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組織の自律性を生かすマネジメントを探る|「理論」と「実践」の接続|Link and Motivation Inc.
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組織の自律性を生かすマネジメントを探る

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  • 磯村 和人

    磯村 和人Kazuhito Isomura
    中央大学 理工学部ビジネスデータサイエンス学科教授

    京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Organization Theory by Chester Barnard: An Introduction (Springer, 2020年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。

前回、『経営者の役割』を世に問うてから10年、バーナードが『組織と管理』を出版し、側生組織とステータス・システムという2つの組織概念を新たに導入し、組織理論を発展させたことを論じた。それでは、組織理論の拡張と合わせて、バーナードは、マネジメント理論を発展させていないのだろうか。今回、バーナード研究の第一人者である磯村和人教授によるOrganization Theory by Chester Barnard: An IntroductionとManagement Theory by Chester Barnard: An Introductionから、組織の自律性に着目した組織概念をベースに、バーナードがどのようなマネジメント理論の可能性を探っていたのかを検討する。

マネジメント理論を拡張する

マネジメント理論を拡張する

前回、バーナードは、『経営者の役割』を出版して以降も、自らの組織のマネジメントに関わる経験を踏まえて、『組織と管理』を出版し、側生組織とステータス・システムという新しい組織概念を追加したことを論じた。バーナードは、組織理論をベースに、マネジメント理論を展開していることから、組織理論の拡張に合わせて、新たなマネジメント理論の可能性を探っていたと考えられる。

実際、1956年に書かれた『経営者の役割』の日本語版への序文で、「1938年以来の私の経験からみれば、当時書いたところにほとんど変更を加える必要がないと思われる。もっとも公式組織におけるステータス・システムや私が側生組織と呼んだものに若干付言してもっと明らかにすべきであった。このような拡充の一部は私の『組織と管理』のなかに含まれている。しかし非常に重大な一つの欠陥は、そのときもいまも、責任の問題を扱わなかったことである。権威を論ずれば、当然、はるかに重要な、しかし、あまり理解されていない委任、それの責任の問題、責任が重くなるにつれて委任と矛盾すること、権威と責任との従属関係や、責任の分散、伸縮性および釣合いのとれた創意を促進することの重要性などを明瞭に議論すべきだった」(バーナード, 1968, pp. 35-36)と述べている。

このように、組織理論については、『組織と管理』において『経営者の役割』を補完して、拡張を図ることができたものの、マネジメント理論に関わる責任については十分に拡張を図ることのないままになっていることを告白している。バーナードは、責任の委任について十分に議論できなかったことをよほど残念に考えていたのか、1961年、彼の死の2カ月前にウォルフによって行われたインタビューでも同じような趣旨の発言をしている。「私の本の最大の欠点は、責任と責任の委任の問題を正しく取り扱っていないということです。副次的な主題である権威にあまりにも力点を置いています。ところで、実業界でのすべての教育、軍や大学でのたいていの教育は、私の観点からみて誤っています。今の私にとって二次的、派生的と思われる権威に重点が置かれています」(Wolf, 1973, p.15)。さらに、バーナードは、「もし私がまだ元気で、やる気があるのなら、次にやってみたいのは、責任の問題を取り扱うことです。責任とは何か、誰が責任にかかわるのか、委任の重要性、委任が権威の問題に先立たねばならない理由、などを」と述べている(Wolf, 1973, p. 23)。

実際、バーナード研究の第一人者である飯野は、バーナードが権威受容説から責任優先説へとフォーカスをシフトさせていることを丹念に辿っている(飯野, 1978, 1992)。したがって、今回、組織理論の拡張に合わせて、バーナードがどのようなマネジメント理論を構想しているのかを探る。

権威から責任へ

管理過程学派を中心とする伝統理論は、基本的に組織を専門化された組織構造として捉え、管理者は組織から権威を付与され、命令を出せばそのまま実行されることを想定している。これに対して、図表1のように、バーナードは、仕事の組織をベースにする組織構造論から人間行動のシステムとして公式組織と非公式組織を捉えようとし、その調整の1つとして権威を中心に据え、その場合に権威が受容される側面を強調した。さらに、人間行動のシステムは基本的に自律性を有しているので、ここに注目する場合、組織の調整機能として、権威よりはむしろ責任へとフォーカスを移す必要性があったと考えられる。人間行動のシステムから組織自律性を重視するなかで、バーナードがどのようにマネジメント理論を拡張しようとしていたのかを検討する。

組織構造から人間行動のシステムへ

組織構造から人間行動のシステムへ

バーナードは、決して責任の委任を軽視していたわけではなく、『経営者の役割』を執筆する以前からしばしば責任の委任が個人の発展を可能にすること、責任の配分と委任によって全体主義と個人主義の対立を調整することが可能であることを論じている(Barnard, 1934, 1936)。しかし、『経営者の役割』においては、組織を調整する要素として専門化、誘因、権威とコミュニケーション、意思決定を挙げているが、ここで責任については論じられていない。責任については、第4部「協働システムにおける組織の機能」を論じる第17章「管理責任の性質」においてリーダーシップと関連づけながら論じられている。権威については、主観的側面と客観的側面からアプローチしているものの、責任については主として道徳準則の対立という主観的側面を中心に議論している。飯野(1978, 1992)が指摘するように、組織の調整機能として責任を論じる場合には、その客観的側面を論じる必要があるだろう。

伝統的には、専門化された仕事の組織として静態的な組織構造が組織と理解されてきた。これに対して、バーナードは、公式組織、あるいは、非公式組織の概念を提示することによって、組織を人間行動のシステムとして捉え、組織の動態的側面を論じることを可能にしている。しかし、いうまでもなく、バーナードは、伝統的な組織観を全面的に否定したわけではない。バーナードは、協働システム、公式組織、非公式組織、複合公式組織といういくつかの組織概念を示すことで、組織理論の体系化を図っている。

しかし、『経営者の役割』において、協働システム概念から公式組織概念を抽出し、いったん抽象化を図った後に、具象化を進めるプロセスでは、集団として組織概念である単位組織概念を採用し、単位組織の複合化された複合公式組織の概念を示すなかで、伝統的な組織観に回帰しているようにも見える。例えば、ウィリアムソンは、ノーベル経済学賞受賞講義において、市場を考察したハイエクと対比させて、バーナードを階層組織の理論を展開したものとして評価している(Williamson, 2009)。

もっとも、権威の理論では、仕事の組織と人間行動のシステムとしての組織という両面からバーナードがアプローチしていることがよくわかる。組織構造を組織と捉える伝統理論では、権威は組織から管理者に付与される命令の権利として理解され、しばしば日本語ではこうした公式的権威は権限と呼ばれる。上位権威説を図解すると、図表2のように示すことができる。

上位権威説

バーナードは、権威を主観的側面と客観的側面があるとして、主観的な側面を権威の本質と捉えている。下位者が上位者の命令を受容することで権威が確立すると考えることから、バーナードが権威受容説を提唱したとされている。客観的な側面は、主としてコミュニケーションの性格に関わっている。コミュニケーション・システムのなかには、コミュニケーション・センターである職位があり、職位を占める管理者がいる。管理者による命令によって組織の調整が可能になることを客観的な権威であると論じている。権威の客観的側面は職位の権威を意味し、これは、いわゆる上位権威説と同じように見える。

しかし、バーナードの場合、あくまで下位者が上位者の命令が受容されることによって権威が確立されていると考えるので、主観的側面が権威の本質である。というのは、職位の権威に基づいて、命令が出されても必ずしも命令が受容されるとは限らないからである。命令が受容されない場合、権威は否定される。上位者が受容される命令を慎重に選択していると、つねに上位者の命令が受容されるように見える。そこで、バーナードは、上位者の命令がつねに受け入れられる状態を上位権威のフィクションと呼んでいる。図表3のように、組織から命令を出す権利として権威を授与されるとともに、個人が実際に命令を受容することによって、権威は確立され、上位権威が存在しているかのように現象する。

権威受容説と上位権威のフィクション

このように、バーナードは、組織構造と人間行動のシステムという両面から組織にアプローチしていることが権威の理論によく表れている。そして、バーナードは、その本質を人間行動のシステムとしての組織に見ていることは明らかである。

バーナードは、専門化、誘因、コミュニケーションと権威、意思決定が組織の調整プロセスとして捉え、その中心に権威があることを論じている。「ちょっと考えれば、組織におけるコミュニケーションという要素はただ一部だけ権威に関係しているにすぎないようにみえるかもしれない。しかしもっと徹底的に考えれば、コミュニケーション、権威、専門化および目的は、すべて調整に包含される側面であることがわかるであろう。すべてのコミュニケーションは、目的の定式化、行為を調整する命令の伝達に関係し、それゆえコミュニケーションは協働意欲をもつ人々の伝達能力に依存している。権威は協働システムの要求に服従しようとする個人の意欲と能力に与えられた別名である。権威は、一方では協働システムの、他方では個人の、技術的、社会的制約から生じてくる。したがって社会に権威の状態は、個人の発展と社会の技術的、社会的状況との双方の尺度である」(Barnard, 1938, p. 184)。

このように、『経営者の役割』では、組織の調整の要として権威を見ている。しかし、バーナードは、組織の自律性を考えると、そのフォーカスを責任にシフトさせる必要性を認識するようになったと考えられる。この流れを以下では辿ってみる。

組織の自律性

組織の自律性

バーナードは、『経営者の役割』を出版した際にすでに組織が自律的であることを論じている。しかし、NGOであり、ボランティアを中心とするUSO(United Service Organizations)という組織を経営する経験などを踏まえて、ますます組織が自律的であることへの認識を深め、権威から責任へとフォーカスをシフトさせることの必要性を理解したと考えられる。まずは、『経営者の役割』において、バーナードが組織の自律性についてどのように議論しているかを確認する。

『経営者の役割』第3章では、協働システムが個人のもつ個人目的とは異なる全体目的をもつことで、独立し、自律した存在になることを指摘している。協働システムが発展し、それを独自に維持する機関として管理者と管理組織をもつようになると、さらにその自律性を高めることを論じている。第6章では、バーナードは、組織を生き物と見なすことができるという考え方を示している。公式組織の概念を定義した上で、「われわれが組織と呼ぶ協働のシステムを社会的創造物、すなわち、『生き物』とみなすのであり、それは、ちょうど、個々の人間をこれを分析すれば部分システムの複合体であるが、これを構成する部分システムの合計---『合計』という言葉がこの関連で何らかの意味をもつとすれば---とは異なるものとみなすのと同様である」(Barnard, 1938, p.79-80)と述べている。

第15章では、「管理職能は協働努力のシステムを管理することであるということさえ正しくない。協働努力のシステムは全体として自ら管理するものであって、その一部である管理組織によって管理されるわけではない」(Barnard, 1938, p. 216)と指摘し、組織それ自体が自らを管理するという考え方を示している。したがって、管理職能とは、自律的に自らを管理する組織それ自体を維持する作用であると論じている。第16章では、協働システム自体が創造した効用を、物的経済、個人的経済、社会的経済の間で変換、交換し、最終的には、組織経済に蓄積することによって、組織の全体性、自律性を確保しているとしている。

このように、『経営者の役割』において、バーナードは、組織が全体性をもつことで、独立した存在になり、自律性を有するという基本的な認識をもっていることは確認できる。

続いて、なぜ、バーナードが『経営者の役割』の出版後にますます組織の自律性への認識を深めたのかを論じる。それには2つのきっかけがあったと考えられる。1つは、連載第4回で論じたように、1942から1945年までUSOの会長職を務めたことが挙げられる。もう1つは、連載第6回で論じたように、ポランニーの自発的秩序に関する論文と著書に触れたことがある。

USOは、第2次世界大戦で戦う兵士たちにさまざまなサービスを提供するために、宗教団体を主とするボランティアによって構成される6つの組織を連合したものである。USOは、ボランティアによって構成される複数の組織の連合体とサービス提供を受ける軍当局との関係を調整する機関である。USOは、その活動を持続的にするためにつねに資金調達を図る必要があった。

USOはNGO(非政府組織)であり、バーナードが経営に関わった組織のなかでも際立った特徴があった。第1に、多数のボランティアの活動から構成される組織であること、第2に、ボランティアを中心とする組織であるので、経済的誘因ではなく、社会的誘因が重要になり、その運営には道徳的説得を主として活用する必要があること、第3に、6つのバラバラな組織の連合体なので、各活動においてはその自律性を尊重しつつ、全体組織として利害を調整する必要があること、最後に、全体組織としては、軍当局との調整を図るとともに、資金調達が中心的な業務となっていたこと、を挙げることができる。

このように、バーナードは、USOでは全組織が道徳的基礎のもとで運営され、権威ではなく、責任で動く組織であると理解し、こうした組織をマネジメントした経験が組織の自律性を考慮する必要性を高めたと考えられる。

組織自律性の重要性を認識するもう1つのきっかけは、ポランニーの自発的秩序に関する議論に触れたことである(磯村, 2022)。連載第6回でバーナードとポランニーの往復書簡を検討するなかで、バーナードは、ポランニーの“The Growth of Thought in Society”とハイエクの“Scientism of the study of society”を何度も読み、興味を覚えたと述べていることを明らかにしている(Polanyi, 1941; Hayek, 1942)。ポランニーから受けた影響を踏まえて、バーナードは、ポランニーに対して、Organization and Management(以下、O & M)の序文とこれに所収されている“On Planning for World Government”(以下、「世界政府」論文)において、ポランニーの考え方の一部を反映したことに触れている(Barnard, 1948)。また、ポランニーが『自由の論理』(Polanyi, 1951)を送ると、これに対してバーナードは謝意を示し、すでに三度読んだと述べている。公式組織の限界を考慮し、自発的組織の発展の必要性を論じたことを組織の一般理論への大いなる貢献であると指摘している。

このように、『経営者の役割』出版以降、USOにおける経験とポランニーの自発的秩序に関する理論に触発され、バーナードは組織自律性を考慮した組織観を強め、マネジメントについて、その調整機能として権威よりは責任を重視する必要性を認識するようになったと考えられる。以下では、『組織と管理』を見るなかで、その経緯を辿る。

『組織と管理』について見ると、組織の自律性への理解を深めることの重要性について繰り返し論じている。例えば、序において、「われわれは、社会の無数の変数間の複雑な相互作用の無意識的適応からのがれることができない。実際、大きい公式組織の管理における重要な技術は、集団が全体として、意識的統制なしに、状況にかなうように自律的に行動するよう、職員を訓練し、条件付け、選択することである。これが、教育の潜在的な目的である。しかし、われわれの大抵は、自律的適応をのがれえぬこととそのような適応の理論的根拠の両方を、おそらくは誤った知的プライド、あるいは、神秘主義のおそれのために、理解できないようである」(Barnard, 1948, p. iv)と述べている。公式組織では、複雑に関連し合う相互作用のなかで、自律的な調整が機能している。そのために、こうした機能が十分に生かせるように、組織の貢献者がこれに自律的に適応できるようにする必要性があると主張している。ここでは、注でパレート、ポランニー、ハイエクに言及している。

また、『組織と管理』第6章では、「社会的、政治的計画者が直面する最大の困難は、非公式組織のもつ、触知しえず、計りがたく、漠然とした力と慣性である」(Barnard, 1948, p.148)と指摘し、非公式組織の存在が計画を実現することを困難にし、組織自律性を生み出すという見解を示している。第7章では、バーバラ・ウートンの著書を書評するなかで、ハイエクに繰り返し言及している。バーナードは、「自由の最も一般的な条件は秩序である。かりに自然のなかに秩序がないとすれば、自然に適応することは不可能であると考えられる」(Barnard, 1948, pp. 192-193)と述べ、ハイエクの見解に同調している。非公式組織が無意識的な適応プロセスを生み出すこと、それらに組織の貢献者が自律的に適応できるようにするためには、秩序を生み出すことが必要であると論じている。

このように、『組織と管理』では、組織の自律性を意識し、バーナードは側生組織とステータス・システムという2つの新しい組織概念を導入している。組織自律性を明確に捉えるために、タテに連結する階層組織に対してヨコに連結する側生組織という新しい組織概念を取り入れたと考えられる。確かに、『経営者の役割』においても複合公式組織を論じた章において、このような2つの組織形態がありうることを指摘している。しかし、ヨコに連結する側生組織を明確に概念化したのは、『組織と管理』においてである。

側生組織は複数の組織が合意に基づいて調整された組織であり、USOはまさに複数の組織の結合体とした側生組織と理解される。バーナードが明確には示していないものの、USOの経験がこの組織概念を導入するきっかけとなったと考えられる。側生組織では、階層組織と比較すると、結合された複数の組織が共通目的によって調整されるというよりは、合意に基づいて調整される比較的に自律性をもって活動する。全体を統括する管理組織は、会議体として機能し、内部組織間と関連する外部組織との調整を行う。また、USOの場合には、全体組織を維持するためには、資金調達を行い、全体の活動を継続的に行うことをサポートする役割を果たしている。

ステータス・システムについては、機械的な組織構造においても組織自律性が機能していることを論じている。『経営者の役割』において、非公式管理組織について言及しているが、これをより本格的に論じたものと理解できる。一般的に、機械的な組織構造は、コミュニケーション、専門化、権威のシステムとして理解される。これらに対して、ステータス・システムとしても機能することを示すことで、非公式組織が果たす機能が組み入れられていることを論じたと理解できる。

実際に、ステータス・システムは、能力の差をもつ個人にその能力に応じたステータスを付与することで、資格認定する効果をもっている。個人のキャリアに一貫性を与えることで、アイデンティティを守り、ステータスを与え、保証することで、モチベーションを維持し、高めている。また、ステータスによる違いをつくることで、能力の異なる人びとを長期に協働させることを可能にしている。さらに、ステータスを失うことは個人の存在意義を否定することになるので、個人は責任を果たすことで、ステータスを維持しようとする。つまり、ステータス・システムは責任を育成する機能ももっている。

個人の能力差を生かす仕組みとして、ステータス・システムが専門化、コミュニケーション、権威のシステムのなかに組み入れられている。個人が組織との関係を深く結ぶことが可能になり、個人がより自律的に行動し、組織に貢献できるようになり、組織自律性を高めることにつながっているといえる。

権威から責任へ

権威から責任へ

バーナードは、さまざまな組織の経験を積み重ねるなかで、組織が自律性をもつという認識をより高めたと考えられる。それにつれて、『経営者の役割』において、組織の調整について権威を中心的に議論したものの、それと並行して、責任による調整について論じるべきだったと考えるようになったと推測される。権威よりは責任を重視する思考を跡づけるために、以下では、バーナードとアーウィックの論争、『経営者の哲学』に所収される「ハイネマン著『民主主義における官僚制』(書評)」と「ビジネスモラルの基本的情況」、『経営者のこころ』を取り上げて、権威と責任についてどのような議論をしているかを検討する。

バーナードは、アーウィックが「権威と責任は相関的であり、同範囲にあり、同等である」(Barnard, 1945, p. 257)という点を批判し、責任は命令する権威を超えること、全く命令の権威をもたないことにもかかわらず応答責任と結果責任を負わされていることがあることを指摘する。これに対して、アーウィックはすべての職位において責任と権威は対応すべきであるという主張を繰り返す(Urwick, 1952, p. 51-52)。具体例として、バーナードは営業部員が顧客に対する権威はないのに責任はあることを挙げている。しかし、これに対して、アーウィックは顧客が組織に含まれるという組織概念が異常に広すぎると反論している。この論争では、権威と責任の概念をめぐって行われたが、公式組織概念との関係で双方の見解が生まれていることがわかる。

続いて、「ハイネマン著『民主主義における官僚制』(書評)」での議論を整理する。バーナードは、ハイネマンが官僚制の指揮と統制について法律的で公式的な考えを採用していることを指摘している。その結果として、ハイネマンが管理行為の道徳的基盤を認めず、責任の問題を考察することを無視しているという。そして、伝統的な管理原則、「権威と責任は相応でなければならない」(Barnard, 1950, p.151)という考え方を承認していることに疑義を呈している。

バーナードは、こうした主張に対して反論を試みる。第1に、公式組織の仕事は、権威のない責任、権威より以上の責任、あるいは、権威を行使しないか、権威を当てにしない責任のもとで達成されることを指摘している。バーナードは、客観的には測定できないものの、権威と責任が同量であるという主張は経験と観察に反すると述べている。

第2に、経験のある有能な管理者は一般に権威を用いることを好まないという。「命令によって物事を為さしめれば、部下から責任を免除してしまい、行為の知的自由を制約するからであろう」(Barnard, 1950, p. 152)とその理由を説明している。また、「多くの場合、賢明な人は完全な責任を負わせるために、いかなる権威も用いずに責任を果たすことを好む。このように責任を果たす方法は、私たちがリーダーシップによって意味するもののなかに明らかに含まれている。最も単純な例としては、セールスマンの場合がある。彼は購入を強いる権威をもっていないが、販売責任を負わされている。」(Barnard, 1950, p. 152)と述べている。

第3に、権威の委任と責任の委任のパラドクスについて言及している。権威、責任のいずれを委任した場合でも、委任者は権威や責任を免除されたりはしない。委任は両者を拡大する効果をもっている。委任の効果とは、統制(権威の場合)と全問題の総計とは区別された特定の問題に対する責任を軽減させる。責任を委任しても相変わらず上位者は下位者を監督、指導、干渉する場合もあれば、ほとんど注意を払わずに任せる場合もある。権威を委任しても委任者は個々の特定の決定に対する責任は免れないのである。

図表4でそのイメージを示したように、バーナードは、客観的には測定できないものの、権威と責任は同量ではなく、責任の方が権威より大きいこと、責任よりも権威を活用すると行為者の裁量や自由を制限すること、責任の委任は上位者の責任を免除することではないことを論じている。

権威・責任同等と責任優先

『経営者の哲学』に所収される「ビジネスモラルの基本的情況」において、「組織は、慣習、文化様式、世界についての暗黙の仮説、深い信念、無意識の信仰を表現し、あるいは反映するのである。そしてそれらは、組織を主として自律的な道徳的制度たらしめ、その上に手段的な政治的、経済的、宗教的、あるいはその他の機能が積み重ねられ、あるいは、この制度からそれらの機能が発展してくるのである」(Barnard, 1958, p. 162)と述べている。つまり、バーナードは、組織というものがその活動を通じてさまざまな道徳を生み出し、それらによって自律的に調整される制度になると主張している。

また、この論文の結論部分では、「近年の戦争やわれわれが病的なまでに意識している多くの種類の対立にもかかわらず、実際は、巨大な大きさと複雑さとをもつ社会的行動のネットワークが、比較的過ちや失敗もなく、日ごとに、そして大いに自律的に維持されている、ということである。もっとも、ニュースや報道でわれわれの心を奪うものは、まったくといってよいほど過ちであり、失敗であるけれども」(Barnard, 1958, p. 178)と指摘している。さまざまな組織が発達し、相互に関係し合う社会が形成されるなかで、複雑にからみ合う組織のネットワークが自律的に維持されているという事実に注目している。

さらに、「イニシアティブと実際に責任ある行動とに欠くことのできない分権化と自律性の度合いを確保しながら、どのようにして諸活動の巨大なシステムに欠くべからざる程度の調整を確保するかという問題である。信頼できる行動を成しえない人びとに局地的な意思決定をゆだねられないことはほとんど明らかである。とはいうものの、もしそうできなければ、広大な領域にわたって適切な行動を確保するという、集中化された権限に課せられる負担は、事実上、遂行不能な負担である。統制の範囲は非常に限られているので、専門的な訓練方法と適切な観点の教導にもかかわらず、われわれが広く『責任感』と呼ぶ道徳感覚---それが教え込まれたものであろうと自発的なものであろうと---がなければ権限は十分に作用することができないであろう。責任は恣意的には委任できないのであり、それ故に、責任が進んで受け入れられない限り、高度に自律的行動は確保しえないのである」(Barnard, 1958, pp. 178-179)と述べている。多様な組織が複雑にからみ合う組織社会では、自律性が分権化と責任の委任によって可能になっていることを指摘している。

このように、「ビジネスモラルの基本情況」では、組織が自律的な道徳的制度となり、組織が生み出す道徳を人々が受け入れ、守ることで、組織が自律的に動くことが可能になることを明確に論じている。

最後に、『経営者のこころ』において、権威より責任を重視するようになった経緯、組織自律性についてどのように考えているか、バーナードの発言を見る。

バーナードは、権威よりも責任の重要性を認識する大きなきっかけになったのがUSOにおける経験であったことを率直に述べている。「私がこれまでにやった最も厄介な仕事の1つで、私が多くを学んだ、特に、権限のない責任について学んだ仕事は、第2次世界大戦中のUSOの会長職でした。それは非常に困難な仕事で、私は3年間その職にあったが、結局非常にうまくいきました。もっとも就任後の2、3ヵ月ころには完全に失敗するだろうと思っていました」(Wolf, 1973, p. 33)。USOは複数の組織の複合体であり、ボランティアを中心で動く組織であったので、権威は役に立たず、バラバラの意見をまとめるために、道徳的説得を主として活用したという。

USOでの経験をバーナードは以下のように述べている。「USOでの経験は真実私の現在の考えを発展させました!これは道徳的基礎のもとで本当に運営された事例です」(Wolf, 1973, p. 34)。道徳的基礎に基づく組織であるので、責任の重要性を深く認識することにつながったという。「それを動かすのには(責任の)受容という道徳的基礎に基づいてのみ可能でした。私は『あなたをこの責任者とする』ということができます。しかし、もしそれが受容されなければ、それについて私のできることはありません」(Wolf, 1973, p. 35)。

組織が道徳的コミットメントに基づいている場合、バーナードは、「そしてわれわれにそうさせるように拘束するものは完全にありません。しかもこの世はそのようにして動くのです。いわゆる責任というものに含まれる道徳的コミットメントを基礎にするのでなければ、大学も企業も教会も経営できないし、何ごともなしえません。権威ではなく、責任を委任しうるのでなければ、大きな組織を運営できません。権威は2番目です。権威は、つまり公式的権威の一要素は、誰もそれに注目していることをみたことはないのですが、それは道徳的責任を受容した人びとへの保護になるということです」(Wolf, 1973, p. 35)。ここでは、責任は無限定に広がる可能性を含んでいるので、権威によってむしろ限定をかけることで担当者を保護する機能をもっているという見解を示している。

『経営者のこころ』で、バーナードは、ウォルフのインタビューに応えて、「最も効果的なアプローチは、次のような理解から出発することだといえましょう。すなわち、もし個人の集合が一つの集団になると---それが自然発生的なもの、つまり自然発生的に組織化された集団であれ、あるいは名目的に設計されたものであれ---いったん活動を始めた上は、集団は大いに自律的であるということ、そして公式的側面の機能は身体における骨格のような機能であるということ、です。人が主として関心をもつのは、当該諸関係の生理学ですが、しかし骨格があって、それがほとんど自律的に機能しようとする諸器官を然るべきところに保ち、支えているのだというくらいの解剖学的知識がまずなければなりません」(Wolf, 1973, p. 29)と述べている。組織が自律的であるという認識をもたないと、管理者は組織をコントロールできると考え、そうした地位につく人びとが命令することで自由に組織を動かせると誤解するという問題点を論じている。

このように、USOでの経験を踏まえ、組織が基本的に自律的存在であるという認識を深め、権威よりは責任の重要性を悟ったということができる。ボランティアに対しては経済的誘因を使うことができないので、責任が調整の役割を果たすためには、基本的には社会的誘因に働きかけ、道徳的説得を活用することが必要になる。また、責任が中心になると、権威の調整としては責任の無限定さに歯止めをかけて、担当者を保護する機能をもつことを論じていることが注目に値する。

新たなマネジメント理論の可能性を探る

新たなマネジメント理論の可能性を探る

バーナードは、『経営者の役割』において組織を静態的な仕事の構造として理解するだけではなく、動態的な人間行動のシステムとして組織を捉える考え方を提示し、組織理論にブレークスルーを生み出した。バーナードが新しい組織理論を示すことによって、伝統理論に対して新風を引き起こし、そのなかでも権威受容説はその代表的なものといえるだろう。

いわゆる伝統理論は、基本的に、専門化された組織構造を組織と理解し、権威はその構造のなかに配置されるコミュニケーション・センターとしての職位に付与されると考える。つまり、職位にある管理者には、あらかじめ命令を出す権利が与えられているとする。これに対して、バーナードは、組織を人間行動のシステムとして理解するので、権威を職位の権威という客観的側面だけでなく、出された命令を受け入れ、実行するフォロワーの視点から捉えている。権威は受令者が命令を受容することによって確立されるとして、権威の主観的側面についても論じている。職位にある人物が命令を出しても受け入れられる保証はどこにもないことを指摘したのである。

しかし、バーナードは、『経営者の役割』の出版以降、人間行動のシステムである組織がもつ自律性について考察を深めている。そのきっかけの1つがUSOというNGOにおいて会長職を務める経験である。もう1つは、ポランニーの自発的秩序の考えに触れたことである。その結果、バーナードは、『組織と管理』を出版した際に、側生組織とステータス・システムという2つの組織概念を追加している。この2つの組織概念は、組織自律性を盛り込んだものになっている。側生組織は、比較的に独立性の高い単位組織が合意によってヨコに結合する組織である。階層組織とは異なり、上位組織は基本的に会議体であり、共通目的よりは合意に基づいて単位組織間の利害を調整するだけであり、単位組織を従属させることはない。また、ステータス・システムは階層組織になかに組み入れられたものであり、専門化、権威、コミュニケーションのシステムとともに協働システムにおいて機能する。協働システムの維持させる機能をもつと同時に、個人の目的を充たす誘因の機能をもつ。階層組織において、ステータス・システムが非公式組織と同等の機能を果たすことで、独立した個人のキャリアを保証し、ステータスを守ることで、責任を育成する機能をもっている。

このように、バーナードは、組織が自律的であることを考えると、権威を中心的な調整機能として捉えるだけでは十分ではないと考えるようになる。権威は命令を出すことで調整機能を果たす。これに対して、責任はそれを個人に委任することによって調整機能を果たす。つまり、現場における個人の判断を高めることで、組織自律性を生かすことにつながっている。責任の調整機能に注目すると、マネジメントについてもフォーカスがシフトすることになり、その変化は図表5のようにまとめることができるだろう。

新たなマネジメントの可能性

バーナードは、断片的に権威よりは責任が重要であること、権威による調整よりは責任による調整を活用することを論じている。しかし、実際には、責任による調整がどのように進むのかについてその詳細を示してはいない。バーナードの提言を受けて、組織が自律的であることを考えるときに、どのような新たなマネジメント理論が構築されるのかを検討することが、今後、必要になるだろう。

参考文献一覧

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磯村和人(2022)「自発的秩序と組織自律性をめぐって:C.I. バーナードとM. ポランニーの知的交流を通じて」『経済集志』第92巻第2号(刊行予定)
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Polanyi, M. (1951) The logic of liberty: reflections and rejoinders. Liberty Fund, Indianapolis, IN
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Wolf, W.B. (1973) Conversations with Chester I. Barnard, New York State School of Industrial and Labor Relations, Cornell University

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