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すべての組織にインクルージョンパワーを。~オムロン太陽の挑戦~

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  • 辻 潤一郎

    辻󠄀 潤一郎JUNICHIRO TSUJI
    オムロン太陽株式会社 代表取締役社長

    1986年、立石電機(現 オムロン)入社。エンジニアとして電子部品技術全般、商品開発を担当。携帯電話液晶用バックライトの開発に従事するなど、より良い社会を実現するイノベーションに挑む。香港デザインセンタの設立。グループ会社で技術、事業部運営、営業を担当した後、オムロン全電子部品のグローバル営業責任者を務める。2020年、オムロン太陽(株)に転籍。2022年12月より現職。先達から受け継いできた「一人も不幸な人がいない、全員が生きる喜びを感じられる社会を作る」という信念をオムロン太陽の現場で体現している。

  • 林 幸弘

    林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
    株式会社リンクアンドモチベーション
    モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
    「THE MEANING OF WORK」編集長

    早稲田大学政治経済学部卒業。2004年に(株)リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに携わるとともに、経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。

日本初の障がい者福祉工場として設立されたオムロン太陽は、50年の長きにわたって、障がいのある人とない人がともに働き、ともにお客さま・社会に貢献するという共生社会のモデルを体現してきた。その創意工夫に満ちた価値創造の現場は、障がい者雇用のあるべき姿はもちろん、D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)によるイノベーティブな組織づくりへのヒントを示してくれている。同社で代表取締役社長を務める辻󠄀潤一郎氏に話を伺い、「未来の組織づくり」の方向性を模索する。※現在はオムロン(株)の特例子会社


保護より機会を!熱い志が世界を変えた。

保護より機会を!熱い志が世界を変えた。
林 幸弘

まずは、オムロン太陽のルーツについて伺いたいと思います。

辻 潤一郎

すべての始まりは“日本パラリンピックの父”と呼ばれる中村裕博士でした。国立別府病院で整形外科科長を務めていた中村博士は、リハビリテーションの研究のため、1960年にイギリスに留学。そこで、スポーツを医療の中に取り入れ、機能回復に向けた訓練と治療で社会復帰していく場面を目の当たりにし、日本でもそれを実践したいと考えました。パラリンピックの開催は、そうした活動の象徴とも言えるものだったのでしょう。厚生省(現 厚生労働省)などの関係機関を訪れ、パラリンピックの開催を直談判していたそうです。

林 幸弘

その熱意は実を結び、東京でのパラリンピック開催が実現するわけですね。中村博士は選手団長も務められました。

辻 潤一郎

開催は実現したものの、中村博士の心は晴れなかったそうです。というのも、競技終了後、海外選手団が「初めて訪れる日本」を満喫しようと、銀座や新宿に繰り出していくのに対し、日本の選手たちはみんな宿舎に帰って、じっとしているだけでした。当時の社会では、障がい者に自立の機会が与えられることはありませんでした。一方で、海外の選手たちは、弁護士や医師などの職があり、お金も十分に持っていた。つまり、社会的に自立していたのです。このままではいけない。そんな想いが中村博士を突き動かしたのでしょうね。障がい者が当たり前に仕事ができる。自立する機会をつかみ取ることができる。そんな社会の実現に向けて、社会福祉法人太陽の家を設立、障がい者が仕事を通じて自立できる場をつくろうと考えたのです。中村博士は「No Charity, but a Chance!(保護より機会を!)」「世に心身障がい者はあっても、仕事に障がいはあり得ない」という名言を残していますが、その背景にはこうしたエピソードがあったのです。

企業は社会の公器。二人の想いが共鳴する。

企業は社会の公器。二人の想いが共鳴する。
林 幸弘

まさに、ソーシャルアントレプレナーですね。そこには、熱い志があった。

辻 潤一郎

そうですね。ただ、障がい者だけで実績も経験もなく始めましたので、設立当時はかなり苦労したようです。「これは大手企業の力を借りなければならない」と、メーカーを中心に企業を回り、協力を依頼しましたが、すべての企業に断られてしまった。当時、障がい者を雇うことに対する抵抗感は非常に強いものだったのです。

林 幸弘

そうした中、オムロン(当時、立石電機)創業者・立石一真氏との運命的な出会いを果たすことになるのですね。

辻 潤一郎

パラリンピック誘致の際に、縁のあった方から「立石電機の立石一真という人物なら力になってくれるかもしれない」と薦められたそうです。そこで、「企業は社会の公器である」と考える立石一真と中村博士の志が重なり合い、オムロン太陽が誕生することになります。

林 幸弘

社会への純粋な想いからの行動だったわけですね。利益ばかりを追求していては、絶対にできない決断です。

辻 潤一郎

「ほんまかいな?」と思いますよね。私もその一人でした(笑)。私は立石一真に何か別の目的があったのではないかと勘ぐって、いろいろな文献や背景にあった社会情勢などを調べたのですが、それらしい理由は何も出てきませんでした。いわゆるニクソンショック※1の影響で、景気もそれほどよくはなかったし、国内に新たな生産拠点を複数立ち上げるなど、生産に困っている様子もなかった。純粋な想いから来る決断だったと、あらためて認識できました。立石一真は「機械にできることは機械に任せ、人間はより創造的な分野で活動を楽しむべきである」という理念を持っていましたので、障がい者が活躍できる生産ラインを実現できれば、それは、そうでない人にとっても価値のあるものになるという狙いはあったように思います。

林 幸弘

中村博士と立石一真氏。二人の出会いから誕生したオムロン太陽は、1年目から黒字を計上したと伺いました。

辻 潤一郎

「この機会を逃せば、自立の機会が失われてしまう」。それくらい強い想いだったのだと推察できます。1年目を黒字で終えた中村博士や社員は、税務署からもらった納税証明書を額に入れて飾ったり、神棚にも飾ったそうです。税金を使われる側から、納める側になった。この事実は、大きな変化であり、彼らにとって何よりの誇りでもありました。従業員たちも源泉徴収票を片手に、車いすで飲み屋に繰り出したそうですよ。

林 幸弘

慈善ではなく、自立の機会が従業員の皆さんの人生を変えたのですね。

辻 潤一郎

彼らの努力は、「しばらくは赤字だろう」と考えていた立石一真を大きく驚かせるものでしたし、その現場には大手企業の経営者が数多く訪れ、感動することになります。オムロン太陽から始まった「障がい者活躍の場」は、ソニー(株)や本田技研工業(株)、三菱商事(株)、(株)デンソーなどの企業へと広がっていったのです。

※1 1971年、当時の米大統領リチャード・ニクソンが金とドルの交換停止を突然発表したことより、世界経済が混乱したこと。「ドル・ショック」とも呼ばれる。

できる仕事を探さず、できるように変える。

できる仕事を探さず、できるように変える。
林 幸弘

現在のオムロン太陽は、障がいのある人とそうでない人がともに働き、価値を創造する企業になっていますね。

辻 潤一郎

従業員73名(2024年6月1日現在)のうち、障がい者が約半数を占めています。創業当初は障がいのある従業員のみの会社でしたが、「隔離されて仕事をしているのでは真の自立とは言えない」と考えた中村博士は方針を転換し、障がいの有無にかかわらず、ともに価値創造に挑む場を実現させたのです。オムロン太陽の大きな特長は、雇用する量だけでなく、仕事の質も担保していることです。特例子会社の中には、本業とは全く異なる仕事を中心におこなっている会社も多いですが、当社の工場では障がいのある従業員も、そうでない従業員も同じ仕事をしています。

林 幸弘

とてつもなく大きな違いですね。「義務」からの雇用ではなく、しっかりと「戦力」として活躍してもらう。これは、働いている皆さんのやりがいも大きく変わってきますね。

辻 潤一郎

それを可能にしているのが、オムロン太陽が標榜する「ユニバーサルものづくり」です。障がい者にもできる仕事を探すのではなく、できるようにするためにどうするかを考え、治具や設備を工夫することで、誰にでもものづくりができるラインを実現する。要は、仕事のやり方を変えるのです。この発想が大きな違いを生み出していることは間違いありません。

林 幸弘

オムロン太陽の工場の各種ラインでは、数々の工夫や発明によって、誰もが価値を創造できる基盤が整えられている。その光景を目の当たりにした時は、本当に感動しました。

辻 潤一郎

例えば、リレーソケットを作成する時に、プラスチックのベース部品に金属の部品をはめ込む作業が存在します。片手で作業する人と両手で作業する人には当然、生産性に差が出ますが、治具を工夫することで、その作業を片手でも簡単にできるようにすれば、両手で作業する人と同じスピード・精度が出せるようになります。機会を公平にしてからが私たちのものづくりであり、評価のスタートになっていきます。

林 幸弘

エクイティーがしっかりと担保されているからこそ、多様な人が活躍していけるわけですね。

辻 潤一郎

さらに言えば、その治具を利用することで、障がいのない人の生産性も上がっているんですよ。車いすの方が操作できるように、危険な時に手元のブレーキで止められる台車をはじめ、オムロン太陽の現場には数多くの工夫や発明がちりばめられています。そして、その総数はここ数年で1,500以上に上ります。それらが、障がいのある人だけでなく、すべての従業員のパフォーマンスにつながっている。多様な個性が輝く基盤をつくることができれば、生産性やコスト、品質にも好影響がある。私たちはD&Iの力を体感で理解しているんですよ。

林 幸弘

「ユニバーサルものづくり」を推進するうえで、重視していることはありますか。

辻 潤一郎

「ハード(治具・設備)」「ハート(相互理解)」「ソフト(仕組み・制度)」の3つをポイントに挙げています。特に重視しているのが、一緒に働く人たちの相互理解を育むことです。それぞれの苦手なところを理解し、カバーし合う。そして、それぞれが強みを活かす。ハートを重視した運営によって、自分がマイノリティーであると絶対に感じさせない。そこが大切なのだと思っています。

林 幸弘

互いに理解し合い、公平な機会をつくり出す。障がい者の活躍に限った話ではなく、すべての組織づくりに関わる重要なポイントですね。

辻 潤一郎

障がいのある人の中には、自分の弱みや気持ちを開示することが苦手な特性を持っている人がいます。その方々の苦手を少しでも解消するため、当社工場の一つのラインでは、自分の心身の状態をアイコンで伝える掲示板をつくり、相互理解を深めるという取り組みが行われています。腰痛がひどかったら、あらかじめ用意された「腰が痛い」というマグネットを掲示板に貼る。心が沈んでいたら、「元気がない」というマグネットを貼るといった具合ですね。それによって、互いの状況を思いやり、コミュニケーションをとり、支え合っていくアクションが生まれます。

林 幸弘

そこまで互いの理解が進んでいる職場は、なかなかないと思います。

辻 潤一郎

どんな職場であっても、互いをしっかりと理解し合うのは困難です。だからこそ、「言っても大丈夫なんだ」という心理的安全性を守ることが何より大切なのだと考えています。自分の状況や弱さを開示することで、しっかりとしたサポートを得られる。そのための改善策につながり、メリットを享受できる。そうした前例をつくることができれば、すべての従業員が積極的にコミュニケーションをとってくれるようになりますから。

革新・改善を可視化する経営指標。

革新・改善を可視化する経営指標。
林 幸弘

オムロン太陽の経営には、どのような特徴があるのでしょうか。

辻 潤一郎

オムロン太陽では、「ユニバーサルものづくり」を可視化する「ユニもの率」という指標をKPIに掲げています。縦軸に工程を置き、横軸に「脳機能」と「身体機能」の障がいを置く。その工程がどのような人にできるかを「○」「×」で示したシンプルな指標です。どれだけ「×」を「○」にできたかを評価の基準にして、「ユニバーサルものづくり」をさらに進化させていく。それが生産性・品質の向上とコスト削減につながり、ひいては会社の成長にもつながっていくという考え方です。それぞれのチーム、一人ひとりの従業員が改善活動に打ち込み、「×」を「○」にできた人は、障がい者が実際に働いていなくても働けるようになったということで評価する。その結果が、先ほどお話しした1,500以上のアイデアにつながっていくのです。

林 幸弘

「ユニバーサルものづくり」が多様な人材が活躍する基盤となり、その革新・改善が価値であり、企業の成長につながる。これ以上ない経営の指針になりますね。「ユニもの率」を見ていると、かなり細かく工程を分類していることが印象的です。

辻 潤一郎

よく「この仕事はあの人じゃないとできない」「あの人がいないと回らない」などといわれますが、どんなにクリエイティブな仕事でも、属人的になっている部分って、必ずあります。「ユニバーサルものづくり」とは、誰でもできる環境を実現することですから、業務を細かく因数分解して、「どこができているのか」「できないところをできるようにするにはどうしたらいいのか」を突き詰めていくことで、属人性から解放されたラインが実現することになるんです。誰にでも、安定的に稼働できる。常に生産性が高く、求められる品質を満たすことができる。オムロン太陽が生み出した生産体制は、経営者にとって、これ以上なく心強いものだと断言できます。

義務ではなく、投資として考える。

義務ではなく、投資として考える。
林 幸弘

障害者法定雇用率は2024年4月の改正で2.5%となり、2026年7月からは2.7%に引き上げられることが決まっています。厚生労働省からは、量だけでなく質の向上も求められており、各企業でも大きな課題になっていると言えるでしょう。ただ、実情を見てみると、先ほど辻󠄀さんが話されたとおり、間接的な仕事や本業とはまったく異なる仕事をしているケースも多い。障がい者が生き生きと働き、かつ企業にとっても確かな力になる。そうした形を実現するには、障がい者雇用を本業のバリューチェーンに組み込み、人的資本へと変えていくことが必要となります。

辻 潤一郎

まずは、障がい者雇用を「義務」としてではなく、「投資」として捉えることです。義務から生じるコストと投資の違いは、リターンがあるかないか。そのリターンが得られるように、会社側がさまざまな取り組みをしていく必要があると思います。何だか特別なことのように聞こえるかもしれませんが、これって企業が新卒採用の社員にしている当たり前のことなんですよ。オフィスや福利厚生を充実させて、優秀な人に将来のリターンを信じて入社してもらおうとする。まだ戦力になっていない人たちに対して、手厚い研修を提供する。それを会社側が責任を持って取り組んでいるわけですよね。障がい者に対し、それをできずにいるのは、リターンを信じ切れていないからだと思うんです。私たちはそれらの取り組みが大きなリターンになることを経験できているので、まったく違和感がありません。

林 幸弘

言われてみれば、そのとおりです。人材を資本と考え、そのパフォーマンスを最大化させる取り組みを行う。障がい者雇用においても、基本的なことは変わらないのですね。

辻 潤一郎

そうですね。そのうえで、重要になってくるのが、先ほどからお話ししている「できる仕事を探すのではなく、今の仕事のやり方を変える」ことです。「できる仕事がないから」と障がい者雇用を推進できていない企業が多々存在すると思いますが、それは今の環境を変えずに障がい者ができる仕事だけを探そうとしているからだと思います。「できない」を「できる」にするにはどうすればいいかを考えればいい。そうすれば、必ず大きなリターンを得ることができるはずです。

林 幸弘

そのための方法論については、「ユニバーサルものづくり」の事例が大きく参考になりますね。

辻 潤一郎

言われてみればそのとおりですが、それは、私たちが手がける製品や仕事上の特性があるからできることだと考える人も多いと思います。確かに親和性は高いのかもしれませんが、当社では、ものづくり以外の事務作業も細かく因数分解し、誰にでもできる環境をつくる取り組みを進めています。具体例を挙げると、オムロン太陽には、県内の小学校や各企業から、年間5,000人ほどの見学者が訪れます。そのナビゲーターを務めているのは現場の従業員なのですが、「覚えることが苦手だ」と言っていた障がいのある従業員も、積極的にその役割にチャレンジしてくれているんです。それを可能にしたのは、業務を因数分解し、マニュアル化したことでした。見学に訪れた人からいただく感謝の手紙を読んで、従業員にはさらなるモチベーションが生まれています。

林 幸弘

「できないから」「難しいから」と言っているだけでは、何も変わりません。できるようにするには、どうすればいいだろう。その問いが、イノベーションの始まりになります。

辻 潤一郎

例えば、同じものづくりでも、重工業・建設の世界では、「車いすで現場にいるなんて、危ないからできません」なんて思われるかも知れないけれど、危険なのは健常者も同じですよね。むしろ、車いすの人でも安全な現場をつくることができれば、そのメリットを誰もが享受できるようになるはずなんです。当然、すべての作業の実現は難しいですが、まずは簡単なことからでもできることはあると思います。

D&Iの実効性は現場が教えてくれる。

D&Iの実効性は現場が教えてくれる。
林 幸弘

立石一真氏らが提唱した「SINIC(サイニック)理論※2」では、2025年から心の豊かさを求める価値観が高まり、自分らしさの発揮と他者との共生が両立する「自律社会」が到来するとされています。一人ひとりの多様な従業員が周囲と共生しながら自分らしく活躍するオムロン太陽は、その象徴だと言えるのではないでしょうか。

辻 潤一郎

そう言っていただけると、うれしいですね。オムロン太陽には、先達から受け継いできた「一人も不幸な人がいない、全員が生きる喜びを感じられる社会を作る」という信念があります。そして、私たちはその信念を貫くことで、多様性がもたらす価値を体感することができています。D&Iが持つ力には計り知れないものがある。私はそう考えているんです。それは、日本の社会の変遷を見てみると、はっきりとわかります。例えば、明治維新。それまでは鎖国によって、日本人しかいなかった社会が、黒船が来航し多くの外国人が訪れたことで、変革を遂げた。これって、一種のD&Iだと思うんです。

林 幸弘

そうかもしれませんね。D&Iが革新を生む原動力になっている。その可能性というか、価値を信じられている人はまだ少ない気がします。

辻 潤一郎

私たちオムロン太陽も、最初から狙って、今の価値を体現したわけではないんです。互いを理解し、思いやり、どうやってできるようにしようかと考えた結果、たまたまD&Iがもたらす価値を体感できた。その力を知っているから、可能性を信じることができるから、さまざまな取り組みにチャレンジしていけるんです。

林 幸弘

体感できたというのは大きいですね。「D&Iは大事だ」「取り組まなければならない」と頭ではわかっていても、その重要性を理解するのはなかなか難しい。私自身、D&Iの本質を理解できたのは、オムロン太陽の現場を見たことがきっかけだったと思います。

辻 潤一郎

実際にD&Iが確かな価値をもたらしている現場を見てみないと、わからないことがあるんですよね。だからこそ、オムロン太陽には多くの企業経営者・D&I担当者が見学に訪れていますし、同じ別府市にある立命館アジア太平洋大学(APU)との産学連携によって、新たな研修プログラムの開発も進めているんです。この記事を読んでくださっている読者の皆さまにも、ぜひ一度、オムロン太陽を訪問していただきたいですね。その価値や取り組みを体感することで、見えてくる世界が大きく変わってくると思いますから。

林 幸弘

多様な個人の幸せが、社会の豊かさとリンクする。そんな社会が到来するのが楽しみで仕方ありません。

辻 潤一郎

SINIC理論では、現在の「最適化社会」を個人に合わせた情報や機能を選択できる社会としていますが、それが実現する前、2000年代前半には「ユビキタス社会※3」というキーワードが盛んに登場していましたよね。けれど、それがほぼ実現した今、「ユビキタス社会」という言葉を耳にする機会はまったくなくなりました。多様な一人ひとりの個人が生き生きと活躍し、それが社会の豊かさにつながっていく。そんな社会が実現すれば、「D&I」という言葉も使われなくなるのかもしれません。

※2 SINIC(Seed-Innovation to Need-Impetus Cyclic evolution)理論:オムロン(株)創業者・立石一真らが1970年の国際未来学会で発表した未来予測理論。科学・技術・社会が相互に影響を与え合いながら発展していくことを基本的な考え方とする。

※3 ユビキタス社会:いつでも、どこでも、何でも、誰でもネットワークにつながることにより、さまざまなサービスが提供され、人々の生活をより豊かにする社会。

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