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サイモン『経営行動』を読む:意思決定と限定された合理性|「理論」と「実践」の接続|Link and Motivation Inc.
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サイモン『経営行動』を読む:意思決定と限定された合理性

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  • 磯村 和人

    磯村 和人Kazuhito Isomura
    中央大学 理工学部ビジネスデータサイエンス学科教授

    京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Chester I. Barnard: Innovator of Organization Theory(Springer, 2023年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。

今回、意思決定と限定された合理性に関して、サイモンがどのように考えていたのかを明らかにするために、『経営行動』第1章から第5章までを検討する。伝統的なマネジメント理論の問題点を克服するため、サイモンは、意思決定の概念を中核にし、組織とマネジメントの理論を構築しようと考えている。意思決定は合理性と非合理性の境界にあり、合理性の限界に対処し、合理性を高めるために、組織にさまざまな仕組みをビルトインされていることが論じられている。

はじめに

前回、サイモンの意思決定と限定された合理性に関する理論を理解するための前提として、サイモンの研究業績が一般的にどのように評価されてきたのか、どのような研究者として理解されているのか、どのような研究背景をもっているのか、『経営行動』が初版から第4版まで版を重ねるなかでどのような変遷があったのかを検討した。それらを踏まえて、『経営行動』を理解する際に、論点になることをいくつか提示した。具体的には、サイモンは論理実証主義者なのか、事実前提と価値前提を明確に区別し、価値前提を切り捨てたのか、当初から限定された合理性について論じていたのか、人間の行動を比較的に単純化されたモデルで捉えようとしているのか、を挙げた。

今回は、『経営行動』を精読した上で、前回、提示した論点からどのようなことがいえるのかを検討する。今回の連載では、サイモンの意思決定と限定された合理性についてフォーカスしているので、意思決定の理論について中心的に論じている第1章から第5章を取り上げる。第6章から第11章については、意思決定の理論をベースにして、どのように組織をマネジメントしていくかが論じられているので、今回の連載ではそのスコープから外している。いずれ、新たな機会に論じることとしたい。組織とそのマネジメントについてはバーナードの概念を全面的に取り入れているので、バーナード理論とサイモン理論の類似点と相違点について、十分に見直す必要があると考えられる。

バーナードの『経営者の役割』とサイモンの『経営行動』は、組織理論、マネジメント理論の研究者を志す大学院生にとって、しばしばリーディングリストに挙げられる必読文献である(Barnard, 1938, Simon, 1947)。バーナードの『経営者の役割』は、多くの読者に難解と知られている。同じように、サイモンの『経営行動』は、繰り返しが多く、議論も行ったり来たりし、決して読みやすい著書ではなく、十分に理解されているとはいえない。そのために、図表1のように、サイモンの『経営行動』を理解する上で、ポイントになることを提示しておくことにする。こうしたことを念頭において読んでいくと、サイモンがどのようなことを考えていたのか、比較的、理解しやすくなるだろう。

図表1 サイモン『経営行動』を理解するポイント

意思決定理論のための基本的フレームワーク

本節では、サイモン『経営行動』の第1章から第3章まで見ていくことにする。ここで、サイモンは自らの意思決定理論がどのようなものであるかを説明している。

(1)第1章「意思決定と経営組織」

第1章では、イントロダクションとして、サイモンによる問題提起が行われ、『経営行動』の基本的枠組が示される。

サイモンは、これまでの伝統的なマネジメント理論では、管理は物事を成し遂げる技法として論じられ、人びとの集団から一致した行為を確保するための管理原則が示されてきたと指摘する。しかし、サイモンは、これらのマネジメント理論が行為を導く選択のプロセスには十分に注意を払われてこなかったという問題提起を行っている。決定することと行為することは一体としてあるにもかかわらず、意思決定はトップによる組織全体の政策形成に限定されると考えられ、決定プロセスの重要性が十分に認識されてこなかったと述べている。しかし、サイモンは、実際には、決定プロセスは管理組織全体に浸透していることを強調している。

組織の目的を遂行する具体的な仕事は、オペレーションを担当するボトムで行われている。組織の管理者は、実際に組織の仕事を行う人びとに対して影響を与えることで、実行を確かなものにしようとする。つまり、管理者は、行動が調整された有効なパターンになるように影響を与えることを仕事にしている。意思決定とは、行為を導く選択のプロセスを意味している。したがって、意思決定は、成果につながる実行に影響を与える。選択には、意識的なもの、無意識的なものが含まれる。選択と決定は、基本的には同義語と見なされ、代替可能な行為群から1つの行為を選択することである。意思決定は合目的であり、基本的に目標や目的を志向している。合目的であることによって、行動パターンに統合がもたらされる。管理が物事を成し遂げることであるならば、目的はどのようなことを行うべきかを決定する主要な基準になっている。

目的と手段は連鎖され、手段は目的に適する行動を意味する。一般的には、価値判断は最終目的につながり、事実判断は目標の実行につながると考えられる。しかし、2つを明確に区分することはできず、一体化している場合も存在する。サイモンが第3章で論じるように、事実前提と価値前提を便宜的に分けることができるものの、明確には分けることができないことに注意をうながしている。決定にはハイアラーキーがあり、合目的性の概念には決定のハイアラーキーの考えが含まれる。行動が一般的な目標や目的に導かれる限りで合目的である。あらかじめ選ばれた目標達成に貢献する代替案を選択する限りで合理的であるといえる。

しかし、決定は妥協であり、目標の完全無欠の達成はない。どのような決定を行うかは、環境に強く依存し、利用できる代替案は限定され、目的達成度にも限度がある。ここで、サイモンは、意思決定について満足水準という用語を採用していないが、実際には、満足できる水準を選択することを明確に論じているといえる。経営行動は集団活動であり、経営プロセスは、意思決定プロセスであるとしている。組織のメンバーの決定における一定の要素を分離していき、これらの要素を選択し、決定し、それらを組織のメンバーに伝えるための正規の組織手続きを確立する。つまり、経営プロセスは専門化され、分業化され、水平的分業と垂直的分業が必要になることを論じている。そのなかでは、調整、専門的能力、責任が求められる。

経営プロセスは、行動に影響を与えることである。その様式は、第1に、心的状態を確立することであり、一体化、忠誠心、能率が深く関係する、第2に、組織で決められたことを課すことであり、オーソリティに関わるとしている。組織に影響を与えていくマネジメントとして、第7章以降で論じる権限、組織への忠誠心、能率の基準、助言と情報、訓練を取り上げて、その内容について概要を示している。最後に、なぜ、個人がこれらの組織の影響を受けるのかを説明する組織の均衡について論じている。組織の均衡については、第6章で説明することのサマリーとなっている。

このように、第1章では、伝統的なマネジメント理論の問題点を指摘し、決定することと実行することが一体としてあり、意思決定を手がかりにマネジメントを考察することの重要性を示している。その上で、意思決定は、組織で行われる行動に影響を与えることであり、それがどのように行われるかを論じることで経営プロセスを示すことにつながるというサイモンによる研究の基本的枠組が説明される。

(2)第2章「経営理論の若干の問題点」

ここでは、伝統的なマネジメント理論の抱えている問題点について、具体的に取り上げて、検討し、『経営行動』における方法論的基礎を構築している。

サイモンは、伝統的なマネジメント理論で提示されている管理原則に対して、一般には広く受け入れられているものの、実際には相互に矛盾し、ある種の格言のようなものになっていると批判する。具体的には、専門化に関する原則、オーソリティのハイアラーキーに関する原則、統制の範囲に関する原則、目的、過程、場所を分けることに関する原則という4つの代表的な管理原則を取り上げている。サイモンは、各管理原則が経営能率を高めているかという観点から見直すと、対立や矛盾があるとして、その問題点を指摘している。

専門化の原則についていうと、例えば、場所による専門化、あるいは、機能による専門化を採用することができる。具体例として、看護師を地区ごとに配置させる場合と機能別に看護師を配置させる場合を挙げている。しかし、専門化の原則は、この2つの選択肢のうちのどちらを選ぶと、経営能率を高めるかを何も説明しないとサイモンは指摘する。

命令の一元性については、絶対的なものであり、決して破られないように見える。というのも、この原則は、組織のメンバーを2人以上の上位者から命令を受ける地位におくことは望ましくないことを主張しているからである。しかし、現実には、専門化の原則に基づいて、組織は水平的に垂直的に分業化され、必ずしも専門知識を有しない問題については、助言や情報サービスを他の部門から受けるように、組織は設計されている。このように、サイモンは、命令の一元性は権限のコンフリクトを解決するためには有効であっても、専門化の原則と対立し、必ずしも経営能率を高めるとはいえないとしている。

統制の範囲に関する原則では、一般的には、その範囲を少人数に限定すると、経営能率が高まると理解されている。しかし、統制の範囲を限定すると、階層は増え、階層が増えていくと、経営能率は下がると考えられている。したがって、組織の階層を最小限にしていくことで、経営能率を高めようとすると、この原則に反して、統制の範囲を広げないといけないという矛盾に陥ってしまう。

目的別、過程別、顧客別、場所別に組織を専門化していくと、一般的には、経営能率が上がると想定されている。しかし、目的、過程、顧客、場所は、組織編成において相互に競合する原理であり、1つを採用すると、別の組織において利益を損なう可能性を含んでいる。例えば、ある自治体が目的別に組織を編成し、医師、法律家、技師などの専門家をバラバラに配置すると、ある過程を遂行する組織にとっては、運用することが難しくなるという事態が起きる。サイモンは、さらに、保険部門の組織の例を挙げて、目的別と顧客別の組織についても非効率が生まれることを指摘している。

専門化が十分に機能しない原因として、サイモンは、いくつか挙げている。例えば、目的に対する手段としての過程が展開され、目的と手段が分離されることによって、目的と手段のハイアラーキーが生み出される。しかし、実際には、目的と手段というのは明確に分離することはできず、本質的な違いが存在しているわけではなく、程度の差があるだけである。目的と手段という主要用語にはあいまいさが残っているために、混乱がもたらされる。また、専門化のための基準が欠如していることも問題になる。競合する4つの専門化の根拠をどれがどの特定の状況に適用されるか、しばしば、何の指針も与えられていないとしている。

以上のような議論を踏まえて、サイモンは、経営状況を記述し、それらを診断するための基準として管理原則を採用すると、相互に矛盾するにもかかわらず、単一の原則を選択し、経営状況に適用し、1つの勧告に示すという問題を含んでいると指摘している。その結果、別の原則を採用すると、別の勧告を導くことになり、相互に矛盾を引き起こすとしている。したがって、サイモンは、マネジメント理論を有効なアプローチにするためには、「関連する診断的基準の全てをあきらかにすること、この全ての基準によってそれぞれの経営の状況を分析すること、そして、通常よくあるようにいくつかの基準が互いに矛盾する場合には、それらに重みをどのように割り当てるかを決めるために研究を始めること、が必要とされる」(Simon, 1997, 訳書62ページ)と述べている。

伝統的なマネジメント理論の問題点を克服するためには、サイモンは、まず、経営状況を記述するためには、マネジメント理論の「最初の仕事は、経営状況をこの理論に適切な言葉で記述することを可能にすることだろう一組の概念を開発することである」(Simon, 1997, 訳書63ページ)と述べている。サイモンは、組織についての科学的に適切な記述を行うということは、「組織のなかの各人に、その人がどんな意思決定を行うかということと、これらの意思決定のそれぞれを行うさいにその人が受ける影響とを、できる限り明確に示す記述である」(Simon, 1997, 訳書63ページ)と主張する。伝統的なマネジメント理論では、職能の配分とオーソリティの公式の構造についての記述に限られ、その他の形態の組織影響、あるいは、コミュニケーションのシステムについてはほとんど注意が払われていない。サイモンは、ほとんどの経営に関する記述は、皮相的で、単純化されすぎていて、現実性に欠けると考えている。

続いて、経営状況をどのように診断するのか。この点については、「能率の原則」を活用して、最大の成果を生み、最小のコストで行うという能率の原則から評価できるとしている。つまり、経済人仮説、あるいは、経営人仮説からアプローチすればいいと論じている。この能率の原則を実行する上では、能力の限界があり、①正しい意思決定をする能力の限界、②合理性の限界があるとしている。これに対して、合理性の限界では、①技能、習慣、反射運動による制限、②価値および意思決定に影響を与える目的の認識による制限、③職務に関連する知識の程度による制限を挙げている。合理性の限界は固定されたものではなく、3つの制約によってつねに変化する可能性を含んでいる。

このように、サイモンは、新しい用語、概念を開発すること、合理性の限界について研究すること、目的を具体的な言葉で定義し、実験を統制し、他の要因を切り離すことによって、より現実に即したマネジメント理論を構築すべきとして、意思決定とその合理性の限界という視点から新たな理論を作ることを目指すことを宣言する。

(3)第3章「意思決定における事実と価値」

第1章でも論じられていたように、決定には事実的と価値的と呼ばれる2種類の要素が含まれる。事実的と価値的の要素に分けることによって、①正しい管理的決定とは何か、②政策の問題と管理の問題の区別を明らかにすることができるようになる。こうしたことを論じるためには、哲学の1学派である論理的実証主義を出発点とすることができ、決定の理論に対する意味を検討できるとしている。事実的命題というのは、観察しうる世界とその動き方についての説明であり、真か偽かを判定できる。しかし、決定自体は事実的命題以上の何かであるものの、正しいか、正しくないかは判定できないわけではない。また、決定は命令的な性質ももっていて、ということは、倫理的な内容をもっているので、正しさを経験的、合理的にはテストすることができない。

そうはいうものの、反対に、決定は倫理的な要素のみではなく、事実的な要素を含んでいる。したがって、何かしら、正しいか、正しくないかを判定することはできる。つまり、決定は事実的要素と価値的要素という両方を含んでいる。目的が与えられるのなら、手段が正しいかどうかを決めることができる。ただし、程度の問題であり、目的、手段ともに混合的な性格をもっていて、つねに判断が介入してくる。倫理的要素と事実的要素の分離は、ほんの少しできるだけである。評価には、つねに両方の要素が含まれる。政策と管理は、決定することと実行することと分けられるが、実際には明確に分けることはできない。政治と行政、立法者と行政者という具合に、政治学や行政学では分けられるが、民間の企業においても同様な問題が存在しているということができる。

合理性の限界とその可能性

合理性の限界とその可能性

(1)第4章「経営行動における合理性」

サイモンは、経営管理上の決定の正しさは相対的な事柄であり、ある目的を達成するために、適切な手段を選択したならば、その決定は正しいということができるという。したがって、基本的に、合理的な経営者は、そのような手段の選択にたずさわっている。能率、あるいは、調整によって、有効な手段を選択することを合理性という。第4章では、人間の心には基本的に触れられず、第5章で意思決定をする人間の心のなかで何が行われているかが論じられる。

意思決定とは、いくつかの代替案から1つを選択することを意味する。事実と価値は、手段と目的に関係し、目的と手段のハイアラーキーがあり、目的と手段の連鎖がある。目的によって行動は統合され、一貫したものになる。しかし、目的と手段の連鎖からなるハイアラーキーは、実際には、整然としたものではなく、通常、からみ合ったクモの巣状になっている。それは、「より正確にいえば、弱くまたは不完全にしか互いに結ばれていない各要素の、まとまりのない集合体である」(Simon, 1997, 訳書113ページ)とされる。

目的と手段のハイアラーキーという図式には限界があり、合理的な行動を分析するには十分なものではない。第1に、特定の代替案の選択による目的の達成は、他の行動を選択することによって達成されたであろう他の諸目的のことを考慮していないので、しばしば不完全で、不正確な記述になる。第2に、実際の状況のもとでは、手段を目的から完全に分離することは不可能である。というのは、代替案として選択される手段は、必ずしも価値中立的ではないからである。第3に、目的と手段という用語は、意思決定において果たす時間という要素の役割をあいまいにする傾向がある。時間という要素は必ず意思決定に入り込み、新しい状況を生み出し、後続する決定に影響を与えてくる。行動している主体、あるいは、数多くのそうした個人で構成される組織は、非常に多くの代替的行動を取り扱っている。それぞれの瞬間において実際に行動として採用される代替案の1つひとつが、実行のために選択される過程である。サイモンは、好ましい結果を導く一連の行動を選択することを戦略と呼んでいる。

しかし、完全に合理的な決定をすることは不可能である。図表2のように、完全に合理的な決定を行うには、①すべての代替案を列挙すること、②すべての結果を確定すること、③結果の集合を比較評価すること、が必要になる。しかし、実際には、それらを行うことは不可能である。

図表2 合理的な決定を可能にする条件

なぜか。時間的な拘束があり、完全な知識も存在していない。民間と公的機関でも違いがあり、民間では、自分が下した決定の結果を調整することを基本的に考えるだけでよいが、公的機関はさまざまなステークホルダーを考慮に入れなければならない。閉ざされた状況を想定できる科学とは異なり、開かれた状況で他の影響をつねに考えなければならない実務では想定できないことがさまざまに含まれる。集団と個人でも違いがある。個人がゲーム理論的な状況におかれ、しかも、競争ゲームでは、合理的な決定が難しくなり、選択は不安定化する。これに対して、集団における協力ゲームでは、チームワークが働き、選択は安定化される。その場合、協力をワークさせるには、目的を共有し、お互いに知識をもつことが必要になる。

意思決定は、諸結果間の選好を定める過程であり、価値づけることを意味している。各戦略に対して、独自の結果の集合が対応し、合理的な行動には、選好の順序にしたがって諸結果がリストされる。さらに、そのリストで最上位にある代替案に対応する戦略が選択される。このとき、諸価値を比較評価し、選択する。しかし、手段と目的の区別は、必ずしも、事実と目的の区別には対応していないので、いかなる場合にも、価値を評価するということを避けることができない。

こうした議論を踏まえて、合理性を定義することができるものの、明確性はなく、単純ではないとされる。サイモンは、「合理性とは、それによって行動の諸結果を評価できるなんらかの価値システムの観点から、望ましい行動の代替的選択肢を選択することに関係している」(Simon, 1997, 訳書129ページ)と述べている。合理的な行動には、意識的な場合と無意識的な場合があり、所与の状況のもとで、所与の価値を極大にするために正しい行動を採用しているのなら、その決定は、客観的に合理的といえるとしている。

(2)第5章「経営決定の心理学」

1人の孤立した個人では、極めて合理性の程度の高い行動をとることは不可能となる。というのは、探索すべき代替案は非常に多く、それらを評価するために必要になる情報も膨大であり、客観的な合理性を実現するには、大きな困難をともなうからである。個人の選択は、所与の環境のなかで行われ、所与のものによって定められた限界内においてのみ適応したものである。選択の心理的環境、つまり、所与のものが偶然的な方法で決められると、個人の行動は、大人であれ、子供であれ、ごくわずかなパターンや統一性しか示さないと考えられる。しかし、実際には、より高度な統一性や合理性を達成することは可能である。個人は、基本的には、ある刺激や情報が影響を与える状況のなかにおかれる。そこでは、組織が介在し、組織メンバーの決定を組織目的に適合させ、決定を正しく行うために必要な情報を提供する心理的環境のなかにおいてくれるからである。

第5章では、経営決定の心理学という視点から、①個人の行動が、なぜ、合理性の基準にほど遠いところにとどまらざるを得ないのか、その理由を記述し、②いかに心理的環境が形成されるのかを記述し、③選択の心理的環境を確立する際に組織が果たす役割を研究することを目指している。サイモンは、第4章での議論を踏まえて、客観的な合理性を以下のように定義する:行動する主体が、①決定の前に、行動の代替的選択肢をパノラマのように概観し、②個々の選択に続いて起こる諸結果の複合体全体を考慮し、③全ての代替的選択肢から1つを選び出す基準としての価値システムを用いる、ことによって、自らのすべての行動を統合されたパターンへと形づくること。

しかし、図表3のように、この合理性を実現することを難しくする原因がいくつも存在している。第一に、知識の不完全性がある。完全な知識と予測を必要とするが、実際には持ち合わせていない。第二に、予測の困難性があり、価値は、不完全にしか予測できない。第三に、すべての代替案から選択する必要があるが、可能な行動のなかでいくつか代替案を示すことができるだけである。行動の可能性には範囲がある。

図表3 合理性の限界を生み出す原因

実際の行動が合理性の規範から逸脱していることを考えるためには、個人の目的志向行動に対する理解を深める必要があり、サイモンは、この問題を論じている。順応性には、探索と調査が必要であり、試行錯誤を通じた学習と経験の蓄積が求められる。サイモンは、ジェームズ、デューイらのプラグマティズムに依拠しながら、ヒューリスティックな方法を採用することの重要性を指摘している。また、コミュニケーションを活用できると、探索や調査を節約できるようになる。記憶をいつでも引き出せるようにする。習慣は、有用な行動パターンを生み出し、組織のルーティンを形成する。さらに、刺激の役割として、単に刺激―反応ではなく、時間的な余裕があると、躊躇―選択という対応も可能になる。トールマンに依拠しながら、サイモンは、人間が対応できる事柄に集中し、選択的な反応をとることを説明している。こうして、個人の行動は、基本的に、合理性と非合理性の境界を探ることが可能になることを主張している。

また、行動持続のメカニズムへの理解も重要となる。一つの方向に進むと、活動は持続する。特に、埋没コストから修正が難しくなる可能性がある。行動の統合には、①実体的計画立案、②手続的計画立案、③計画の遂行(実行)がある。計画立案から執行的決定に向けて、抽象から具体へと向かっていく。現在の行動は、決定によって決められ、将来を制約する。将来の決定は、現在の決定から導かれる。決定には複合性があり、①決定を導く基準、②決定に関連する経験的知識、③特定の代替案の選択が組み合わされる。計画立案のプロセスで、基準が選ばれ、状況を通じて特定化される。

さらに、組織が果たす役割を検討することが重要になる。社会的組織の機能として、安定的な期待を形成でき、中間的目的を提供し、合理性の土台になる。完璧には遠いけれども、ニーズに対する高い適応性をもっている。伝統的な理論との対比でいうと、組織の影響メカニズムを見ていくことが重要である。仕事を分割し、手続きを確立し、権限を配分し、コミュニケーションの経路を形成し、メンバーを教化、訓練する。組織による調整は、自己調整として、機能し、組織のメンバーの活動に調整をもたらす。計画的でもなく、明示的な命令でもない調整が可能になる。集団の代替案選択と個人のそれとは異なっている。計画を立て、伝達し、計画に基づく行動をする意思があることを相互に確認することができる。

このように、第5章では、心理学の視点から、合理性の限界と可能性について考察されている。サイモンが、トールマンの新行動主義心理学やジェームズ、デューイらのプラグマティズムに強く影響を受けていることがわかる。集団の計画、コミュニケーションと組織の役割(価値、知識、行動)は、別の形での合理性を可能にする。刺激―反応が多いが、これを避けて、(刺激―)決定―適応を行う。決定の前提を与えることが計画に結びつく。これらの議論については、特に、トールマンへの言及(Simon, 1997, 訳書179ページ, 注1)があり、心理学に依拠していることがわかる。「人間と動物の違いは、本質的なものというよりは程度の問題であるだろう。たとえば、Tolmanは、ネズミがかなりの一般的能力を有していることを示している」(Simon, 1997, 訳書180ページ、注7)と指摘している。

おわりに

おわりに

サイモンが『経営行動』において、どのような意思決定の理論を構築し、限定された合理性について議論しているか、第1章から第5章まで検討してきた。サイモンは、経営を考察するに当たって、選択という視点が伝統的なマネジメント理論において無視されてきたという問題提起を行っている。伝統的なマネジメント理論は、専門化、命令の一元制、統制の範囲などの管理原則を示し、それらに基づいて、組織のマネジメントを遂行できるとしているものの、実際には、管理原則は相互に矛盾し、具体的な経営状況においては、どのような組織を構築し、どのようにマネジメントを執行していくのか、明確には示すことができないと批判をしている。マネジメントに対して科学的にアプローチするためには、経営状況を科学的に記述し、診断する必要があるとしている。そのため、サイモンは、事実前提と価値前提という考え方を導入し、何が正しい意思決定かを判断できるようにし、政策的なことと管理的なことを分けることを提案する。しかしながら、実際には、事実と価値は明確に分離することはできず、政策と管理の違いも現実には明確ではないことを指摘することを忘れていない。

こうした認識を踏まえると、完全なる合理性は、基本的には不可能となる。しかし、サイモンは、ここでとどまるのではなく、合理性と非合理性の境界において、どのようにして合理性を追求しているか、がマネジメントの中心的な課題になることを論じている。完全なる合理性は実現することは不可能であっても、事実的なことに対しては正しいか、正しくないかを判断することができる。価値的なことに対しては、正しいか、正しくないかを科学的には判断できないが、目的を達成していく上で、手段が正しいか、正しくないかを判断することは可能になる。合理性の限界を生み出すのは、知識の制約、価値による制約、すべての代替案を導くことの不可能性がある。しかし、そうした制約が存在していても、組織が提供するさまざまな仕組みを活用することで、合理性に近づくことは可能になる。刺激―反応というプロセスに、躊躇―選択というプロセスが入ることで、環境への適応をより統合的に行うことが可能となるとして、マネジメントにおいては組織による意思決定がそのことを可能にすると考えている。このように、サイモンは、『経営行動』において、意思決定と合理性の限界という視点からマネジメントを論じることを模索したといえるだろう。

最後に、冒頭で提起した論点から、サイモンの考えを検討しておこう。サイモンは、論理実証主義者なのかという点については、論理実証主義の考え方を活用し、事実前提に基づけば、正しいか、そうでないかを判定できるとしているだけで、必ずしも論理実正主義者とはいい切れない。事実前提と価値前提を完全に分離し、価値前提を切り捨てたという解釈については、そのような解釈は必ずしも適当ではない。実際、サイモンは、インタビューに応えて、「合理的であることが価値を無視することを意味しない」(Golembiewski, 1988, p. 293)と述べている。

また、限定された合理性という用語自体は使っていないものの、合理性の限界を論じるなかで、組織の役割とマネジメントのあり方を考察しているので、当初から研究プランは固まっていたといえる。人間の行動モデルについては、トールマンの新行動主義、ジェームズとデューイのプラグマティズムに基づいて、刺激と反応というモデルに対して、環境に適応するなかで、選択というプロセスを入れ込むことを狙っていたことがわかる。サイモンの理論に造詣が深いスペンダーもトールマンの心理学、ジェームズ、デューイのプラグマティズムの影響に注目している(Spender, 2013)。サイモンがネズミの行動を分析するモデルと同様の比較的な単純なモデルを想定しているという点については、その通りであると考えられる。しかし、人間の選択プロセス自体はそう単純なものではなく、それだけをもって、サイモンの人間行動モデルを批判することは適切ではないだろう。

参考文献一覧

Barnard, C.I. (1938) The Functions of the Executive, Harvard University Press, Cambridge, MA (山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳『新訳 経営者の役割』ダイヤモンド社、1968年)
Golembiewski, R.T. (1988) Nobel Laureate Simon ‘Looks Back’: A Low-Frequency Mode, Public Administration Quarterly, 12 (3): 275-300
Simon, H.A.(1947, 1957, 1976, 1997)Administrative Behavior, Macmillan, New York, NY (松田武彦・高柳暁・二村敏子訳『経営行動』第2版、ダイヤモンド社、1965年、第3版、ダイヤモンド社、1989年、二村敏子・桑田耕太郎・高尾義明・西脇暢子・高柳美香訳『新版 経営行動』第4版、ダイヤモンド社、2009年)
Spender, J.C. (2013) Herbert Alexander Simon: Philosopher of the Organizational Life-World, in Witzel, M. and Warner, M. (eds.) The Oxford Handbook of Management Theorists, Oxford University Press, Oxford

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