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個人と組織の同時発展を求めて

Vol.1|『伊藤レポート』誕生の背景とは。|伊藤邦雄 × THE MEANING OF WORK

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  • 伊藤 邦雄

    伊藤 邦雄KUNIO ITO
    一橋大学大学院 経営管理研究科 特任教授

    1975年、一橋大学商学部卒業。一橋大学大学院商学研究科長・商学部長、一橋大学副学長を歴任。中央大学大学院戦略経営研究科特任教授。商学博士(一橋大学)。経済産業省「持続的成長への競争力とインセンティブ~企業と投資家の望ましい関係構築~」プロジェクトで座長を務め、その最終報告書である『伊藤レポート』は海外でも大きな反響を呼び、その後の日本のコーポレート・ガバナンス改革を牽引した。さらに、経済産業省「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」でも座長を務め、『人材版伊藤レポート』を通じて、人的資本経営による価値創造の重要性を訴求。「強い意志で未来を柔軟に創り変える」(“Build Forward Better”)というメッセージは、各企業に大きなインパクトをもたらしている。

  • 林 幸弘

    林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
    株式会社リンクアンドモチベーション モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
    「THE MEANING OF WORK」編集長

    早稲田大学政治経済学部卒業。2004年、株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに従事。経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。

日本企業の経営に資本コストの概念をもたらし、日本のコーポレート・ガバナンス改革を牽引した伊藤邦雄氏。その背景には、どのような問題意識があったのか。特別インタビュー第1回となる今回は、『伊藤レポート』発表の背景から、『人材版伊藤レポート』に至るまでのストーリーに焦点を当てる。

日本の経営者は「怖い」。

日本の経営者は「怖い」。
林 幸弘

まずは、少し歴史をさかのぼって、『伊藤レポート』誕生の背景について伺いたいと思います。日本企業は“利益の落伍者”という印象的な記述もありましたが、どのような背景でメッセージを投げかけようとお考えになったのでしょうか。

伊藤 邦雄
伊藤

『伊藤レポート』のプロジェクトが始まったのは2013年7月でしたが、私の中に問題意識が芽生えたのは、もっと前のこと。1980年代後半までさかのぼります。

林 幸弘

バブル経済絶頂の頃ですね。

伊藤 邦雄
伊藤

当時、私はアメリカ・シリコンバレーのスタンフォード大学で研究員を務めていました。日本企業がアメリカで大型買収を行っていた時代ですね。ソニー(株)がコロンビアピクチャーズを、パナソニック(株)(当時、松下電器産業(株))がユニバーサル(当時、MCA)を、三菱地所(株)がロックフェラーセンターを、といったように、日本企業がアメリカを凌駕したような気になっていた。でも、実際は違ったんです。現地で目にした『ウォール・ストリート・ジャーナル』の記事は、今でも印象に残っていますね。「日本企業の経営者は怖い。なぜなら、資本コスト意識がないからだ」と。尊敬からの怖さではなく、経営者としての知識・知恵がないゆえの怖さだったんです。

林 幸弘

私たちの認識とは、真逆だったのですね。

伊藤 邦雄
伊藤

当時、日本企業の経営者で、資本コストの概念を持っている人は少なかったんですよ。額面が50円だとして、2割配当で十分だといわれていたから配当額が10円。株価が1,000円だとしたら利回りは1%。株価がもっと高ければ、資金コストはそれ以下になる。だから、「買えるなら買え」というのが、当時の多くの経営者のスタンスでした。私は、そこに大きな問題意識を持っていましてね。アメリカから帰国した後、『通産研究レビュー』に「日本にバブル景気が起きて、弾けたのは、資本コストの概念がなかったからだ」という旨の論文を掲載し、警鐘を鳴らしたのです。そこに記したのが、まさに『伊藤レポート』で示した問題意識でした。当時は、一研究員の言うことでしかありませんでしたが、それが後の『伊藤レポート』プロジェクトで座長を任されることにつながっていくわけです。

日本に、革命が起きている。

日本に、革命が起きている。
林 幸弘

『伊藤レポート』が発表される20年以上前から、明確な問題意識を持たれていたのですね。『伊藤レポート』発表後の反響は、非常に大きかったのではないでしょうか。

伊藤 邦雄
伊藤

『伊藤レポート』は海外からも大きな注目と期待を集めていましたし、発表後も想像以上の反響がありましたね。「利益の落伍者だった日本がやっと8%のリターンを求めてグローバルに追いつこうとし始めた」というブルームバーグの記事は、特に印象的でした。また、発表後には、いろいろな講演に招かれたのですが、海外の投資家の態度が以前とはまるで違うんです。海外の投資家たちが日本で講演を真剣に聞く光景なんて見たことがなかったのですが、講演が終わってからも列ができ、名刺交換をして、議論を交わすことが当たり前になっていました。彼らが何を言ったかというと、「日本はレボリューションが起こっているんじゃないか」と。こちらとしては、変革しているつもりはあったけれど、革命が起こっているなんて思ってもいなかった。ところが、彼らはそう捉えていたんです。

林 幸弘

「怖い」と侮っていた日本が変わろうとしている。まさに、革命ですよね。

伊藤 邦雄
伊藤

『伊藤レポート』をきっかけに、多くのアクションが生まれましたね。その象徴的な事例が、議決権行使に際して、機関投資家に助言を行う機関であるISS(Institutional Shareholder Services)が、『伊藤レポート』に触れてROE基準を示したことでした。「3年間の平均ROEが5%に達していなければ、経営者の選任議案に×をつけます」と言うんです。ガバナンスの1丁目1番地である経営者の選任に、ROEという概念が入った。これは、日本企業にバランスシートの思考を組み込んだという見方もできると思っています。少なくとも、ROEに関する認知度は飛躍的に高まりました。

林 幸弘

『伊藤レポート』では“不都合な真実”という言葉も使われていましたが、そこに切り込んでいったことに大きな意味がありますよね。経営者としては、耳の痛い話だったと思いますが。

伊藤 邦雄
伊藤

25年間、平均株価水準が地を這い続けている。こんな国は、歴史上どこにも存在しないんです。機関投資家が企業にお金を出して、企業がそれを事業投資に使って、インカムを投資家に返す。いわゆるインベストメントチェーンの中で投資されるお金は、機関投資家のものではありません。その一番の出し手は、言うまでもなく、私たち国民です。年金という形でね。つまり、平均株価水準が地を這い続けていることは、国民の富がどんどん萎んでいることを示しているわけです。『伊藤レポート』は、個々の企業の変革を促すものですが、プロジェクトメンバーの誰もが「このままでは国富が減少してしまう」という問題意識を抱いていました。少し話が脱線してしまうけれど、2020年に総理大臣が変わる時、多くの評論家が「前首相は株価を少し上げただけ」なんて言っていたでしょう? 冗談ではないですよね。株価が上がったということは、国民の富が増えたということ。こうした人たちが評論家を気取っているなんて、本当に恐ろしい国だなと思いますよ。

林 幸弘

考えてみれば、そのとおりですよね。

伊藤 邦雄
伊藤

ROEを上げて、投資家と対話し、企業価値を向上させる。そして、その価値が社会や多くの人々に還元される。『伊藤レポート』が示した問題意識は、SDGsの精神にもつながっていきます。それまでは、どうしても資本市場や株式市場は色眼鏡で見られがちであったし、投資家と経営者も敵対関係になりがちでした。敵対関係からは何の価値も生まれませんから、これは、とても不幸な歴史なんです。投資家とコラボレーションを行って、一緒に企業価値向上に向けて協働する。「敵対」というネガティブマインドから、「協調・協創」というポジティブマインドに変えていくことも、私たちの大きな狙いでしたね。

林 幸弘

『伊藤レポート』では、企業と投資家との対話、エンゲージメントの重要性を指摘しています。

伊藤 邦雄
伊藤

対話と会話は根本的に違う。私はそう考えています。対話は多様性が前提なんですよ。価値観が違う人とコミュニケーションを交わせば、違いがわかる。違いを理解できれば、それがどこから生まれているのかを考える。そして、その違いやギャップを埋めていく……。対話は、お互いをクリエイティブに変えていくものです。語り合いながら問題を解決したり、顕在化しなかったアイデアがふつふつと浮かび上がってきたり。それがとても大事でね。これは、日本に足りなかった部分だと思っています。日本の教育現場では、一方通行のコミュニケーションが中心だった。教師と生徒の間で対話が存在していたのかというと、そうではありませんよね。

「根本からの変容」を迫られている。

「根本からの変容」を迫られている。
林 幸弘

現在では、非財務情報やESGに配慮した企業が評価されるようになりました。日本の経営は、新たなパラダイムを迎えていると思います。ただ、1990年代にアメリカのシンクタンク、ブルッキングス研究所で行われた実証研究では、企業価値の大宗を占めていた有形資産が無形資産に変わっていくというデータが出ていますね。

伊藤 邦雄
伊藤

この実証データを経営者が真摯に受け止めて、無形資産投資を強化していったのがアメリカなんですよ。日本は、そのエビデンスをあまり気にすることなく、相変わらず「モノづくり」という道をひたすら進んでいきました。アメリカでは1992年の段階で有形資産投資率と無形資産投資率が逆転していますが、日本ではいまだに有形資産投資率の方が高いですよね。

林 幸弘

無形資産といっても、そこにはさまざまなファクターが存在します。何から着手していいのかわからないという側面もあると思います。

伊藤 邦雄
伊藤

私は2000年3月に、『コーポレートブランド経営』(日本経済新聞出版)という本を出しています。無形資産と言うのは簡単だけれど、ものすごく幅広い。それでは経営に実装することはできないので、無形資産の中で特に大きいものとして、ブランドという概念を打ち出したんです。それまでは、“商品ブランド”という概念はあったものの、“コーポレートブランド”という概念は存在しなかった。無形資産を金融価値の対象として見るようになったアメリカのエビデンスを踏まえたことはもちろんですが、研究主査として参画した「21世紀の経営人事を考える会」(一般社団法人企業研究会主宰)での学びがそこに至る大きな理由になったんです。

林 幸弘

どういった研究を行う会だったのですか?

伊藤 邦雄
伊藤

日本的経営が立ち行かなくなったので、これからの経営を考えましょうと。で、おおむね議論は2つに分かれていました。一つは、米国型経営。日本型経営が破綻したのだから、当然の方向性ですよね。もう一つは、アメリカの真似をいくらしたところでそれ以上にはいかない、日本的な部分も必要だという論調でした。ただ、私自身は第三の道を探るしかないな、と考えていたんです。そうしたら、ある時、研究会の座長を務めていた花王(株)元会長の常盤文克さんが「いやあ、驚きました」と、こう切り出しましてね。欧州を訪問し、いくつかの会社で「何のために、この会社で働いているのですか」と社員に聞いたところ、「私はこの会社のブランドを守るために働いている」と誰もが同じ回答をしたと言うんです。その時にインスパイアされたんですよ。そうか、アメリカでもない、日本でもない。欧州にモデルがあるんだ、と。日本の場合、同じ質問された時に、そういう答えはまず出てこないでしょう?

林 幸弘

そうですね。それ以前に、回答にも困りそうな気がします。

伊藤 邦雄
伊藤

「いやいや、給料をもらわなきゃ生きていけませんし……」なんて言葉で濁しそうですよね。素直に、この会社のブランドのためにとは出てきません。では、なぜ、欧州の人たちがそう答えたのか。それは、会社のブランドが自分の幸せにつながるからなんです。だから、コーポレートブランドを守る。仮に、日本で「この会社のブランドを守るために」と答えたとすると、企業戦士、モーレツサラリーマンといった感じで、自分を犠牲にしているような感じに受け取られてしまう。けれど、欧州の人たちは違います。コーポレートブランドという無形資産が自身のwell-beingにつながっているんですよ。

林 幸弘

欧州の人たちは、自分たちの誇らしさみたいなものを大事にしていますよね。

伊藤 邦雄
伊藤

ブランドがしっかりしていれば、いろいろなステークホルダーから、「いい会社に勤めていますね」と称えられ、家族からも感謝され、同窓会に行っても鼻が高い。私も、経営において「社員の幸せ」が重要だとよく語っていたのですが、日本企業はその重要性を直感的にわかっていなかったのかもしれません。「社員の幸せを高めるために」という問いの立て方をしてきた企業は、決して多くはないはずですから。

林 幸弘

企業と投資家が対話を重ねることで、企業価値を向上させる。その企業価値がさまざまな人たちの幸せに還元されていく。すべてはつながっているんですね。

伊藤 邦雄
伊藤

そうです。少し話が反れますが、ファイナンスに携わる方たちから「なぜ、人材版なんですか?」という疑問の声を聞くことがあったのですが、私にとってはごく自然なことだったんですよ。すべてはつながっていますからね。さらに、多くの企業で選抜型研修をコーディネートしてきた経験も大きかったですね。日本の企業人のクセやビヘイビア(ふるまい)を熟知していたし、人材に対する経営者の姿勢や人事部の実態も理解していましたから。

林 幸弘

『伊藤レポート』によって、日本の経営は新たな共通言語を手に入れたと思います。ただ、ROE一つとっても、数字自体に意識が行き過ぎると、短期志向に陥ってしまう恐れがありますね。

伊藤 邦雄
伊藤

それ自体を目的にするとダメですよね。でも、そうなってしまうのは、「why」を語っていないからですよね。これまでの日本企業って、上司から何かを言われた時に、「なぜ、やるんですか?」とは絶対に言わないでしょ。異を唱える奴なんて、とんでもないとなるわけだから。

林 幸弘

そうした一面はありますね。同質化された組織の中では、異物と捉えられてしまうことが多い。

伊藤 邦雄
伊藤

では、なぜ、経営者は「why」を語っていなかったのか。その根本的理由は、多様性なんですよ。みんな同質的だから、あえて語る必要がないと思っていたわけです。昨今、多くの企業で多様性が大事だと言っているけれど、その根本を理解していないとパーセンテージだけの取り組みになってしまいます。それは、違うでしょう、と。今、日本企業の経営は、根本的なところで変容を迫られているんです。

「根本からの変容」を迫られている。

次回『日本企業よ、変革の「勇気」を。』に続く…

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