知的ネットワークを構築する
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磯村 和人Kazuhito Isomura
中央大学 理工学部ビジネスデータサイエンス学科教授京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Organization Theory by Chester Barnard: An Introduction (Springer, 2020年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。
前回、バーナードにとってキャリア形成の中心にあったAT&Tの歴史を辿るなかで、バーナードがどのような経営課題に直面し、経営思想を形成したかを検討した。しかし、なぜ、実務家であるバーナードは、アカデミックと深く関わりをもち、研究者に引けを取らない業績を生み出したのだろうか。今回は、バーナード研究の第一人者である磯村和人教授によるOrganization Theory by Chester Barnard: An IntroductionとManagement Theory by Chester Barnard: An Introductionから、バーナードが多彩な研究領域における研究者との知的交流を通じて、どのように経営思想を深めたのかに迫る。
アカデミックとの交流を図る
バーナードは、基本的に実務家として営利企業だけでなく、NPO(非営利組織)やNGO(非政府組織)などにおける経営に深く関わるなかで蓄積した経験をベースに、自らの経営思想を形成している。また、バーナードは無類の読書家であり、大部の難解な書籍であろうと、繰り返し読み込み、自分の考えにするまで消化し、アカデミックにおける研究も自分のものにしている。
さらに、ペンシルベニア大学ウォートン校に招聘され、数多くの講演を行い、ハーバード大学では客員委員会の委員を務めるなかで、次第に研究者との交流も深めている。特に、ハーバード・ビジネススクールの学部長であるドナムを介して、ヘンダーソン、メイヨー、レスリスバーガー、ホワイトベッドなど、ハーバードサークルにおける錚々たるメンバーと知り合い、研究会や私的な集まりを通じて意見交換を行っている。
加えて、バーナードは大変な筆まめであり、ヘンダーソン、サイモン、マイケル・ポランニー、パーソンズ、ホーマンズ、ハイエク、ジュブネル、ジャックスなど、多彩な研究領域に関わる著名な研究者との間に大量の往復書簡を残している。こうした往復書簡を通じて、著書、論文の抜刷などをお互いに送り合い、共通の関心について積極的に情報交換を図っている。
このように、バーナードの経営思想を理解する上で、アカデミックとの知的交流のネットワークを明らかにすることは、重要な役割を果たすと考えられる。今回は、そのなかでもヘンダーソン、サイモン、マイケル・ポランニー、ジャックスとの知的交流にフォーカスし、バーナードの経営思想との関わりについて検討する。主として、往復書簡からどのようなやり取りがあったのか、相互にどのような関心を共有し、議論をしたのかを考察する。
ヘンダーソンと公式組織の概念
バーナードとヘンダーソンとの関係については、加藤(1996)による本格的な研究があり、基本的にはこれに準拠して論じる。バーナードは、ハーバード大学で客員委員会の委員をするなかで、ハーバード・ビジネススクールの学部長であるドナムと知り合った。バーナードは、ドナムに「日常の心理」という論文を送ると、ドナムは、論理性だけでなく、非論理性を重視するこの論文に強い感銘を受け、高く評価した。
ドナムは、バーナードとヘンダーソンが知り合う機会を準備していた。ドナムは、ヘンダーソンのことをバーナードに話し、ヘンダーソンの本を送っている。すると、バーナードはすでにヘンダーソンのパレートの著書(Henderson, 1935)を読んでいて、ヘンダーソンに強い関心をもっていた。ドナムは、ヘンダーソンに対してはバーナードの論文「日常の心理」を送っている。この論文を読み、感銘を受けたヘンダーソンは、バーナードとの出会いを心待ちにしていた。ついに、ドナムは、バーナードを招待し、ヘンダーソンを紹介した。この二人の出会いは、劇的なものであった。バーナードに会ったヘンダーソンは、その翌日、ローウェルに講義の担当者としてバーナードを推薦している。
このように、バーナードとヘンダーソンとの出会いは、ローウェル講義を行う機会を作ることで『経営者の役割』を生み出すきっかけになった。また、ヘンダーソンは、ローウェル講義の原稿をレビューし、バーナードが著作としてその体裁を整える上で大きな貢献をし、『経営者の役割』の出版に深く関わっている。1937年におけるバーナードとヘンダーソンとの出会いから、ヘンダーソンが急死する1942年までの5年間、2人の間には濃密な知的交流が行われた。
ヘンダーソンとの知的交流は、バーナードに対して、大きく分けて3つの影響をもたらしたといえる。第1に、ヘンダーソンのレビューによって、協働システムと公式組織の概念を明確に分けたこと、第2に、『経営者の役割』の概念枠組を構築する上で、ヘンダーソンから多くのサゼッションを受けたこと、第3に、ヘンダーソンの準備する実験的なコースに対して、ケースを提供し、ヒポクラテスの方法を活用する経営教育に深く関わるようになったこと、を挙げることができる。
まず、ヘンダーソンは、ローウェル講義の原稿をレビューし、人を含まない公式組織概念は、概念枠組を構築する上で、便利であるどうかをバーナードに対して問うた。これに対して、バーナードは、人を含まない公式組織概念は自分にとって中核をなす仮説であり、必要不可欠であると回答した。しかし、バーナードがこの問いかけに対して人を含む協働システム概念を導入することをヘンダーソンに提案すると、ヘンダーソンはこの提案を受け入れた。ただし、ヘンダーソンは、それでも人を含まない公式組織概念は多くの人々の理解を得ることは難しいだろうと指摘している。
続いて、ヘンダーソンによるレビューの結果、バーナードは協働システム概念を導入するになった。このことが、『経営者の役割』の全体構成を大きく変化させたことは注目に値する。その変化の1つとして、第2章「個人と組織」における人間論の追加を挙げることができる。ここでは、機能としての個人と全体としての個人という2つの捉え方が提示されている。全体としての個人を含む協働システム、機能としての個人を含む公式組織という概念の違いが明確化された。また、機能としての個人は組織目的を実現していく有効性に、全体としての個人は自らの動機を充足する能率性へと対応するようになる。さらに、機能としての個人は、相互作用のシステムとしての動態に、全体としての個人は、単位組織に含まれ、全体目的を実現するために組み立てられる単位組織の複合体としての組織構造にそれぞれ対応している。このように、ヘンダーソンの指摘によって、『経営者の役割』の概念枠組はバーナードの意図に添う形で強化されている。
最後に、ヘンダーソンは、「社会学23番講義」というヒポクラテスの方法を活用する実験的なコースを準備し、バーナードにケースを提供し、講義を担当してくれるように依頼した。ヘンダーソンは、ケースとして現実の複雑さを捉えたものを求めていたので、バーナードは適任な人物であると評価していた。ヘンダーソンの要請に応えて、バーナードはケース作成に協力した。ニュージャージー緊急救済局長官を務めているときに、トレントンで起きた出来事を事例としてまとめている。事例を作成する方法としては、直観的習熟、知識、理論という3つの層からなるヒポクラテスの方法が採用されている。
バーナードが作成したケースでは、参加観察法が活用されている。外部者ではなく、内部者(=行為者)としての視点から事例に対してどのようにコミットしたのか、その詳細を記述している。行為者として責任をもって取り組んだことについて客観的な事実だけでなく、主観的な現実を含めて、論じることで、複雑で多様な現実のなかでどのようなことが起き、どのような決断をし、どのような結果がもたらされたかが示される。責任を担った決断を繰り返すことで、自己は変革され、パーソナリティが形成される姿を明らかにしている。こうした事例には、理論と実践を架橋できるように、直観と論理、非知的プロセスと知的なプロセスが組み合わされている。
サイモンと直観的思考
バーナードとサイモンとの交流のきっかけは、サイモンによって生み出された。1945年当時、サイモンは自らの博士論文を書き上げたばかりの29歳であったのに対して、バーナードはすでに円熟した59歳だった。サイモンは読書会でBarnard(1938)を読み、バーナードに強い関心をもった。サイモンはバーナードと面識はなかったものの、博士論文の原稿を送り、バーナードにレビューを依頼した(Letter from Herbert Simon to Chester Barnard, April 27th, 1945)。以下、バーナードとサイモンとの知的交流については表1のようにまとめられる。
バーナードは、快くサイモンの申し出を受け入れ、書簡による応答が始まった(Letter from Chester Barnard to Herbert Simon, May 2nd, 1945)。バーナードは丹念にレビューを行い、能率の基準、事実的という用語のあいまい性、コミュニケーション、合理性の理解、複雑な意思決定、用語の取り扱いなど、8項目について詳細な指摘を行った。バーナードとサイモンは相互にやり取りをし、その後、サイモンは、バーナードに『経営行動』に序文を書いてくれるように依頼し、バーナードはこの申し出を受け入れた。
バーナードは序文において、サイモンの著書が組織と管理の研究において一般性を達成していると評価した。しかし、その結果として、結論は高度に抽象的になっていることを合わせて指摘している。また、バーナードは、組織についての経験や知識には、具体的な行動の水準、特定の組織慣行の水準、科学的知識の水準という3つの水準があるとしている。第1の水準は経験を通じて学ばれ、第2の水準は特定の組織のなかで働くことによってのみ得ることができ、サイモンの著書は第3の水準に関するものであると論じた。
サイモンが『経営行動』を出版し、バーナードに送ると、バーナードは、サイモンに対して直観について問題提起し、直観について取り扱うべきであると示唆した(Letter from Chester Barnard to Herbert Simon, September 5th, 1947)。サイモンが「バーナードは、付録である『日常の心理』において、管理的決定における直観的要素について興味深いが、おそらくあまりに楽観的な見解を示している」(Simon, 1947, p.51)と指摘したことに反論したと考えられる。
直観的意思決定は、客観的な意味で合理的意思決定に必要な事実的情報が時間的な制約のために利用できない、あるいは、得ることができない場合に関わっている。そうした状況の認識や判断は、直観に関わり、美的判断に近いものとなる。こうした判断は、ある部分では、経験、感情、過度に知性的であることにとらわれるものでなく、物事がつねに変化するプロセスにあり、そこでは試行錯誤の方法が活用される。意図して探索的な決定は、主観的に合理的であり、経験と継続的な試行錯誤の方法に基づいて、合理的な決定のためのデータを得ることが可能な点から、客観的にも合理的であるとバーナードは論じた。
バーナードからの直観に対するこうした議論を提示され、サイモンは「もう少し考えてみないと、直観に関する問題について議論する準備ができていない」と応える。直観の特徴としては、(1)すべての事実がそろっているとは限らない場合にも決定しようとすること、(2)かなり高い打率でこのような決定を行える能力という、2つの要素をもつことを指摘している。(1)は過度の知性化のアンチテーゼであり、議論の余地はない。しかし、直観という用語があまりにあいまいで、そのような状況下で正しい決定をする能力はそれぞれ異なる。確率論的な考察に関わる場合に他の人よりも正確な決定ができる人がいるということには同意する。推論プロセスが必ずしも意識的で、体系的で、演繹的であるとは限らない(美的判断といわれるように)ということにも同意する。これらの議論に満足できていないので、後ほど、さらなるコメントを送りたいと返答している(Letter from Herbert Simon to Chester Barnard, September 8th, 1947)。
その後、サイモンはバーナードから提示された宿題を40年以上、考え続け、直観的思考に関する自らの考えをまとめていくことになった。サイモンがバーナードに言及しながら発表した研究については、表2の通りである。
バーナードは、『経営者の役割』の付録である「日常の心理」において論理的過程と非論理的過程について論じている。論理的思考と直観的思考を比較しながら、実務では直観的思考が不可欠であることを指摘している。ここで提示されたアイデアを巡って、バーナードとサイモンの間に議論が行われたのである。
論理的過程は合理的推論を意味し、非論理的過程は言葉では表す事ができない過程であり、判断、決定、行為によって知られる。2つの過程では目的が異なり、論理的過程は真理を明らかにすることに活用され、非論理的過程は行為の方向を決定すること、説得に使われる。論理的過程では速さを求められないが、非論理的過程では時間のないなかでの決断を求められる。論理的過程では厳密に定義され、正確に収集された事実を素材として活用するのに対して、非論理的過程では定性的で、あいまいな素材を活用する。
非論理的過程が重要性をもつのは、すべてが科学的には証明することができず、日常における経験や実験を通じて比較的その正しさが確かめられる経験的な真実に基づいて判断が下されるからである。この経験的な真実をバーナードは仮構(フィクション)と呼ぶ。また、日常では、つねに変化する現実への対応を求められるので、非論理的過程は不可避となる。1人の行為(作用)は、必ずそれに対する反作用を生み出し、このプロセスが繰り返されるために、一時として変化が起きないということはない。一時的に正しいと思われたものは、その次の瞬間にはそうではないことも起きる。そのため、こうした現実に対応する上、論理的過程ではしばしば時間的に追いつくことができず、実務家は非論理的過程に依存することをバーナードは論じている。
サイモンは、このバーナードの議論に対して否定的な見解を『経営行動』で示したために、バーナードから反論され、結果として、40年以上、直観的思考とは何か、その意義を検討することにつながった。その結果、バーナードとサイモンは直観的思考を考察したパイオニアとして評価されている(Akinci and Sadler-Smith, 2012; Sadler-Smith, 2019)。
マイケル・ポランニーと自律的秩序
ハーバード・ビジネススクールのベーカーライブラリーに所蔵されているバーナードコレクションには、バーナードとポランニーの往復書簡、その他のものを含んで全部で45通が残されている。具体的には、バーナードとポランニーとの往復書簡が42通、バーナードからポランニーから紹介を受けたホーリーへの手紙が1通、バーナードからシカゴ出版会に送られた手紙が1通、マルジョリー・グリーンからの手紙1通が含まれる。往復書簡は、1949年3月21日から1959年5月22日まで約10年間にわたり、1年、平均して4通で、3ヶ月に一度のペースで交換していることがわかる。
バーナードとポランニーとの知的交流は大変興味深く、往復書簡の全容を紹介する意義は十分にあると思われる。しかし、本稿では、第1に、自律的秩序をめぐって関心を共有していること、第2に、ポランニーの『個人的知識』(Polanyi, 1958)の出版に関してのやり取り、第3に、その他、2人の関係を理解する上で興味深い事実をいくつか整理した上で指摘することにとどめる。
まず、ポランニーは、“Planning and Spontaneous Order”のreprintをRockefeller Foundationのバーナードのオフィスに送っている(Letter from Michael Polanyi to Chester Barnard, March 21st, 1949)。これに対して、バーナードは、感謝の意を示し、ポランニーの”The growth of thought in society”とハイエクの”Scientism of the study of society”を何度も読み、興味を覚えたことを述べている。バーナードは、Organization and Management(以下、O & M)の序文と”On Planning for World Government”において、ポランニーの考えの一部を反映したことに触れている。また、O & Mを必要があれば送ること、O & MにはハイエクのThe Road to Serfdomを含むバーバラ・ウートンの本の書評が所収されていることを説明している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, May 16th, 1949)。
また、ポランニーが『自由の論理』(Polanyi, 1951)を送ってくれると、これに対してバーナードが謝意を示し、ポランニーのサイン入りであることを喜び、すでに3度読んだと述べている。公式組織の限界を考慮し、自発的組織の発展の必要性を論じたことを組織の一般理論への大いなる貢献であると指摘している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, March 6th, 1952)。
続いて、バーナードは、ポランニーがシカゴ大学で行われたギフォード講義(1951-1952)を発展させ、『個人的知識』の出版しようとしていることに強い関心を示している。例えば、バーナードは、ハーバードのミーティングでシカゴ大学のエドワード・シルズと話をした際に、ポランニーがマンチェスターに帰ったこと、シカゴで『自由の論理』に続く仕事と関連づけて、考えを進展させたことをシルズから聞いたことをポランニーに伝えている。ギフォード講義に関連したものが何らかの形ですでに出版されているなら、読みたい、可能なら貸してほしいとポランニーに要望している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, November 29th, 1954)。
これに対して、ポランニーは、ギフォード講義のうち、No. 16だけが印刷されており、他はまだ読める状態にないので、No.16だけを送る旨を連絡している。ギフォード講義については、その内容を集約し、1. Objectivity、 2. Chance、 3. Order、 4. Skills、 5. Knowing Life、 6. Living Action、 7. Intelligence and Responsibilityの7つにまとめて講義したことを説明している(Letter from Michael Polanyi to Chester Barnard, December 13th, 1954)。すると、バーナードはNo.16を送ってくれたことへの感謝を示し、シカゴでの講義内容がわかるものがあれば、送ってほしいと要望した。1941年にEconomicaに発表された論文、”The growth of thought in society”を読んで以降、ポランニーの著作に対して触れ、興味をもってきたことを述べている(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, December 23rd, 1954)。
バーナードは、ギフォード講義のNo.1~7まで読んだこと、No.8も読みたいことを述べるとともに、ギフォード講義を出版するように強く勧めている。スキルに関心をもつバーナードは、ピアノのタッチに関しては説明が不十分であることをコメントしている(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, April 4th, 1955)。また、No.8がまだ届いていないことに触れつつ、重ねて出版するように促している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, March 19, 1956)。さらに、バーナードは、Skillで述べられていることに関心を示し、ピアノのタッチについてかなり詳細に自分の考えを披露している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, March 24th, 1956)。ポランニー『個人的知識』の出版に当たって、バーナードは、財政的支援が必要なら、ロックフェラー財団に掛け合うことも提案している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, April 16th, 1957)。
最後に、バーナードとポランニーとの往復書簡でわかることとして、ポランニーがバーナードをマンチェスター大学のSimon Visiting Professorとして招聘し、講義を担当できないかを打診している点が挙げられる。ポランニーは、期間は短くすることもでき、正教授としての給与を受け取り、交通代も負担すること、著名な教授をこれまで迎えてきたことを説明している(Letter from Michael Polanyi to Chester Barnard, January 18th, 1955)。ただ、バーナードは、客員教授について、公的職務から引退したとはいえ、15、16の政府、ビジネス、学術に関する仕事で身動きがとれず、残念ながら受け入れられないことを詫びている。同様の理由でコーネル大学、ハーバード大学からの招聘も断わったことを付言している(Letter from Chester Barnard to Michael Polanyi, February 8th , 1955)。また、往復書簡のなかで、何度も会おうという提案がされ、その度にすれ違いになって、直接会うことができないことを残念に思っている二人の姿が示されている。ただし、往復書簡からは、最終的に、二人が会うことができたかどうかは確認できない。
このように、バーナードとポランニーとの往復書簡では、自律的秩序と個人的知識に関するアイデアがしばしば話題に上がっている。バーナードとポランニーはナレッジマネジメント論の源流と考えられるために、個人的知識について相互の影響について関心が集まると思われる。しかしながら、往復書簡からは、むしろ、バーナードが自律的秩序についてポランニーからの影響について言及していることが注目に値する。
バーナードは、『経営者の役割』において公式組織の自律性について論じている。公式組織は貢献者の活動によって構成されるシステムであるが、一つの全体であり、有機体のように自律的であるとしている。公式組織は自律的であるので、管理者は公式組織をコントロールすることはできず、管理者の機能は、公式組織を維持することであるとバーナードは論じている(Barnard, 1938)。
また、世界政府のデザインについて議論した際に、階層組織と側生組織という2つの概念を導入し、非公式組織のために組織を計画通りに動かすことはできないこと、複雑な状況に適応する組織の自律性を生かすためには秩序を生み出すことの重要性を指摘している(Barnard, 1948)。さらに、USOという側生組織を経営した経験から、自律性を生かすためには、責任が重要であることを指摘し、公式組織が生み出す道徳が十分に機能する制度として確立することの必要性を論じている(Wolf, 1973; Wolf and Iino, 1986)。こうした議論の背景にポランニーとの知的交流があったことは興味深い事実である。
ナレッジマネジメント論については、往復書簡からバーナードが早くからポランニーから『個人的知識』の原稿を見せてもらっていること、バーナードが出版を早く進めるように激励していること、必要があればロックフェラー財団から出版助成を得られるように支援すること、などがわかり、バーナードが『個人的知識』について並々ならぬ関心をもっていたことがわかる。
しかし、バーナードの知識理論については、1938年に『経営者の役割』で行動的知識について言及し、1940年の「意思決定のノート」で有機的知識、個人的知識、公式的知識の3つの知識形態について論じ、それらのアイデアを体系化した1950年「技能、知識、判断」を出版していることから、ポランニーとは独立にバーナードの知識理論が展開されていることがわかる(Barnard, 1938; 1995; Wolf and Iino (1986)。このように、バーナードが独自に知識理論を構築してきたこともあり、ポランニーが『個人的知識』をまとめる際には、強い関心を示したということができる。
ジャックスと階層組織のデザイン
バーナードとジャックスの間には、1956年11月15日から1958年3月4日まで11通の往復書簡が残されている。ジャックスの文献では、バーナードへの言及はほとんど見られないが、往復書簡からお互いの研究に対して深い関心を抱いていたことがわかる。バーナードとジャックスの知的交流については、眞野(1987)が詳細に検討しているので、これに基づいて往復書簡でのやり取りを見ていく。
1956年11月、バーナードは、ジャックスの『責任の測定』を強い関心をもって読んだこと、『工場の文化的変容』をロックフェラー財団の図書館から借りて読んだことを伝えている。また、グレイシャーメタルでの研究は継続しているかどうかを問い合わせている。さらに、1949年にバーナードがタビストック研究所を訪問した際には、お会いしたのではないかと述べている(Letter from Chester Barnard to Elliot Jaques, November 15th, 1956)。これに対して、ジャックスは、『工場の文化的変容』をお送りすること、タビストック研究所でバーナードを迎えた際には、管理委員会のメンバーとして準備に関わったこと、グレイシャーメタルでの仕事を継続していると回答している(Letter from Elliot Jaques to Chester Barnard, December 7th, 1956)。
また、バーナードは、ジャックスに対して『経営者の役割』と『組織と管理』を送ると申し出ている。バーナードは『責任の測定』を何度も読み返し、タイムスパンコントロールというアイデアを組織の低い階層で活用することの意義を認めつつ、高位の役員、5年、あるいは、10年については適用することに疑問をもっていることを表明している。アメリカの企業では、本来、長期で成果を評価すべきところ、実際には、短期に成果が評価されてしまうことを指摘している。また、報酬とその差の配分について、自主的な均衡と無意識的な感受性が存在するとは思えないと論じている。これを考えるには、パレートが参考になることを示唆している(Letter from Chester Barnard to Elliot Jaques, January 3ed, 1957)。
これを受けて、ジャックスは、2冊ともすでにもち、読んでいること、両著書の考え方を活用していることを述べている。バーナードの指摘に対しては、おおむね了解しつつ、株主による評価は形式的であり、成果が出なければすぐにやめさせられるわけではないと反論している。パレートについては、早速、参考にしたい旨、返信している。ジャックスは、事務的な仕事をする社員だけでなく、職人的な仕事をする社員についてもタイムスパンの考え方が適用できることを調査で明らかにできたことが成果であると指摘している(Letter from Elliot Jaques to Chester Barnard, January 28th, 1957)。
その他、往復書簡から、ジャックスがバーナードに対して自分たちの研究に対して協力の要請をしていること、バーナードはすでに主な仕事からおおむね退いていて、どこまで協力できるか確かではないが、できる限りの協力をすることを約束していることがわかる。
バーナードは、『組織と管理』においてステータスシステムについて論じている(Barnard, 1948)。このステータスシステム概念は、ジャックスのタイムスパンに関わる理論と深い関連性がある。ジャックスは、役職上、与えられた最長の課業やプロジェクトの目標達成期間を職責タイムスパンと呼ぶ。職責タイムスパンには、仕事の質の変化を生み出す切れ目があり、1日、3ヶ月、1年、2年、5年、10年、20年としている。この切れ目に応じて求められる能力についても明確な差が生まれる。職責タイムスパンは客観的に測定できるので、これによって階層を分け、それに対応できる能力をもつ人材を各階層に配置し、その階層に応じた報酬を設定することで公平で公正に階層組織をデザインすることができるとしている(Jaques, 1956)。
バーナードが提示したステータスシステム概念も、どのように階層的な組織構造をデザインするかに関係している。組織構造は、①伝達経路を明確にするコミュニケーションのシステム、②目標を分割する専門化のシステム、③伝達を公式化する権威のシステムだけでなく、地位を明確にするステータスのシステムという複合的な機能をもっている。
ステータスとは、組織における地位に基づいて、個人が有する権利、特権、義務を得ている状態のこと、それに対応し、個人の行動に対する制約、制限、禁止が課されている状態のことを意味する。ステータスには職能的ステータスと階層的ステータスがあり、先天的、後天的な個人の能力差、仕事の種類と難度、仕事の重要度の違いによって生じる。
ステータスシステムは、能力の差や重要さの違いを明確にし、能力を異にする人々が長期に協力する関係を構築するために必要であるとバーナードは指摘している。人々は自分よりも能力がはっきりある人を上位者として受け入れることができる。しかし、能力の差があまりない人から命令を受けることを好まない。人々はできれば高い地位を望むが、もし、責任を全うできずにその地位を失うなら、むしろ低い地位で自分が守られることを望む。
バーナードは、ステータスシステムについて理論的考察をしているのに対して、ジャックスはこれを実際にどのように構築するか、検討し、タイムスパンコントロールというアイデアを活用とする実験的な試みに取り組んでいると理解できる。そのために、バーナードは、ジャックスの研究に深い関心を寄せていたと考えられる。
知的交流から経営思想を深める
このように、バーナードは、著名な経済学者、経営学者、社会学者、哲学者などと、研究会、私的な集まり、往復書簡などを通じて知的交流を深めている。実務家としては、珍しく、当時の知的ネットワークのなかに深く入り込んでいることがわかる。しかし、バーナードの場合、基本的に自らの経験をベースにして、経営思想を形成している。そのため、読書や研究者との交流は、直接的な影響というよりも自らの考えをアカデミックの視点から見直す機会にしていると考えられる。アカデミックな研究と自分の経験から生まれた理論をつき合わせて、磨き上げているといえるだろう。
実際、読書については、バーナードは同じ本を読み返して、自分の考えまで消化し尽くすという方法を採用している。もちろん、バーナードが読み、強く影響を受けたとしている書籍について、詳細に検討することは、バーナード理論への理解を深める大きな手がかりになるだろう。しかし、バーナードは、読書を通じて得た知識をそのまま取り入れているわけではない。したがって、知的交流のネットワークを通じて得たものについてもそのまま活用しているというより、他の研究者との対話を通じて自分の考えを反芻し、練り上げることを手助けしていると思われる。
参考文献一覧
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