることにも、エンジェルリポートにも、その他様々な施策にも、ネガティブな意見を言う人はたくさんいました。でも、共感してワクワクしてくれる人もいた。だったら、ネガティブな意見に引っ張られるよりも、少数だとしても変わろうとする人と一緒に前に進むほうがいい。反対勢力にどう対応したのか、とよく聞かれますが、「放っておく」です。変化を起こそうとする人への注目をとにかくつくって、一人ずつ一人ずつ、意識を変えていく。いつか、その人数が一定数を超えた時に、組織の文化は変わります。人は感化される生き物で、環境に大きく影響を受けます。マイノリティーがマジョリティーに変われば、ずっと文句を言っていた人も、自分を変えるか、組織を去ります。それでいいのだと思います。
「THE MEANING OF WORK」
日常の仕事の奥にある、仕事の意義を捉え直すことで、そこに誇りが生まれる。
誇りを持った瞬間に、新しい人生の意味が生まれる。