
データサイエンスの力で
日本の経営を革新する。
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植松 良公YOSHIMASA UEMATSU
一橋大学 大学院ソーシャル・データサイエンス研究科 准教授一橋大学経済学部卒業。2007年、国際投信投資顧問(株)(現:三菱UFJアセットマネジメント)入社。2009年同退社後、2013年、一橋大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。統計数理研究所、南カリフォルニア大学、東北大学を経て、2023年より現職。専門は統計学。近年は、ビッグデータのための統計手法や理論の研究に力を入れている。
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林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
株式会社リンクアンドモチベーション
モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
「THE MEANING OF WORK」編集長
早稲田大学政治経済学部卒業。2004年、(株)リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに従事。経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。
データサイエンスが日本の経営を変える。一橋大学72年ぶりに新設されたソーシャル・データサイエンス学部・研究科とリンクアンドモチベーショングループとの共同プロジェクトは、その先駆けとなるチャレンジだ。同学部で教鞭を執る准教授の植松良公氏を招き、データサイエンスが経営にもたらすメリットを解き明かす。
ビッグデータから不変の真理を追究する。

――まずは、一橋大学の新学部であるソーシャル・データサイエンス学部・研究科について教えてください。
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植松
商学部・経済学部・法学部・社会学部の4学部で構成されていた一橋大学は、2023年度に新たな学部を創設しました。目指すのは「社会科学とデータサイエンスの融合」。ビッグデータの蓄積によるデータ環境の整備が進んだことと、ITのさらなる進化を背景に、一橋大学が強みとしている経営・経済・政治・社会などの理論とフィールドのデータを掛け合わせることで、新たな価値を生んでいこうとしています。 |
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林
リンクアンドモチベーションでは、社会科学・人文科学の知見を活用し、組織のエンゲージメントや個々のモチベーションについて探求していますが、現代においては「それが確かであるか」を示す科学的・客観的根拠が求められます。社会科学、データとテクノロジーの融合は、非常に興味深いテーマです。 |
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植松
私の専門は数理統計学・時系列分析ですが、データの種類が膨大なビッグデータのことを、「高次元のデータ」といいます。従来の分析モデルでは、例えば変数の数(次元)が数個程度であったものが100や200になっていく……。そうした状況では、従来の方法論は通用しません。そのためにも、データ分析の新たな方法論を開発し、「新しい統計学」を構築していく必要があると考えているんです。 |
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林
植松さんは、どのような経緯で現在の専門分野にたどり着いたのでしょうか。 |
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植松
実は、研究の道をまっすぐに進んできたわけではないんです。大学卒業後、金融機関に就職し、投資信託の運用業務を行っていましたが、そこで直面したのは、「サイエンスが思ったほど活かされていない」という現実でした。「もっとサイエンスに基づいた運用ができるのではないか」。そう感じた私は、大学院で学び直すことを決断しました。高度な知識を身につけ、実務に役立てていこうと考えたのです。そして、経済学やデータ分析、時系列分析を学ぶうちに、社会に戻るよりも研究の道に進もうという想いが強くなり、統計数理研究所や南カリフォルニア大学、東北大学での研究を経て、今に至っています。 |
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林
実践の場を経験したからこそ、実務に役立つ理論の研究に携わっているのですね。 |
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植松
統計学と言うからには、実際に使える成果を出さないと意味がありません。特に私個人としては、これまでの学術理論を確かめる「検証的なデータ分析」だけではなく、新たな学術理論の基礎となるような知見を発見するための「探索的なデータ分析」に力を入れていきたいと考えています。ミケランジェロは「どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ」という言葉を残していますが、スタンスはそれと同じです。膨大なビッグデータの中から、これまでにない新たな理論を見出す。それこそが、データサイエンスの真髄だと思っています。 |
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林
歴史上の科学者は、数学的な知識をもとに世の中の真理に挑み、解き明かしていきました。ニュートンなどはその象徴だと言えるかもしれません。熱いですね。 |
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植松
ありがとうございます。ニュートンがリンゴの自然落下を観測し、万有引力の発見に至ったのと同じように、ビッグデータの背景にあるメカニズムや不変の真理を探索してみたいものですね。 |
数学は国境をまたぐユニバーサル言語。

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林
2020年に公表された「人材版伊藤レポート」によって、経営を変えるのは人であること。そして、人を変えていくための公式が存在するはずだと、その要点が示されました。そこから人的資本経営の潮流が生まれ、人的経営が及ぼす「インパクトパス」を導き出すための回帰分析を行うことが、人事の世界に表れました。エンゲージメントの向上と業績・企業価値向上にどのような相関性があるのか。一般社団法人ピープルアナリティクス&HRテクノロジー協会が主催する「Digital HR Competition」などでは、数多くの取り組みが発表されています。 |
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植松
経営学は専門外ですが、エンゲージメントをはじめ、さまざまなデータを取得し、それをもとに分析を進めていく取り組みは、非常に大きな意味があると思っています。これまで、こうした分野でデータを取得・分析し、公式を見出そうとするタイプの研究はメジャーではありませんでした。積極的にデータを取り、有効活用することができれば、より良い経営につながる可能性は十分にあると思います。 |
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林
組織の経営や人のモチベーションを分析していくうえで、どのような難しさがあるとお感じですか。 |
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植松
最も難しいのはデータの特殊性です。キーファクターとなるデータは企業ごとに異なりますし、データを取る期間によっても変わってくるはずです。人は辞めたり、入ってきたりするものですから。さらには、サンプルサイズの問題です。ある程度のサンプルサイズがないと、統計学的に信頼のある結果は得られません。一企業の分析となると、スモールサンプルになりがちですし、経営や各企業の内部状況は背景にある経済・景気にも影響されます。データの複雑性を理解し、どれが会社特有のデータで、何をコントロールすればいいのか。その難しさの部分が醍醐味なのかもしれませんね。 |
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林
そうですね。一方で、こうした分析結果をどう受け止めるかというのも重要なポイントです。なんとなく経営陣の直感と合えば、「そうなんです」となっても、そこで導き出されたヒントや知見がピンとこないものであると、懐疑的になってしまうことが多い。 |
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植松
探索の結果、「こういうことが経営を良くする可能性があるよ」と言われても、納得感がない。ありがちなケースですね。そのためにも、やはり、コミュニケーション力が重要になるのだと思います。一般的にコミュ力は勉強とは違うものだとされがちですが、実はそうではないと私は考えます。数学はあらゆる科学を記述する国境をまたいだユニバーサルな言語であり、データサイエンスは客観性を担保しつつ、身の周りにあふれる情報を解釈可能な特徴量に縮約し、大規模なデータからは新たな知見を見出し、それらをもって意思疎通を強力に支援するものだと考えています。 |
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林
定性的に感じていたものに客観的な指標が加わることによって、大きな意思疎通が生まれる。データサイエンスに対するリテラシーが、納得感を生むコミュニケーションにつながっていくのかもしれません。 |
企業×アカデミア理論と実践からの創造。

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林
一橋大学ソーシャル・データサイエンス学部・研究科とリンクアンドモチベーションは「経営戦略と人材戦略の連動に向けたデータの利活用」の加速を目指し、共同プロジェクトをスタートさせています。延べ11,360社、約403万人の組織診断のデータベースをはじめ、日本最大級の組織・人事に関するデータベースを保有する私たちと、SDSの専門的知見を掛け合わせた「DX・データサイエンスの実践」を推進し、組織変革プロジェクトに参画していただくことで、私たちは、自社における「データサイエンス」のレベル向上を、SDSの学生には「実践経験」を提供する。大きな可能性に満ちたプロジェクトだと思っています。 |
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植松
博士課程で学ぶ学生たちにとって、理論を飛び出し、実践の場を経験できることは貴重な機会だと思っています。アカデミアと企業はどう考えても交流したほうがいいのに、その間にある壁はまだまだ大きいですからね。 |
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林
SDSの専門性を備えた優秀な人材との交流は、私たちにとっても大きなメリットがあります。 |
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植松
他方、博士課程の学生たちのリアルに目を向けてみると、収入面で苦労していることが多いんです。非常勤講師の報酬は少なく、某有名私学では1つの講義を行うのに報酬は月3万円程度。実際の企業で実際の課題に向き合う機会をいただき、知見を深めるだけでなく、しっかりと報酬をいただける。そうなれば、「非常勤なんて割に合わないからやらない」となり、大学側の学生に対する待遇も変わってくるのではないかと考えているんです。データサイエンスの知見はビジネスにとって、必要不可欠なものになっていますし、多くの企業では、蓄積したデータをより効果的に扱える人材が少ないとされています。博士課程の人材を投入し、互いに知恵を出し合い、データドリブンで課題を解決していく場ができれば、どちらにとっても幸せな未来を実現できるのではないでしょうか。 |
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林
植松さんご自身、実践の場で気づきを得たことが、研究の道に邁進する契機になりました。博士課程の学生たちにとって、将来を左右する素晴らしい経験になればいいですね。 |
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植松
文部科学省も、企業等と共同で行うPBL※1演習を推奨しており、SDS学部もそうした構成になっています。そもそも、一橋大学は創設以来、国際的に通用する産業界のリーダーたり得る人材を育成する「Captains of Industry」を使命としてきましたから、こうした流れが出来上がるのが遅いくらいだったかもしれません。 |
客観視する指標が経営の大きな力に。

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林
コロナ禍を経て価値観が大きく変わり、国際情勢も絶え間なく変化し続ける中で、「社会がどのような道を進んでいくべきなのか」「それぞれが存在し、働く意味はどこにあるか」が見えにくくなっているように感じます。こうした時代だからこそ、統計やデータサイエンスという客観性のあるアプローチを用いて、「意味を汲み取る人材」が重要だと私は考えます。言うなれば、それは「意味の空白に挑むデータの探究者」。「あいまいな世界に問いを立て意味を見出す力」や「誰かの違和感を統計で言葉にする力」「数式の背後から世界の意味構造を読み解く力」を身につけることができれば、経営の大きな力になると思うんです。 |
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植松
そこまで深く考えたことはありませんが、データから社会や物事を正確に読み取ることができれば、それは大きな軸になりうると思います。ただ、社会に存在する人すべてが専門家になる必要はありません。先ほど言われたように、重要なのは「リテラシー」ですよね。それを身につけることで、データサイエンスの裾野が広がっていくのだと思います。 |
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林
データサイエンスに対する「リテラシー」を身につけることができれば、直感に反することにもちゃんと目を向けられるようになりますよね。「一度、悪だと思ったものは悪」「嫌いなものは嫌い」では、そこから解き放たれることは難しくなります。 |
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植松
日々生活する中で、データに照らしてみた時に、「それはちょっと違うんじゃない」と思うことがあります。まずは、その違和感に気づくことが重要なんですよ。 |
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林
データ分析を行う際、合理的なアプローチというか、こういうことを抑えておくといいよといったアドバイスはありますか。 |
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植松
例えば、株価のデータ分析をしている時に、数式どおりの結果にならないことがあります。すると、実際の株価を出しているメカニズムと、想定している数理的なモデルにギャップがあるんだろうと推測します。理論そのものは机上の空論。あとに続く決まり文句は「役に立たない」です。しかし、簡単なモデルが1つわかっていれば、それを軸にすることで、原因の特定や分析を進めることができます。ポイントは、こうしたベンチマークをいくつ用意できるか。それが思考の軸となり、その現象を可視化することができるようになります。統計学を駆使して、理論ドリブンで考えていくことが大事なのだと思います。 |
働く意味をデータで可視化?

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林
近年、個人の内面=動機づけを組織の変革・価値創造に変換できる人材が求められています。一方で、感情・動機といった「主観」は、往々にして組織の中で可視化されにくく、評価や施策の対象になりにくいという課題があります。ここで「データサイエンス」に期待するのは、経営にとってのモチベーションや行動のパターンを定量的に捉える橋渡しとなることです。個人的には「感情と経営をつなぐデータの通訳者」が増えてくれることを期待しています。「主観と客観」「現場と経営」「個人と組織」といった異なる論理の間に思考の懸け橋を築くことができれば、それは経営にとって大きな力になります。 |
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植松
データ分析が林さんの言う「通訳者」としての役割を担うには、やはりそのデータ分析によって得られた知見が「どのように導き出されたのか」を知る必要があります。どのようなデータを扱い、どのようなアルゴリズムを用いたのか。それを理解していなければ、納得もできないし、意思疎通の材料になることもない。先ほどのリテラシーにつながることでもありますが、そこの理解がなければ、いかにAIが進化したとしても、真の意味で有効活用することができないと思います。 |
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林
リンクアンドモチベーショングループの基幹技術である「モチベーションエンジニアリング」は、感情やモヤモヤを「計測できないもの」とはせず、再現可能な構造として設計しています。データサイエンスの力で、夢・貢献・成長・所属・理解・承認・裁量・連携といった「働く意味」の“輪郭”を定めることで、個人と組織の理解が深まり、互いを成長させるパワーになるのではと期待しているんです。 |
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植松
話がそれるかもしれませんが、fMRI※2によって脳のどの領域がアクティブになるかを調べられるのだそうです。一橋大学でも、最近装置を導入しました。実際に脳波の波形やどの場所がアクティブになっているのかで、働く意味やエンゲージメントがもたらす影響をデータで可視化できるようになるかもしれません。それくらいテクノロジーは発展していて、ターゲットの領域も広がっているんですよね。私自身はリアルコミュニケーションを大切にするタイプなので、「飲み会をやろう」っていう話になりますが(笑)。 |
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林
そうしたコミュニケーションも大事ですよね(笑)。私はSDSとのプロジェクトを通じて、人への投資が企業の売上・生産性の向上につながり、イノベーションの実現に向けた挑戦の数も増えていくという「インパクトパス」を導き出したいと考えています。現在、ブラックボックスになっているところを解き明かせば、その客観的な数値が投資家の指標になり、日本企業の発展にもつながると確信しています。 |
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植松
データから新たな心理を解き明かす。それは、私もチャレンジしていきたいところです。できそうだなと思っていますし、分析のプランもあります。 |
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林
今は私たちだけのプロジェクトですが、このコラボレーションがより多くの企業や大学に広がっていってくれたらうれしいですね。 |