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Vol.6|流行りの経営理論の源流にある日本の経営技術④:ティール組織と日本的経営|経営コンセプトの力|「理論」と「実践」の接続|Link and Motivation Inc.
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Vol.6|流行りの経営理論の源流にある日本の経営技術④:ティール組織と日本的経営|経営コンセプトの力

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  • 岩尾 俊兵

    岩尾 俊兵Shumpei Iwao
    慶應義塾大学 商学部 准教授

    慶應義塾大学商学部卒業、東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了、東京大学博士(経営学)。第73回義塾賞、第36回・第37回組織学会高宮賞、第22回日本生産管理学会賞など受賞。近刊に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)。

日本の組織はなぜ力を失ってしまったのか、それは組織内で働く個人にとってどんな問題を引き起こすのか、そこから抜け出すヒントはどこにあるのか。連載6回目となる今回は、新しい時代の組織形態として一世を風靡した「ティール組織」の一部は過去の日本的経営に類似していることを指摘したうえで、日本企業が本当に反省すべきはむしろ「過去の強みを捨て続けていること」ではないかと議論する。

ティール組織の流行

ティール組織の流行

日本において、2018年からしばらくの間、ティール組織という言葉が流行した時期があった。「時期があった」と表現しているのは、筆者の周辺で(研究、実務どちらにおいても)ティール組織という言葉を聞くことが最近は少なくなっているためだ。ティール組織はコンサルティング業界から出てきた経営コンセプトであり、学術的な研究はそれほどなされていない。ティール組織は新時代の組織形態だと喧伝された概念だ。ティールという単語は「青緑」「鴨の羽色」を指す。色の名前が組織の形容詞になっているのは、ティール組織の提唱者であるフレデリック・ラルーが著書の中で既存の組織形態を色で例えたことに由来する。なお、ラルーは、日本企業である(株)オズビジョンをティール組織の先進事例の一つとして挙げている。

ラルーによれば、これまでの組織は力による支配(いわば動物の群れ)であるレッド組織から、官僚制組織であるアンバーやオレンジ、家族的なグリーンというように発展してきたという。発展してきたといっても、現在でも例えばマフィアなどにレッド組織がみられたり、アンバーやオレンジな組織はたくさんあったりするので、共存してきたというほうが正しいだろう。そして、その先にはティールという色の組織があるというのである。

ホールネス/セルフマネジメントと日本的経営

ホールネス/セルフマネジメントと日本的経営

ティール組織では、組織がまるで生命体や自己組織系のように、仕事ごとに人が集まって目的を達成し、また分散する。そして、その前提として組織の構成員によるセルフマネジメントが行われ、組織の構成員は仕事だけのつきあいでなく人間としての全体が組織に受け入れられ、組織はまたビジョンを進化させ続けるという。ティール組織においては、もはやトップダウン型のいわゆる「マネジメント」は必要なくなる。……こう言われると、なんだか高尚なイメージになるだろう。

しかし、よく考えてみれば、従業員が自ら創造性を発揮するとか、自分の職場の成績に責任を持って自分でマネジメントするとか、幅広く権限が委譲される現場主義とか、仕事人としてだけでなく家庭人としてあるいは趣味人として全人的に組織に受け入れられるとか、それらがすべて組織の創造性を高めるとか、職務を明確に分担せずに助け合うとか、必要に応じて人が集まってきてチームになるといったことは、一昔前の日本企業なら当たり前のことではないだろうか。あるいは、これらを当たり前にこなす日本企業は比較的多かったのではないだろうか。

実は、同じようなことが、ある時期のアメリカにおいて主張されたことがあった。明確に職務を区切って機械的に成果管理するアメリカ式に対して、その反対のセオリーZ型の管理があるとされたのである。セオリーZ型の企業では、休日のゴルフや仕事の後の飲み会などでノン・ヒエラルキーな関係が構築され、ヒエラルキー型の組織のデメリットが補完される。そう、まさしく典型的な日本企業である。セオリーZは日系人であるウィリアム・オオウチによって提唱され、1970年代に主に学界にて、1980年代にはアメリカ社会一般に受け入れられていった。セオリーZを提唱した書籍はベストセラーとなったほどだ。セオリーZを持ち出すまでもなく、日本の製造現場にはティール組織的な要素が見出される。

日本の製造現場には多くの場合、提案箱が置かれ、従業員のアイデア募集が行われている。現場の班単位で責任と権限が分担され、幅広い権限移譲が行われる。職務は明確に定まらず、生産ラインのある工程が止まると、前後の作業者が駆けつけてチームになって問題を解決する。それで解決できなければ班長が、それで無理なら組長が手助けする。まさに、自己組織化である。工場単位で駅伝や運動会が開催され、組長の仕事は作業者の家庭の悩みを真摯に聞くなど人生相談に及ぶことも多い。

米国的経営組織への対案としての日本的経営組織とティール組織

米国的経営組織への対案としての日本的経営組織とティール組織

このことは、典型的アメリカ企業しか知らない人には信じられないことだ。まさに、組織の構成員が全人的(ホールネス)に組織に受け入れられている。そもそも、そうだからこそ、諸外国と違い、日本の大企業には終身雇用、年功制、企業別労働組合という日本的経営三種の神器があったのである。組織が構成員の人生に責任を持つから終身雇用だったし、権限移譲と相互の協力に基づいた能力を長い時間をかけて評価するために遅い昇進と年功制を用い、企業という共同体に自己の意見を反映させるために(業界別でなく)企業別の労働組合が存在している。

『ティール組織』の著者フレデリック・ラルーが見てきた組織は、ほぼアメリカ企業と欧米企業である。総じて言えば、それらの企業は官僚制組織であり、従業員は歯車という傾向が強い。そのため転職も多く、職務を明文化して業界ごとに労働組合を組織する必要があったのである。日本においても、ティール組織に熱狂する人には、外資系企業で働いていたり、日本企業であってもセオリーZ型ではないベンチャー企業などに属していたりする人が多いようである。

ティール組織が提案しているのは、アメリカ型企業への対案である。だとすれば、もとからアメリカ企業の対案であったような日本企業がそれを取り入れるというのは本末転倒である場合もあるだろう。実際に、セオリーZの流行という前例もあったことは頭に入れておいてよいだろう。ただし、日本企業も安心してはいられない。日本企業は、ここで述べたようなセオリーZ的な特徴を急速に失いつつあるためである。多くの企業で終身雇用は崩れ始め、全体性ではなく仕事の成果主義や能力主義が提唱され、労働組合などは有名無実化してきている。運動会や飲み会などは無駄だとされ、家庭のことは干渉しない、仕事は仕事という人が増えている。福利厚生費も減らされる一方だ。

そうだとすれば、ティール組織の流行は、日本的経営の三種の神器を知らない者による日本的経営への憧憬か、あるいは日本的経営を失いつつある日本企業に属する者の懐古主義に近いかもしれない。もし新時代の組織がティール組織的なものなのだとすれば、日本企業が日本的経営を失いつつあるのは、本当は時代に逆行しているのかもしれない。この点は、ティール組織が気づかせてくれる大切なことである。日本企業は自ら退行している可能性があるのだ。

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