
ドラッカーの到達点:マネジメントの体系化
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磯村 和人Kazuhito Isomura
中央大学 理工学部ビジネスデータサイエンス学科教授京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Chester I. Barnard: Innovator of Organization Theory(Springer, 2023年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。
前回、自由社会として、どのような産業社会を構築するか、ドラッカーがそのビジョンを提示し、そのなかで企業が中核的な位置を占めると主張していたことを確認した。今回、自由な産業社会において、政府、企業、経営者、労働組合がどのような関係を結び、どのような役割を果たすかを検討することで、ドラッカーが追求する新しい社会の姿を論じる。また、政治、経済、社会のなかで、企業という組織がどのような存在としてあり、存続、発展を図っているか、そのために、どのようなマネジメントの体系が求められるか、ドラッカーの到達点を示す。
はじめに

前回、『産業人の未来』と『企業とは何か』を取り上げ、ドラッカーの産業社会に関する基本的な考え方を検討した(Drucker, 1942, 1946)。『産業人の未来』では、来るべき自由な産業社会に関するビジョンを示したのに対して、ドラッカーは、『企業とは何か』では、自由な産業社会において企業が果たす役割を論じた。
今回、『新しい社会と新しい経営』と『現代の経営』を取り上げる(Drucker, 1950, 1954)。『新しい社会と新しい経営』は、ドラッカーの著書において、比較的、参照されることが少なく、2度、翻訳がされているものの、1957年以降、新訳も出されていない。しかし、この著書は、『「経済人」の終わり』から『企業とは何か』まで追求してきた自由社会のあり方を集大成しており、その重要性は高いと考えられる。これに対して、『現代の経営』はドラッカーの代表作の一つであり、ビジネス界でももっとも読まれている一冊であろう。この著書によって、ドラッカーはマネジメントの体系化を図り、マネジメントの発明家と呼ばれるようになった。また、処女作『フリードリヒ・ユリウス・シュタール』、出世作『「経済人」の終わり』から『産業人の未来』、『企業とは何か』、『新しい社会と新しい経営』までの展開を踏まえたドラッカーの到達点を示していると位置づけられる(Drucker, 1933, 1939, 1942, 1950)。
『現代の経営』をそれまでの著書と比較すると、政治、経済、社会という視点から自由な産業社会を論じてきた著書とは、そのトーンをやや異にしているように見える。もちろん、企業を単独で取り上げ、マネジメントだけを論じるものではなく、政治、経済、社会における企業を考察し、社会的責任まで論じる、とてもスケールの大きな著書であることは間違いない。しかし、『現代の経営』以前に出版された著書を見ず、それゆえ、ドラッカーが構築してきた自由社会の構想を知らないで『現代の経営』だけを読むと、組織とマネジメントの理論とそれらを実践的に応用するための考え方を提示したもののように読める。
ここへ来て、ドラッカーは、組織とマネジメントに関する主要文献に目を通し、企業のコンサルティングを通じて、企業の実態への理解を深めた上で、『現代の経営』の出版に至っている。そのために、一見すると、政治学、経済学、社会学から離れて、経営学へと大きく舵を切ったようにも見える。実際、『現代の経営』以降、ドラッカーは、戦略、リーダーシップ、イノベーションなど、経営学に関わるテーマを中心に、次々と組織とマネジメントに関する重要な著書を出版している。
今回、ドラッカーの一つの到達点である『現代の経営』を読むなかで、これまでの著書で積み上げてきたこと、それらを踏まえて議論していることを確認する。
ドラッカーが追求する新しい社会
本節では、『新しい社会と新しい経営』の概要をまとめる。本書は、『産業人の未来』、『企業とは何か』を受けて、ドラッカーの自由な産業社会のビジョンを集大成したものと位置づけられる。『新しい社会と新しい経営』のサブタイトルは、「産業秩序の解剖」(the anatomy of industrial order)となっている。産業社会の中心的な主体である政府、企業、労働組合、所有者、経営者、中間階級を形成する経営管理者、従業員、労働組合の幹部などが、それぞれどのような関係を結び、産業社会においてどのような社会的地位をもち、その役割を果たしているかを考察することで産業秩序の形成について論じている。図表1のように、ドラッカーは、自由な産業社会が政治、経済、社会のなかの企業をそのコアとして存在させることによって成立すると考えている。ドラッカーは、産業社会が資本主義や社会主義を超えたものであり、両者を超克した新しい社会として提示しようとする。

(1)大量生産の原理
ドラッカーは、大量生産工場の導入によって、世界的な産業革命が進んでいると理解し、大量生産が社会を規定する原理となっていると主張する。大量生産の原理(mass production principle)は、機械化の原理ではなく、社会の原理、人間組織の原理であり、人びとを協働させ、組織を形成する上での一般的な原理であると捉えられる。この原理では、労働者が生産物と生産手段から分離され、人が生産するのではなく、組織が生産するとする。大量生産の原理が浸透すると、人びとは単独では仕事と結びつかず、そのままでは社会的な地位と役割をもたなくなる。人びとは組織のなかに存在することによって、その存在意義が維持される。
それゆえ、このような社会が成立し、そのなかで人びとが失業すると、組織から切り離され、その存在意義を喪失するリスクが生まれる。市場経済では景気循環が避けられず、不況が起きると、大量の失業が発生する。したがって、こうした事態を避けるために、自由放任でもなく、集産主義でもなく、失業に対応できる政府が必要になる。しかし、全体主義のように、強い力をもつ政府が人びとの自由を脅かすことがないように、権力を分散させることが重要になる。
ドラッカーは、大量生産の本質が専門化(specialization)と統合(integration)にあるという。専門化は仕事を分割し、単純な作業にし、組織がそれらを統合することで、パターン化する。産業化が進むと、家族は生産単位としての位置を失い、大量生産が人びとを組織に組み入れ、社会秩序の原理となる。こうして、大量生産は、技術的な問題ではなく、社会的な問題を生み出す。大量生産を行う組織では、誰もが専門化された技術をもたず、仕事が作業になり、それ自体では存在意義をもたない。結果として、人びとは社会的な地位と役割を失う。統合によるパターン化によって、個人が生産するのではなく、組織が生産するという認識をもつ必要があるとドラッカーは指摘する。
(2)産業企業体という存在
ドラッカーは、現代的な大企業体が決定的、代表的、構成的な制度となり、独自の法則と原理をもつ自律的な制度であるという。つまり、大企業が社会秩序を象徴する存在となる。企業は、構成的な制度であり、そこでは、所有と経営が分離され、自律し、多元化する。その結果、企業は、国家とともに、社会を構成する中心的な存在となる。
産業企業体(industrial enterprise)は、大規模で、経営層として支配層と中間層をもち、経済的、社会的、統治的制度である。企業は、社会に対して、モノとサービスを提供する経済的制度として機能する。労働組合は統治的制度として存在し、政府ではなく、企業に対抗する。企業のなかでは、工場共同体(コミュニティ)が社会的制度として形成される。このように、ドラッカーは、産業企業体が社会のコアな存在としてあるとしている。
企業は利益を追求するとされるが、ドラッカーは、実際には、企業が過去と現在に関わる損失の回避を重視するという。つまり、企業は、何よりも当期費用を回収しようとし、その上で、未来費用である利益の追求を図る。というのは、利益こそが企業の存続と将来の発展の原資になるからである。
交易経済モデルは空間的で、時間の概念がないのに対して、産業経済モデルは、基本的に時間的であり、利益をリスクの未来費用と位置づける。それゆえ、利益は、当期費用、未来費用、社会への掛金、社会的費用として、正当化される。利益は、取替、旧式化、未来の危険、不確実性への対応として必要になる。
経済的組織として、企業は拡大に向かって変化し、産業構造の変動、産出高の増大を図る。利益は、経済的制度の尺度であり、生産性増大を測定する。したがって、ドラッカーは、企業にとって、利益は目的ではなく、動機でもないと主張する。利益は、未来費用を確保するため、評価基準ツールの役目を果たす。利益を必要とすることは、どのような組織においても同じであり、分配を減らし、損失を回避しようとする。そのために、収益性、生産性の向上と賃金をどのように折り合わせるかが重要になる。
利益をどのように位置づけるかは、重要な論点となる。労働者の所得としてのコストか、あるいは、未来への投資としての費用か。労働者にとっては、利益は、賃金を安定化させ、生活を保障するものとしてある。これに対して、企業にとっては、賃金は当期費用としてコストとなり、減らすべきものになる。ここに、利益の位置づけによって、企業と労働者の間に対立を生み出す。
賃金だけに焦点を当てると、労働組合は、団体交渉を通じて、企業と対立するだけになる。企業が求める生産性増大、技術進歩は、雇用の削減と考えられ、労働者から強い抵抗を受ける。また、企業に対しては、退職年金、再訓練、配置換えなどの対応が求められるようになる。
こうして、ドラッカーは、賃金を当期費用として考えている限り、対立は解消されないので、利益を未来費用として考える必要があると主張する。賃金と利益を対立するものと考える限り、利益への敵意が生まれる。利益はマルクス主義のように搾取と見なされ、役員の高額報酬は利益への敵意を増大させる。しかし、企業にとって、利益は、政策、意思決定、行為の基礎であり、収益性を高めることで、家族の生計、将来、地位を左右する。産業体は、将来の発展のために、十分な利益を必要とし、その結果、存続し、発展できる。企業は統治的制度であるものの、政府とは異なっている。従業員の福祉が第一ではなく、収益性と生産性が中心にあり、企業は、経済的な成果に責務を負う存在としてある。
(3)労働組合の位置
労働組合について、ドラッカーは、労働者による所有は成功しておらず、また、労働者が経営をしなければならないことはないと考える。企業では、所有と経営は分離され、権利と権限、責任は分かれる。労働組合は、経営層に対する対抗勢力であり、決して政府になれない野党的な存在であるという。ストを武器にし、権力を牽制する役割を果たす。しかし、自らの要求が認められ、達成されると、企業と同じように企業の成功に責任をもち、否定から建設へと向かう必要がある。利益とコストという対立があるが、正当な賃金について合理的基準を重視することが求められる。労働組合は、団結力を確認するために、自らの武器であるストを行い、そのなかには儀式的なものもある。しかし、社会的に合理的な明確に定義された目的で行われないストは、社会から評価されないリスクを含んでいる。
労働組合は、ある種、社会的、政治的権力であり、統治機関である。組合の指導者は、エリートであり、その地位を維持するために、戦闘的になったり、ワンマンになったりする。労働者の要求に応えるために、企業から得られることにフォーカスし、政治的な行動をとる。労働組合は、スポークスマン、媒介的な立場から企業と交渉する。経営者と労働組合の双方が労働者に対して忠誠を求めるので、忠誠心の分裂が起きる。労働組合が企業において機能を果たし、反対者として演じられるように、二重の忠誠を可能にする必要がある。
(4)工場共同体の重要性
企業は、工業共同体(plant community)として、労働者のコミュニティでもある。社会と個人の要求を調和させることは可能であり、そのためには、労働者も経営者的な態度をもつことが重要となる。経済的利益と個人の利益を調和させると、人的資源において生産性を向上させる。フォレットが論じるように、一つひとつの仕事を統合することで、生産は行われる。全体としてまとめ、個々の労働者の総合力を生み出すためには、中間幹部、技術者、現場監督者など、ミドルマネジャーの役割が大きな役割を果たす。
仕事自体は、単純化、標準化されても、チームとして、組織として仕事をするので、リーダーの必要性が生まれる。人的資源として熟練を必要とする仕事はなくなるものの、知的、技術的に訓練された人びとが必要になる。社会、企業、従業員が調和する産業社会が成立すると、人びとには社会的な地位と機能が与えられる。生産性と収益性を高めることで、経済的成果を引き出す。労働者自体も企業に貢献することを欲している。具体的な事例として、ドラッカーは、GMコンテストを取り上げ、従業員が生産性、収益性を改善する提案を積極的に出すと指摘する。
社会的地位と機能を与えるためには、人びとに対して適切な職務配置を実現することが重要である。つまり、仕事と人間を適合させることが求められる。テイラー、ガントらによる科学的管理、メイヨーらのホーソン実験の知見を活かすことが重要であるが、科学的な調査によって適切さを測定できない。人間関係を調整し、グループへの一体化を生み出すことができないと、統合(integration) や自己同一化(identification)がなく、孤立が起きる。結果として、社会的に人びとを分裂させ、能率の低下を引き起こす。
また、職場で昇進できることも大切である。職長はとりわけ重要であり、彼らには、技能、知識、企業の方針を理解する知的な能力が求められる。職長を育成し、昇進の機会を作ること、平工員から職長へ、職長から経営層への道を作ることが重要になる。そのためには、昇進基準を定め、それらに基づいて評価し、訓練の機会を提供する。大卒ばかりが昇進できるようになっているが、教育や学歴によって、人びとの昇進が制限されることは問題になる。
さらに、職場では、コミュニケーションが重要となる。トップマネジメント、ミドルマネジメント、現場で見ている世界がそれぞれ異なっている。3つのグループが分断され、見ている世界が異なると、相互理解が進まない。組織全体として、職場で起きていることを理解していく上では、新しい知覚器官として、目と耳を必要とする。
(5)経営管理者の役割
経営管理者の機能は、経営組織を適切なものにすることにある。経営管理者は企業の存続と繁栄に責任をもち、経営政策を決定する機能をもっている。統治機関としての経営管理者は、①経済的成果についての責務、②人的資源の組織とその能率的活用についての責任、③トップマネジメントの後継を育成する責任を負っている。具体的には、経営管理者は、どのような業務に従事するかを決定し、業務の性質を分析し、経済的要因を特定することで、影響を与える。また、個と全体と物的設備を一つに統合することで、人間組織を作り、機能させ、後継者を育成し、組織を永続させる。このように、経営管理者は新しい存在であり、トップマネジメントという管理職員を育成するためには、エキスパートから全体を見ることができるゼネラリストへと転換することが求められる。しかし、経営者気質は、しばしば、現場から遊離し、孤絶する。そのため、全体を見ることができるスタッフを経験することも求められる。トップが決定し、ミドルが実行する。経営管理者の選抜をどうするかも考える必要がある。学歴、テスト、など、成績を測定、評価し、内部昇進できるようにする。
(6)プロレタリアの解放
初期資本主義はプロレタリアを生み出したが、ドラッカーは、産業社会では、プロレタリアをなくす必要があると主張する。人を商品とするのではなく、労働を産業経済における資本財にする。景気循環に対応し、雇用の安定化を図り、所得と雇用の予告性を作る。例えば、60%の従業員に60%の賃金を保証する。そして、利益をどのように配分するかを考える。労働者にも利益に対して利害関係をもたせる。利益を労働者の職務と関連づけ、利益の必要性を企業も労働者も共有できるようにすると、利益への敵意をなくすことにつながる。しかし、経営幹部への高額な報酬は利益への敵意を高めている。景気循環への対応を高め、所得と雇用を予告できるようにし、利益に対して利害関係をもたせるようにする。景気循環に対して、政府の対応だけでは十分ではないが、公共事業への投資、軍備の拡大も活用される。税制については、長期、持続的に設備投資できるようにする。
(7)連邦制の導入
企業が大規模化するなかで、連邦制を導入する。人間についての適切な研究は組織にある。創業者によるワンマン経営は、フォードの没落をもたらした。集権化、大規模化のなかで、分権化を図る。権限を分散させ、連邦主義(federalism)を採用する。連邦主義は、職能と権限を与える原理を意味する。機能的に分散させ、地理的に分散させ、自律性をもたせる。連邦主義は、後継者の育成にもつながり、スペシャリストからゼネラリストを生み出す。経済的な成果を組織内でも測定し、評価できるようにする。
(8)工場コミュニティの自治
企業において、工場コミュニティを十分に機能させることが重要になる。企業体の利益は経済的であり、これに対して、従業員の利益は、経済的だけではなく、政治的、社会的でもある。企業の統治機関である経営層は、この双方の利益を両立させることが求められる。工場コミュニティは、①安全衛生、②基本政策とその細部、③人事管理機能、④労働条件、⑤技術変化への対応、⑥生産性の向上に貢献する。また、工場コミュニティには、自治が必要であり、オートノミーをもたせることが求められる。工場コミュニティはアソシエーションとしてあり、経営者的態度をもち、収益性と生産性への理解を示し、産業中間階級としての地位を充たす。工場コミュニティの役員を輪番制とすると、経営者的経験を積み重せることができる。
経営管理者は企業の経済的成果に対する責務をもつために、社会的な問題について知らないことも多い。自律的なコミュニティは経営を弱めるものではなく、プロモーションの欲求をみたし、団体精神を生み出す。もちろん、社会の万能薬ではない。企業において、経営管理者と労働組合が中間層を形成し、職長、エンジニア、会計士、工場長などが自治を担う中間層の役割を果たす。企業において、インフォーマルな組織をマネジメントすることが中間層の責任になる。中間層は、上下の連結、人事管理、自治体の代表し、分裂した忠誠を解消させる。工場コミュニティは、家庭を含めて、地域コミュニティなど、さまざまなコミュニティ、労働組合への懸け橋にもなっている。
(9)市民としての労働組合
労働組合は、企業とだけでなく、社会とその生活にも結びついている。市民としての労働組合は、賃金政策にも関係し、賃金負担力、賃金率の設定、一般協定に基づいて交渉する。生活水準を考慮しているが、労使交渉はしばしばかみ合わない。というには、生産と所得は、企業と労働者の利害を分けてしまうからである。生産能率、生産性向上した結果をどのように分配するか、いつ分配するかに取り組んでいる。そのなかで、ストライキを行うこともある。しかし、ストライキは非常手段とし、合法ストだけを可能にし、本当に必要な財やサービスにアクセスできなくなることは避けることも重要である。というのは、市民の生活に不可欠な重要な産業があり、ストライキによってそれらが麻痺する可能性があるからである。労働組合は権力をもつので、一定の自由を制限し、制約を探すことも必要になる。自由社会は、自由参加、自治に基づき、地方自治は、企業、工場コミュニティに依存する。
(10)自由な産業社会
ドラッカーは、自由企業体制は財産権をベースにし、必ずしも自律的な自治ではないという。資本家の権利を基本にしている。しかし、投資家は所有権を求めているわけではなく、主として、収益の分け前とその請求権を求めている。現実には、所有と経営の分離が進んでいる。経済的価値と政治的、社会的責任は必ずしもリンクしているわけではない。自由企業体制では、大企業のなかに新しく中小企業が参入できるようにし、新陳代謝が行われるようにする必要がある。また、政府、企業、労働組合の利害のバランスをとることが求められる。民主社会主義は全体主義になる可能性があるが、社会民主主義は成長することができる。自由企業の経済、競争的企業の経済が可能になる。資本主義でもなく、社会主義でもない社会を追求する必要がある。産業社会は、両者を超えた新しい社会であり、そこでは、中間組織が十分に機能する社会になるとドラッカーは主張する。
このように、ドラッカーは、産業社会を形成する多様な利害関係者がどのような役割を果たすと自由社会を構築できるか、一つひとつ検討することを通して、新しい社会の可能性を提示している。
事業の目的とマネジャーの役割
本節と次節では、『現代の経営』の概要をまとめる。『現代の経営』は大部なので、前半部と後半部に分けて論じる。ドラッカーは、マネジメントには、3つの機能があり、事業のマネジメント、経営管理者のマネジメント、人と仕事のマネジメントがあるとしている。そこで、本節では、事業のマネジメントと経営管理者のマネジメントを取り上げ、次節では、人と仕事のマネジメントを中心に検討する。実際には、『現代の経営』は全30章から成り、図表2のように構成される。

企業は、経済的機関として、顧客のために成果を生み出す。また、企業は、統治的、社会的機関として、人を雇用し、育成し、報酬を与え、生産的にする。したがって、企業は、経済的、統治的、社会的な制度であるとされる。さらに、公的機関として、社会とコミュニティに根ざし、公益を考えるので、企業はその社会的責任を果たす。
『現代の経営』は、ドラッカーの10年以上のコンサルタント経験が活かされている。GM、シアーズ、チェサピーク&オハイオ鉄道、GEなどのコンサルティングに取り組み、マネジャーに向けて、マネジメントを体系化し、そのコンセプト、原理、手法を示している。マネジメントは事業に命を吹き込むダイナミックな存在であり、トップマネジメントは、人の仕事を方向づけ、マネジメント人材を育成する。企業の存在理由は、財とサービスの提供であり、経済的成果を生むことにある。
前述したように、ドラッカーは、『現代の経営』において、以下の3つのことを論じるとしている。第1に、事業のマネジメントは、経済的成果をあげる責任である。要素を分析し、体系的に組織し、学習する。それゆえ、マネジメントは、科学ではなく、実践であるとされる。マネジメントは、創造的活動であり、適応するだけという受動的ではなく、能動的である。第2に、経営管理者のマネジメントにおいて、企業は、単なる資源の集合体ではなく、統合することで力を生み出し、人びとから力を引き出し、組織、リーダーシップ、組織文化を生み出す。第3に、人と仕事のマネジメントがあり、人を動機づけ、参画、満足、報酬、リーダーシップ、地位と機能を要求する。時間への対応があり、意思決定を行う。意思決定は、現在と未来のマネジメントであり、長期的利益と短期的利益を調和させる。このように、マネジメントとは多目的であるとされる。
(1)事業のマネジメント
『現代の経営』では、シアーズ、フォード、IBMという3つの印象的な事例が取り上げられる。まずは、シアーズの事例である。ドラッカーは、シアーズが企業として顧客を開拓し、イノベーションに取り組む姿を論じている。メーカーと協力し、新しい商品開発を行い、流通システムの構築を図り、自動化を図るとともに、店舗を運営する店長を育成し、分権化を進める。
ドラッカーは、自らの事業は何か、市場はどこか、どのようなイノベーションが必要かを考えることが重要であると提言する。そして、ドラッカーは、事業とは単に利益をえることではないと主張する。もちろん、利益は重要である。しかし、事業の目的ではなく、事業を成り立たせる条件であるとする。企業の目的は、企業の外にあり、顧客が企業を決めるとする。こうして、図表3のように、ドラッカーは、企業の目的は顧客の創造であり、マーケティングとイノベーションが事業を成長、発展させるという考え方を示す。企業は、市場の調査と分析に取り組み、成長、拡大、変化のための機関であり、よりよいものを作り、提供し、より安くすることを追求する存在であるとされる。

企業は、資源の生産的な活用を行う。生産性とは、最小の努力で最大の成果を生むことであり、時間、製品のミックス、プロセスのミックス、組織と活動のミックスを通じて生産性を高める。また、人材を育成し、肉体労働から知的労働へとシフトさせる。
利益の機能は、①仕事ぶりを判定する尺度であり、②未来、不確実性とリスクに対応し、成長のためのコストになる。企業は存続を中心にし、利益の追求よりは、損失の回避を優先させる。事業のマネジメントとは、顧客は誰か、現実に顧客が誰か、潜在的な顧客は誰か、顧客はどこにいるか、いかに買うか、いかに到着するか、顧客の価値は何か、何を求めているか、を考えることである。その上で、価格、品質、メンテナンス、サービスを進める。このように、マーケティングを進めるとともに、①潜在的な可能性と趨勢、②市場の変化、③顧客の欲求の変化、④満足していない顧客への対応として、イノベーションを組み合わせる。さらには、企業は、新しい事業に取り組み、新たな目標を設定する。
事業のマネジメントでは、複数の目標をもち、多様なニーズのバランスをとることが重要となる。というのは、目標によって、事業の存続と繁栄が決まるからである。事業のマネジメントとして、①なすべきことを明らかにする、②なすべきことをなしたか否かを明らかにする、③いかになすべきかを明らかにする、④意思決定の妥当性を明らかにする、⑤活動の改善方法を明らかにすることが求められる。事業に関わる領域としては、マーケティング、イノベーション、生産性、資金と資源、利益、マネジメント能力、人的資源、社会的責任がある。
最初の5つは定量的に、後の3つは定性的に評価できる。具体的に測定すべきものを決定し、尺度を決める必要がある。マーケティングについては、市場の地位であるシェアによって評価する。シェアには上限と下限があり、あまりシェアが大きいと競争がなくなり、小さすぎると、存続が難しくなる。イノベーションについては、製品とサービスにおける新製品比率、提供の方法、研究開発比率を見る。生産性と付加価値性を総収入に占める付加価値の割合、付加価値に占める利益を割合が参考になる。資金と資源については、資金計画と資源計画を立て、マーケティング、イノベーションに関わる目標の達成に必要な資源を確保する。利益については、①事業活動の健全性と有効性を測定する、②陳腐化、更新、リスク、不確実性をカバーする、③自己金融を可能にし、必要な資金を調達する。時間を考慮し、長期に平均で捉えて、投資計画を立てる。売上高利益率、損益分岐点分析、投下資金利益率、税引き前利益を見る。マネジメント能力、人的資源、社会的責任については、定量化できず、定性的であるものの、明確な目標を定めることは可能である。
目標設定の期間については、2~3年から、場合によって、5年以上の先の間のバランスを考える。長期的な視点で管理可能な支出をコントロールし、目標間のバランスを図ることは、マネジメント能力に依存する。また、景気循環に対応することも求められる。変動を仮定し、人口動態など過去を分析し、趨勢分析、底流分析を行う。生産システムについては、受注を受ける個別生産、流通チャネルを考慮した大量生産、市場の創造、維持、拡大を図るプロセス生産を選択する。
(2)経営管理者のマネジメント
経営管理者のマネジメントについては、フォードの事例が検討される。フォードは、ワンマン経営、秘密主義、厳しい人事管理によって失敗している。しかし、中央集権化された組織構造において、目標管理によるマネジメント(management by objectives)で再建を図った。
経営管理者は稀少な資源であり、秩序、構造、動機づけ、リーダーシップに関わり、事業目標の達成、人と仕事のマネジメントに取り組む。近代企業では、マネジメントを通じて、企業をコントロールするので、企業を運営する機関が必要になる。機能と責任をもつ機関によって、①目標と自己管理、②経営管理者の仕事の維持、③正しい文化を作る、④統治のための機関として、CEOと取締役、⑤マネジャーの育成、⑥組織構造がある。図表4のように、ドラッカーは、自己管理(self-control)による目標管理を導入する重要性を強調する。仕事の専門化、階層化、孤立に対しては、目標をもつことで解決し、目標間のバランスを図る。

①目標管理については、目標があることで、成果を評価できる。成果に責任をもたせ、自己管理につなげる。形式化しないように、報告、手続き、書式を見直す。強みと責任を活かし、チームワークを形成する。②経営者の仕事は、権限と責任による。広い責任範囲と管理の限界のバランスを考える。人をコントロールするのではなく、下から組み立てる。そこでは、第一線の現場管理者が重要になる。上から下へ、下から上へ、全体を結びつける。③組織文化は、人の強みを引き出し、能力以上の力を発揮させる。組織文化は、行動規範、強みの重視、真摯さの重視、正義の観念、行動基準の高さを生む。それゆえ、適切な行動規範を設定し、優れた仕事を求め、評価を行い、明確な目標を定め、達成する能力を体系的に評価することが重要になる。潜在的な能力ではなく、成果に注目し、その上で、評価を報酬、昇進につなげる。
マネジメントのためには、CEOと取締役という統治のための機関と評価と監査のための機関を必要とする。企業の仕事、成果、文化は、トップを構成するこれらの2つの機関に依存する。CEOは、事業を検討し、全体の目標を設定し、目標達成のための意思決定を行い、目標と意思決定を理解させ、人事を行い、人材を育成し、組織構造を決定する。
投資計画と資金調達について、CEOの仕事を体系的に理解する必要がある。仕事があまりに多く、一人では処理できないので、共同して行動するチームの仕事として組み立てられる。CEOの孤立を防ぎ、後継者の問題を解決することも求められる。CEOとは、考える人、動く人、顔になる人、そして、分析し、総合できる人である。一人体制ではなく、チーム化をいかに行うかが問題である。しかし、委員会ではなく、チームとして役割と分担を共有し、他のメンバーには干渉しないようにしなければならない。
取締役会については、十分に考慮されていない。所有と経営の分離が進んでいることも関係している。取締役会は、審査と評価の機関であり、直接、業務には携わらないので、企業の細部をよく理解しているわけではない。しかし、取締役会メンバーの選抜については注意が必要で、背景の異なる人材を採用し、異なる視点からみて、疑問を発することが求められる。
経営管理者の育成については、産業社会の本質であり、マネジメント能力を向上させることにつながる。経営管理者は、取引先、政府、顧客、従業員、労働組合との関係を取り扱い、社会に対する責任を負う。そうした人材を育成するプログラムが必要となる。トップマネジメントだけでなく、マネジメント層全体の水準を向上させることが重要である。将来のニーズにフォーカスし、特定の機能を習熟させ、ローテーションを通じていくつかの機能を身につけさせる。そのためには、成長と自己開発を必要とする。機能的組織から連邦型の分権化された組織では、能力が徹底的に体系的に評価される。経営管理者には、最大の貢献をできる仕事についているか、強みを活かすために、何を学び、どのように弱みを克服するかを理解させる。
このように、『現代の経営』の前半部では、事業のマネジメントと経営管理者のマネジメントについて、詳細に論じられている。
分権化された組織と従業員の自律性
本節では、『現代の経営』の後半部分の概要を見る。マネジメントの組織構造と人と仕事のマネジメントが中心的に論じられ、それらを踏まえて、優れた経営管理者とはどのようなものか、また、マネジメントの責任について考察される。
(1)マネジメントの組織構造
組織の構造とは、目標を達成する手段であり、活動分析、意思決定分析、関係分析によって、組織の構造に求められることを明らかにする。機能を見るだけでは十分ではなく、活動を見る必要がある。意思決定は、90%は定型化されている。しかし、定型化されていないものへの対応もある。決定の息の長さ(時間的要因)、他の部門への影響度、行動規範(質的要因)、繰り返されるか(反復度)を考慮する必要がある。関係については、上位、下位部門の関係、横の部門との関係を見る。構造の作り方については、①成果のための構造、②階層を最小限にすること(命令系統を最短にする)、③トップの育成と評価を可能にすること(全体をマネジメントする能力につながるようにする)が求められる。
図表5のように、機能別組織(functional decentralization)と連邦型組織(federal decentralization)という2つの組織原理であり、お互いに補完する関係にある。連邦型組織は分権的組織であり、デュポン、GM、シアーズ、GEなどで採用されている。機能別組織はプロセスの段階ごとの組織であり、単なる類似するスキルの集合ではない。しかし、機能別組織は全体の成果に焦点を合わせることが難しく、専門性を重視し、目標を設定しにくい。これに対して、連邦型組織は、①ビジョンと活動を成果に集中させる、②事業を選別できる、③成果にフォーカスできる、④マネジャーの育成に力を発揮する、⑤階層の下まで独立して指揮する能力を評価できる、という特徴をもっている。

連邦型組織では、独立した事業を組織化でき、多様性をもちつつ、統一を図ることができる。また、目標設定する中央と単位組織をそれぞれ強力にすることができる。そのためには、高度の行動規範と客観的評価が必要になる。単位組織の適切な規模を定め、成長させ、マネジャーに広い活動領域と挑戦の機会を与える、自らの事業、製品をもち、対等な関係をもたせるようにする。もちろん、連邦型組織が適さない企業もあり、鉄道事業がその代表的な例である。機能別組織から連邦型へ発展させるには、分権化を図り、独自の製品をもち、規模を小さくし、階層を少なくする、明確な目標をもてるようにすることが必要になる。
全体組織を機能させるためには、共同体意識を作り、セクショナリズムを抑制することが重要になる。分権化を進めつつ、重要な決定はトップにもたせる。マネジャーは、部門を超えて、異動、昇進させ、共通の原則、目的と信条をもたせる。また、仕事の進め方は多様にしておく。組織の健全性については、階層の増加、目標の低さ、無能の放置、権限の集中、マネジメントの年齢構成からチェックする。
組織の構造を見直す際には、組織の規模に注目する。というのは、組織には、成長の段階があるからである。具体的には、①小企業、②機能別化する中企業、③連邦制を採用する大企業、④巨大企業という段階がある。目標設定、業務遂行など、マネジメントをチームで行う。①と②では、マネジメント不足に直面する。同族であると視野が狭くなるので、外部の視点を導入し、実力主義にし、成果を定期的にレビューすることで、③、④へと進むことが可能になる。規模には限界があり、7段階以上にすると多すぎて、一体感をもてなくなる。CEOの仕事の組織化とその範囲を設定する必要がある。マネジメントが内輪の存在となると、独善的かつ自己満足に陥りやすくなる。
また、規模が拡大していくと、機能だけで、責任をもたないスタッフが肥大化する。スタッフの仕事を限定し、あくまでトップをサポートさせる。規模の拡大から成長へ、量と質を考えることが求められる。規模の変化(将来を考える、時間、コミュニケーション)を認識する、変化に対応し、やり方を変える、姿勢を評価する。成長の段階を診断する(活動分析、意思決定分析、関係分析)ことも重要になる。
(2)人と仕事のマネジメント
人と仕事のマネジメントについては、IBMの事例が取り上げられる。この事例から、人びとの働き方の変化、事務員、専門職、マネジャーによって構成されること、技術の変化が起きても、基本的には人が仕事を行っていることがわかる。人びとに責任をもたせることで、生産性が飛躍的に向上することが示される。
作業の単純化のなかで、仕事の拡大、仕事の進め方を変えることで、生産性を向上させ、仕事への誇りを増大させることができる。雇用を安定化させると、エンジニアと生産の協働が可能になる。仕事だけを雇用することはできず、人を雇用していることを認識することが求められる。①人的資源として働く人がいること、②働く人が個人として企業に求めることを理解すること、③富を創出することと働く人の生計の資を供給することのバランスをとることが重要になる。
コストと所得の対立に対処することも大切になる。図表6のように、資源としての人間は、調整、統合、判断、想像する能力をもち、人格をもつ存在である。それゆえ、恐怖による動機づけから、働く意欲をもたせることへシフトすることが必要になる。いかに働くか、どれだけ働くか、自ら決め、生産の量と質を定め、受動的ではなく、能動的に参画できるようにする。人びとは集団で働き、人を啓発するのは成長であり、仕事が挑戦であることを理解させる。企業が個人に求めるのは、企業の目標に進んで貢献することであり、変化を進んで受け入れることにある。これに対して、個人が企業に求めることは、仕事を通じて、地位と機能を実現すること、約束の実現、進歩と昇進への平等な機会にある。人を支配することはできない。市場経済は、外部経済と内部経済からなり、内部経済である企業は、人間組織であることを認識しなければならない。

人事管理論と人間関係論には研究蓄積があるが、相互に脈絡のない手法の集合になっている。人びとは働くことを求め、自発性をもつ仕事が必要であり、恐怖を取り除くだけでは十分ではない。伝統的な人事管理論、人間関係論では、仕事に焦点が当てられず、経済的領域があることが理解されていない。伝統的な人事管理論の課題としては、マグレガーが指摘するように人間の前提が間違っていること、人事をマネジメントではなく、専門職としていること、トラブル、問題への対応が中心になっていることが挙げられる。
これに対して、科学的管理は仕事にフォーカスしている。しかし、仕事の分解だけでなく、仕事を統合することも考慮する必要がある。計画と実行を分離できるが、どちらかに人びとを振り分ける必要はない。人間組織が最高の仕事をするので、仕事のエンジニアリング、つまり、仕事を組織できるようにする。仕事を分解することで機械化できるが、人間は分解されたものを統合できる。仕事の分析と組織によってまとまりのあるものにし、仕事そのものを改善し、取り組む人々が調整する。要素、動作を体系化し、仕事の論理で配列する。挑戦、技能や判断を必要にできるものとして、人びとを成長できるようにする。人を組織し、社会的集団とその一体性が仕事に直接、貢献するようにする。チームで仕事をするようにし、それぞれ適した仕事に人びとを配置する。このように工夫していくと、人間組織に能力を発揮させることが可能になる。
また、人と組織を機能させるには、動機づけが重要になる。人びとには、恐怖ではなく、責任を与える。そのためには、人の正しい配置、目標を決め、仕事の高い水準を定め、自己管理に必要な情報を提供し、マネジメント的視点をもたせる機会を与えることが必要になる。また、仕事の設計に参画させ、職場コミュニティでリーダーシップを発揮させることが求められる。経済的報酬だけでは積極的な動機づけにならない。コストと所得の対立を解消し、雇用を安定させ、利益の反発を弱め、利益の分配に対応する。雇用と所得の安定を強化し、利益分配制度、従業員持株制度、年金基金、投資信託、生命保険などの制度を充実させる。仕事そのものに焦点を合わせ、仕事を自ら所有していると感じさせる。財の所有についても利益への反感がなくならないように工夫する。
現場管理者は、仕事を円滑かつ安定的に流れるように管理する存在である。現場管理者が機能するためには、明確な目標を必要とし、昇進の機会、明確な基準に基づいて評価し、マネジャーとしての地位を与える。かつての親方、組頭に代わる存在として、現場管理者があり、自由社会として機会の均等を約束することにつながる。
専門職を含めてすべての人びとにマネジメント的視点をもたせ、そのために、責任と権限を与える。専門職は、自らの貢献に責任をもつのに対して、マネジャーは、部門全体に責任をもっている。仕事の目標のもち方も異なり、専門職は専門的な基準をもつ一方で、マネジャーは成果によって評価される。
経営管理者は、部分を超える総計を生み出す存在であり、短期と長期のニーズを調和させる。マネジャーの仕事では、時間の使い方が重要であり、人とともに働く。その仕事には、①目標の設定、②組織すること、③動機づけ、コミュニケーション、④成果を評価、測定すること、⑤部下の育成、が挙げられる。
意思決定には、戦術的、戦略的決定がある。意思決定においては、問題の理解、分析、解決策の作成、選択、効果的な実行がある。問題の理解では、決定要因を発見し、問題解決の必要条件を明らかにし、問題解決に制限を与えるものを特定し、原則を明らかにする。問題の分析では、時間的要因、影響度、質的要因、反復度を考える。解決策の作成では、複数の代替案を考える。問題の選択では、リスク、経済性、タイミング、人的な制約を考慮する。明日の経営管理者は、未来の姿を予期し、的確な目標をもち、長期的な意思決定を行い、統合されたプロセスとしての事業に対して内部的に弾力的に自己調整させる。また、マーケティング、イノベーション、技術の変化、社会の変化に対応する。さらに、コンセプト、原則、パターンによってマネジメントし、システムと方法を適用する。そして、明日の経営管理者には、何よりも真摯さが求められる。
マネジメントの責任には、もちろん、利益をあげることがある。というのは、企業は、富の創出機関であり、生産機関であるからである。また、マネジメントの責任として、明日の経営管理者を準備することが求められる。経営管理者は、社会のリーダー的存在であり、社会的責任を果たしている。公共の利益をもって、企業の利益とし、企業、伝統、社会に対する責任をもつ存在である。
このように、『現代の経営』の後半部では、企業の内部にフォーカスし、組織の構造と人と組織のマネジメントが論じられ、最終的には、企業の外部に目を向けて社会のなかにある企業という視点からマネジメントの社会的責任までが提示される。
おわりに

この連載では、ドラッカーの基本思想を処女作である『フリードリヒ・ユリウス・シュタール』から始まって、『「経済人」の終わり』、『産業人の未来』、『企業とは何か』、そして、今回、『新しい社会と新しい経営』、『現代の経営』まで辿ってきた。『「経済人」の終わり』では、ドラッカーは、ヨーロッパの社会において、資本主義、社会主義、宗教への失望から社会に真空が生まれ、全体主義へと突き進んだことを批判した。『産業人の未来』では、自由な産業社会の可能性について追求し、『企業とは何か』では、産業社会において中核をなす企業が果たす役割を論じた。そして、今回、『新しい社会と新しい経営』で、ドラッカーは、産業社会のなかでの企業が政府や労働組合とどのような関係を結び、企業のなかにどのようにコミュニティを形成させるかを検討し、自由社会を実現するための設計図を提示した。このように、一連の著作を通じて、ドラッカーは、産業社会のなかで企業が果たす役割を示すことで、新しい社会の姿を示している。
これに対して、『現代の経営』では、こうしたビジョンの下で、企業において、どのような組織を形成し、マネジメントを実行するか、より企業にフォーカスし、議論している。ドラッカーは、経営学に関する基本文献を読み込み、コンサルティングを通じて企業の実態への理解を深めた上で、経営をどのように実践するか、『現代の経営』において体系的に示している。『現代の経営』では、シアーズ、GM、GE、IBMなど大企業の事例の他、さまざまな事例を参照しながら、マネジメントのあり方を論じている。ここには、ドラッカーのジャーナリストとして自分がじかに観察したことをベースにしつつ、これまで蓄積されてきた学術的な研究成果を結びつけ、自らの考えを示している。『現代の経営』には、ドラッカーの方法が体現されている。
しかし、ここまでの著作とはややトーンを異にし、企業にフォーカスしていることもあり、広く政治、経済、社会を論じるのではなく、政治、経済、社会のなかでの企業という形で、視点が反転されていることがわかる。それまでは、政治、経済、社会の視点から企業を見ていた。ただし、自由社会を実現する上で、企業がその中核にあることを主張した上で、組織とマネジメントを体系的に論じたとすることができる。
『現代の経営』におけるドラッカーの貢献としては、社会のなかにある企業という視点から企業の存在意義、目的として、財とサービスを提供することから、顧客の創造の重要性を指摘したことが挙げられる。また、企業のコミュニティを形成し、そのなかで地位と機能を果たす上で、目標の重要性を論じ、目標管理と自己管理を示したことがある。さらに、組織構造という視点から分権制について論じている。これは組織の解剖学に関わる。これに対して、人と仕事のマネジメントとして、組織の生理学に目を向け、先行する人間関係論、人事管理論、科学的管理の課題を克服し、経済的側面と社会的側面の統合を論じている。そして、最後に、社会のなかの企業という視点から、経営管理者の社会的責任を論じている。
以上のように、『現代の経営』は、ドラッカーの到達点を示したものと捉えることができ、ドラッカーが構想した新しい社会のなかで、企業の組織とマネジメントのあり方を体系的に提示したものと理解できる。
参考文献一覧
Drucker, P.F. (1933) Friedrich Julius Stahl: Konservative Staatslehre und Geschichtliche Entwicklung, Mohr, Tübingen(DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー編集部訳「フリードリヒ・ユリウス・シュタール 保守的国家論と歴史的発展」『DIAMOND ハーバード・ビジネス・レビュー』、2009年1月号、99-121ページ)。
Drucker, P.F. (1939) The End of Economic Man : The Origins of Totalitarianism, John Day, New York (上田惇生訳『「経済人」の終わり』ダイヤモンド社、1997年)。
Drucker, P.F. (1942) The Future of Industrial Man: A Conservative Approach, John Day, New York(上田惇生訳『産業人の未来』ダイヤモンド社、1998年)。
Drucker, P.F. (1946) Concept of the Corporation, John Day, New York(上田惇生訳『企業とは何か』ダイヤモンド社、2005年)。
Drucker, P.F. (1950) The new society : the anatomy of the industrial order, Harper & Row, New York(現代経営研究会訳『新しい社会と新しい経営』ダイヤモンド社、1957年)。
Drucker, P.F. (1954) The Practice of Management, Harper & Row, New York(上田惇生訳『現代の経営』上・下、ダイヤモンド社、2006年)。