Loading...

Internet Explorer (IE) での当サイトのご利用は動作保証対象外となります。以下、動作環境として推奨しているブラウザをご利用ください。
Microsoft Edge / Google Chrome / Mozilla Firefox

close
menu
“セコム道” 未知への出航

Vol.1|“セコム道” 未知への出航

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有
  • 大井 新

    大井 新SHIN OI
    セコム株式会社
    会長付担当部長 会長秘書

    1994年入社。警備の最前線で約6年、1999年からグループ本社(法務部、総務部、現状打破本部)で約6年、2006年から上場子会社へ出向(人事総務部、管理本部、企画部門)で約6年、2012年からグループ本社に戻り、経営トップの近くで、次世代ショールームの企画・運営マネージャー、営業系プロジェクトリーダー等を経験。2016年から社長秘書、2019年から現職。理念浸透活動“Tri-ion”(トリオン)のリーダーも担う。

  • 林 幸弘

    林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
    株式会社リンクアンドモチベーション
    モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
    「THE MEANING OF WORK」編集長

    早稲田大学政治経済学部卒業。2004年、株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに従事。経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。

「水と安全はタダ」ともいわれていなかった1962年、日本で初めて安全をビジネスにしたセコム。警備業という一大産業の礎を築き、「あらゆる不安のない社会の実現」という使命のもと、今や年間1兆円を超える安全・安心を社会へ届けている。社会に対する想いを原動力に進化を続けるセコムのTHE MEANING OF WORKについて、セコムの理念浸透活動の一翼を担っている会長秘書の大井新氏にお話を伺った。聞き手は、株式会社リンクアンドモチベーション モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員、「THE MEANING OF WORK」編集長を務める林幸弘。


創業の志 ~5つの条件~

創業の志 ~5つの条件~
林 幸弘

大井さん、よろしくお願いします。「安全」というビジネスを生み出し、一つの産業にまで育てたセコムさんには、「モチベーション」をビジネスにしている弊社もたくさんの学びをいただいています。大井さんがこれまでセコムという会社で感じてきた、そしてこれから描く「THE MEANING OF WORK」について、数回にわたってお話を伺いたいと思っています。

大井 新
大井

ありがとうございます。今回、縁あって機会をいただきましたので、これまでの経験を踏まえ、会社非公認(笑)というお断りの上で、私の考えるセコムという会社の意義について考えを深めてみます。よろしくお願いします。

林 幸弘

セコムといえば日本初の警備会社ですが、創業時の話を教えてください。

大井 新
大井

1962年に、当時29歳の現取締役最高顧問の飯田と、大学時代からの親友だった30歳の戸田が、日本警備保障として創業しました。そこに至るまでの話からご紹介します。 飯田は大学卒業後、実家の酒問屋で働いていました。父親の傍で「浮利を求めるな、まっとうな商売をしろ」「真似はされても真似するな、新しいことをしろ」など、後のセコムに大きな影響を与える哲学を学びながらも、3人の兄が働いていたことや売掛金回収に苦労していた経験から「独立したい!」という思いが高まっていました。一方の戸田も、旅行代理店等に勤めながら独立したいという気持ちをもっていました。 そんな二人は「一緒にデッカイことをやろう」といつも盛り上がっていたそうです。しかし、何かで絞らないと漠然とした思いつきで終わってしまうと考え、「何をやるか」を考える以前に、「どんな仕事がいいか」という条件を定めたのです。

それでは、5つの条件と共に、勘定以前に大切にした感情を私なりに考察してみます。

1.努力をすれば大きくなる仕事であること

充実感:儲けの額より質を重視し、努力を通じて大きな影響を及ぼしたい。“モノサシ<志”

2.誰もやっていない仕事であること

高揚感:世の中にない、新しい価値を生み出したい。“枠<ワクワク”

3.人から後ろ指を指されない仕事であること

正義感:胸を張って正々堂々とありたい。“バレなきゃいい<晴れやかに”

4.大義名分のある仕事であること

使命感:社会に役立つ存在でありたい。“略奪<役立つ”

5.前金も取れる仕事であること

納得感:自分の考え通りに挑んでみたい。“唯々諾々<イイダクダク(飯田が砕くの意)”

これらの条件をもって起業を探る中、海外旅行をしてきた友人の話でヨーロッパには警備専門の会社があることを知ります。飯田の心は震え、30分かからずに「これにしよう」「そうだな」と二人は決断したそうです。しかし、飯田が父親に独立を申し出ると、「電話帳に載っていない商売はダメだ。うまくいくわけがない。」と反対され続け、最後には勘当されてしまうのです。

林 幸弘

意外にも逆風の中の船出だったのですね。そんな中でも突き進んで行けた原動力は何だったと思いますか?

大井 新
大井

自分たちが大切にする価値観を明確にしていたからだと思います。創業時に二人が交わした「どうせだったら、どこにもない、いい会社を、きれいな会社を創ろう」という言葉からは、儲けよりも誇りを優先する意志が伝わってきます。誇りをもって働くための5つの条件を絶対に譲れないものとして掲げ、見えない未来を信じて後悔なき航海へ挑んでいったのです。

ここで質問です。あなたならどちらの船に乗りたいですか?(参照:図1)

A:希望という旗印のもと、誇りと共に理想を目指す船

儲けの質と革新性にこだわり、まっとうな手段で社会の利に貢献する、自由闊達な仲間たち

B:欲望という旗印のもと、保身と共に利益を目指す船

儲けの額と前例(成功体験)にこだわり、ズルしてでも私利を優先する、面従腹背の船員たち

あなたが乗りたい船は?
大井 新
大井

多くの方はAと答えるでしょうね。特に子どもたちに聞けばその確率はあがると思います。Bを選択する方は、現実はそんなに甘くないとか、利益がなきゃ理想もないとか、言いたいのだと思います。

林 幸弘

私も間違いなくAですね。Aの船でいう「誇り」とか「理想」ってどんなイメージですか?

大井 新
大井

誇りとは、人間の本性からしたら反対の行動へ流されやすい状況の中で、自分の信念に基づいた選択をしたときに感じる、自分への信頼とか満足のようなものです。また、理想については、理念と利益の両立だと考えています。ただし、車の両輪という関係性ではなく、理念が前輪で利益が後輪の自転車のイメージです。ハンドルとつながっている前輪は行先を左右し、ペダルとつながっている後輪は前へ進む動力になります。理念だけでは進まないし、利益だけでは目的地へたどり着けない、ということです。「理念が先、利益が後」が理想です。 この船の話のポイントは、一度乗り込めばそれで確定するものではない点です。いろんな誘惑が渦巻く大海原で、気が付くと人間の本性にある傲慢や怠惰などが、欲望の旗印に変えてしまうのです。だからこそ、希望の旗印を維持することはイージーではなく、人間の弱さと向き合い続けることで初めて強くなれるものであり、テクノロジーがいくら進化しても一朝一夕にはコピーできない競争力になるのだと考えています。

長い物には巻かれない ~理想と現実~

長い物には巻かれない ~理想と現実~
林 幸弘

草創期、理想を目指す中で、現実という荒波を乗り越えていった実例はありますか?

大井 新
大井

3つご紹介します。起業したばかり、1日でも早く、1件でも多く契約したい状況。そんな中でも、創業の志に関しては、一歩でも引いてしまうとズルズル崩れてしまうと考え、将来を見据え突き進んでいった話です。

創業時から、営業は知り合いに頼らず、3か月分前払いというハードルも設けていました。「君は世間知らずだ。そんな商売は続くはずがない」等と言われながら3か月経っても契約はゼロ。見込み先から「後払いなら契約する」という話もありましたが、独立のきっかけの1つである売掛という根拠不明な商慣習に流されずに、自分の思う通りに事業をしたいという信念を貫きました。初年度の決算は売上74,840円、契約は1件のみでした。

次は創業2年目の1963年、東京オリンピックの組織委員会から選手村の警備を依頼されました。宣伝効果も期待できる一方、10か月と短期間にもかかわらず多くの社員が必要となるため、飯田は考えました。しかし、「社会に役立つ」という大義から引き受けることにしました。ここでも国家事業だから後払いしかできないと言われましたが、粘り強く交渉を重ね、なんとか1か月分前払いで契約しました。

さらに、警備を始めると、無人のはずの敷地内で夜な夜な酒盛りをしている連中がいたり、ボヤ騒ぎが起きたり、前科13犯の不審者を捕まえた事案もありました。そこで、警備強化の必要性を報告書にまとめ組織委員会へ提出しましたが、認められませんでした。そんな中でも、飯田は見て見ぬふりはしませんでした。このまま選手村が焼失したら日本が世界からの信頼を損なうと考え、社員への負担増は覚悟のうえで警備を強化しました。その後、会期を無事故で乗り切ったことで組織委員会から感謝状を授与され信頼が高まったほか、準備段階からマスコミで紹介されたことも追い風になり、大企業との契約も決まり始めました。

最後に、オンラインのセキュリティシステム(以下、機械警備)に関わる経営判断の話です。 1964年、オリンピック直後に現在の機械警備の原型になる「遠方通報監視装置」の試作を始めます。まだコンピュータが電子計算機と呼ばれていた時代に、IoTの先駆けともいえる構想で、今でいうDXに着手したのです。その理由は3つ。

1.契約先が増えるといずれ何十万人という雇用が必要になること

2.人件費高騰に伴い価格も上がり、お客様が限定的になること

3.機械と人間の長所を活かすことで警備品質を高めると共に、機械に出来ることは機械に任せるという人間の尊厳に関する問題意識

です。前例のない構想だったため、電電公社からは法律を理由に回線の使用許可がなかなか下りず、国際警備連盟の会合では警備機器のレンタル方式について嘲笑されました。レンタル方式は、飯田が考え抜いた末、売却して資金回収を急ぎたいところ、バージョンアップや不具合時の対応などセキュリティ品質の観点と、初期費用を抑えた方が幅広いお客様が導入しやすくなるという点を優先して決めました。いわゆるサブスクですが、儲かるという理由ではなく、将来に目を向け、サービスをどう展開していきたいのか、海外の警備会社の真似をせずに、ゼロから考えたからこそ生まれた発想だと思います。

1966年、ようやく機械警備の販売を開始しますが、目論見とは裏腹に普及は進みませんでした。1969年、世を震撼させていた108号連続射殺魔の逮捕に貢献したことで機械警備の知名度があがり、国際警備連盟から金メダルも授与されました。そして迎えた1970年の全国責任者会議、飯田の発言に参加者は青ざめます。売上の8割を占めていた巡回警備を止めて、機械警備一本でいくと表明したのです。「うちの幹部が全員反対するくらいだから他社はやらないだろう」と、敢えて難路を選ぶ決断をしたそうです。意志をもって仕掛けた飯田には、機械警備が当たり前となった未来が見えていたように感じます。

初心忘るべからず ~ピンチの乗り越え方~

初心忘るべからず ~ピンチの乗り越え方~
林 幸弘

長い物に巻かれそうになりながらも、見えない未来を信じて乗り越えてこられたのですね。そんな草創期、何かピンチはありましたか?

大井 新
大井

1966年秋に、社員による窃盗が立て続けに発生したことです。マスコミに叩かれ、漫才のネタにされ、謝罪対応に明け暮れる日々。さすがに倒産も覚悟したそうです。飯田の反省は、規模の拡大に社員教育が追いついていなかったという自責的対応でした。そこで、仕事の意義や組織のあり方、理想の生き方について社員と膝詰で語り合う「社章を守る会」を開催、約2年をかけて全国を回ったのです。このときの飯田の願いは、「魔が差したときに自分の顔を思い浮かべて踏みとどまってくれ」というものでした。こうして「正しさの追求」や「現状打破の精神」など、現在の「セコムの理念」の中核ができあがり、組織が固まっていったそうです。

林 幸弘

まさに、THE MEANING OF WORK。自分たちの仕事の意味を深めあい、共有していったのですね。ルールや監視の強化ではなく、社員の心に寄り添った「社章を守る会」の対応は秀逸ですね。

大井 新
大井

犯罪の多くは、本人は悪い事と認識していながら手を染めてしまうのだと思います。心の弱さが関わってくる話で、単にルールを守れという号令では解決しません。(参照:図2)

初心忘るべからず ~ピンチの乗り越え方~
大井 新
大井

コンプライアンスやガバナンスなど、一見すると様々な整備が進んでいるように見えても、だますこと=偽装、ずるいこと=データ改ざん、おもねること=過剰接待など、残念ながら不祥事はあとを絶ちません。 犯罪やミスを早期発見する仕組みやルールもとても大事ですが、そもそも欲望に支配されないように、さらには誇りを堅持できるように、理念をベースに仲間との良いつながりを築いていくことが優先だと思います。 性悪説でルールや監視の強化だけが進むと、社員の気持ちが固まり組織は硬直化します。さらに、本来価値の生産に向けられるパワーが制限されるので、エラーは減ってもパフォーマンスは上がっていきません。 監査や制裁などの外発的動機づけのみに頼るマネジメントではなく、内発的動機づけに響くものだったからこそ、社員の考え方や行動が組織全体のそれとなり、揺るぎないカルチャーになっていったのだと思います。

善人の中にも悪意があり、悪人の中にも善意はあります。自分の中に、正義や誇りを持てなければ、様々なリスクに立ち向かう任務に就くことなんてできないし、目の前にある誘惑や欲望に流されやすくなります。だからこそ、共通の軸となる理念浸透が最重要テーマの1つになるのだと考えています。 セコムの運営憲法の中で、「セコムは成長しても、そこで働く社員が生き生きとして幸せでなければ、そんな成長は意味がないし、成長してはならないのである。」と謳っています。これは、社員の不幸の上に企業の繁栄はあってはならない、ということです。言行一致が信頼の大元なので、ここをしっかりと取り組むことで社内を信頼でつなぎ、社会から信頼される企業になっていきたいです。 帆の張り方を間違うとすごい勢いで目的地と真逆の方向に進んでいきかねません。変化の激しい状況だからこそ、外部環境を言い訳にせず、しっかりと目線を上げ目的地を見据え、自分たちの帆の張り方を意識して進んでいくことが重要なのだと思います。

最後に、飯田の執務室には、今も「初心不忘」(初心忘るべからず)の短冊が飾ってあります。これは、創業の志が吹っ飛びそうになった連続窃盗事件が起きた年の暮れに実家へ帰った際、勘当中の父親から「これを持っていけ」と渡されたものだそうです。

林 幸弘

まさに、荒波を乗り越えていく未知への出航ですね。創業した意味を求め続ける草創期のお話、ありがとうございました。次回も楽しみにしています。

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有

この記事が気に入ったら
フォローしよう!