Loading...

Internet Explorer (IE) での当サイトのご利用は動作保証対象外となります。以下、動作環境として推奨しているブラウザをご利用ください。
Microsoft Edge / Google Chrome / Mozilla Firefox

close
menu
理論と実践を架橋する

理論と実践を架橋する

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有
  • 磯村 和人

    磯村 和人Kazuhito Isomura
    中央大学 理工学部経営システム工学科教授

    京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Organization Theory by Chester Barnard: An Introduction (Springer, 2020年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。

「理論と実践」。
産業革命以降、「個人と組織」の関係性は大きく変化し、様々な試行錯誤の上で、「理論」が生まれている。しかしながら、そういった「理論」はわたしたちの日常や実務における「実践」でどれだけ活かされているだろうか。

本シリーズでは、日本におけるチェスター・バーナード研究の第一人者である磯村和人教授(主著に「Organization Theory by Chester Barnard: An Introduction」)から、「理論と実践の架橋」をテーマにした考察・問いかけを行う。

経験から科学へ

経験から科学へ

新しい時代の「個人」と「組織」のあり方を再定義する理論として、チェスター・バーナードの主著「経営者の役割」(1938年)がある。「個人と協働の同時的発展」を目指し、当時来るべき社会の先駆けとなった。バーナードはこう続けた。

「なおいっそう私が残念に思うのは、組織のセンス(sense of organization)を伝えることができなかったことである。それは説明の可能性を超えるドラマチックで美的な感覚(feeling)であり、主として、深い関心をもち、直接的で習熟した経験を通じてのみ得ることができる。多くの人が組織の科学(science of organization)への関心を欠くのは、明らかに重要な要素を感じ取れずに、組織化のアート(arts of organizing)に気がつかないからである。トーンを聞き取れなければ、シンフォニーの構造、作曲技法、演奏技術を見逃してしまうように」(Barnard, 1938, p. xxxiv)

産業革命以降、自然科学が社会に目覚ましい成果をもたらすようになると、科学への期待は高まり、人文科学、社会科学の分野においても科学が追求されるようになった。

経営の世界も例外ではなく、19世紀末から20世紀初頭にかけて、テーラーやファヨールのような実務家を中心に、経験をベースにしつつも、経営学を科学として確立しようとする動きが高まった。

科学の強みと弱み

それでは、科学の強みはどこにあるのだろうか。科学は、厳密な方法を確立し、それらに基づいて一定の法則を導き出す。つまり、信頼性の高い事実やデータを観察や実験によって収集し、限られた変数の間の因果関係を明らかにする。いったん導かれた結論を仮説とし再現可能な実験によって繰り返し検証する。再現できない場合には、仮説を棄却し、法則の精度を高める。信頼できる仮説を前提として、演繹的に新たな発見を生み出す。すべてを始めからやり直す必要がなく、知識を累積的に蓄積し、活用できる。このように、科学は、分析力が高く、論理性に強みをもつ。

表1:科学の強みと弱み
表1:科学の強みと弱み

しかし、科学に弱みはないのだろうか。第1に、科学的な方法をすべての現象に適用できるわけではない。信頼性の高い事実やデータを収集できない場合には、科学的な方法を適用できない。例えば、人間の判断、感情、価値などのように客観的に測定できないことを含む場合、たとえ、何らかの形で収集した事実やデータの取り扱いに注意しないと、誤る可能性が高まる。

第2に、比較的に限られた変数間の因果関係を明らかにするので、さまざまな要因が複雑にからみ合う複雑な現象には必ずしも適用できない。適用する場合にも複雑なものを単純化せざるをえなくなる。したがって、科学的な方法は、アプローチできる範囲が限定される。

第3に、信頼できる事実やデータを収集し、あらゆる可能性を想定して実験を行い、結論を導くためには、膨大な時間とコストがかかる。そのために、限られた時間内で判断を下す必要がある場合には利用できない。時間がかかるので、絶えず変化する現実にはついていけない、判断のタイミングを逸するということが起きる。つまり、事前に観察され、収集された事実やデータを根拠にするので、即時の判断に生かすことができない。表1のように、科学の強みと弱みはまとめることができる。

科学と技術の融合

科学は強みをもつにもかかわらず、その弱みのために、その影響力は限定されるように思われる。しかし、実際には、科学は強力な力をもち、過度に科学を信頼させる傾向を生み出している。なぜ、そのようなことが起きたのだろうか。科学は技術と手を組むことによって、上述したような弱みをいくつか克服することに成功したからである。

第1に、科学によって発見された原理が技術として応用され、さまざまな機械が生み出され、社会生活を一変させ、著しく便利にしてきた。産業革命は、蒸気機関という動力に関わる革新であり、鉄道、自動車、飛行機などは移動のスピードと範囲を拡大した。

第2に、科学から生み出された技術が科学を一層発展させるというサイクルに入っている。例えば、肉眼でしか観察できなかったものが顕微鏡によってさらに微細なものを観察できるようになった。内視鏡により外科手術を行うことなく、人体の内部を観察できるようになった。技術によって生み出された機械によってこれまで実験できなかったことを実験で確かめることができるようになった。このように、科学と技術が融合されることで相乗効果を生み出し、その適用範囲を広げることに成功した。

第3に、コンピュータの開発は計算能力を向上させ、それまで計算できなこと、計算できても長い時間がかかることを短縮化することを可能にしている。また、画像や音声を記録する機器やセンサーの発達により、人間の感覚によって取得されていたことをデータ化できるようになった。

表2:科学と技術の融合
表2:科学と技術の融合

表2のように、科学と技術の融合が相乗効果を生み出し、科学の適用範囲を拡大し、著しくスピードを上げることで、科学の弱みを克服してきた。その結果、科学が万能であるという考え方が社会に広がるとともに定着し、それ以外の方法に基づくものの価値を低め、あるいは、極端な場合には否定するということを引き起こすようになった。

しかし、実際には、科学の価値を高めている技術は、人間の直観、経験、感覚など、活用している人間自身も理解していないことを利用している。科学の力だけでないこと、技術が科学の弱みを見えないようにしていることを認識する必要がある。また、科学が適用できないことに科学を適用し、疑似科学的なものを活用することによって、誤りを正当化することに利用されることも起きている。行き過ぎた科学への過信は、社会に大きな歪みをもたらす。さらに、科学の弱みとして挙げられた複雑な現象については、AI技術を活用する取り組みは始まっているものの、十分にアプローチできているとはいえない。

知ることができることとできないこと

ビジネスの世界では、さまざまな要因が複雑にからみ合い、つねに変化が引き起こされる。科学においてもアプローチすることが難しい複雑な現象であり、簡単には因果関係を明らかにすることはできない。こうした現実に対応するためには、科学に基づいた理論を活用し分析に取り組むだけでなく、実践を通じて試行錯誤を繰り返すことが不可欠になる。理論と実践は両輪であり、切り離すことができない。しかし、実際には、実務とアカデミックの世界の間には、しばしば大きなギャップが生まれる。

その原因を探るためには、現実がどのようなものであるかを検討する必要があるだろう。バーナードは、以下のように、現実の階層性と多層性について論じている。

(1)われわれが知覚したり、気がついていたりしていることの多くは、言葉に直すことが不可能か、実行困難である
(2)われわれは気がつくよりはるかに多くの物事や事象を感じている
(3)事物ないしは事象の大部分はわれわれの理解や感情を著しく超えている

したがって、現実から抽象しているのは、全体のごく一部である。言語化できるのは、全体のうちのごくわずかな部分にすぎない。意識されるのは全体のなかでそれより大きな部分であり、感じとられるのはなお大きな部分である。しかし、状況全体からすべてを感じ取り、知覚し、表現できるわけではない。普通にかなりの部分は決して知ることができないことである(Barnard, 1937, pp. 64-66)。

このように、現実は、階層的で、多層的である。言葉にできること、意識的に知覚できること、無意識的に感じ取っていること、知ることができないことから成り立っている。したがって、科学は、現実のなかでほんの一部を知っているだけである。しかしながら、科学は、知ることができることを徹底的に収集し、分析し、検討することで、社会生活を大きく変化させる発見や発明を生み出している。

しかし、ほとんど無限に知らないこと、知ることができないことが存在していることを忘れることができない。知っていることにフォーカスし、科学が発達する前に比較すれば、格段の知ることができることを増大させたといえるだろう。しかし、知ることができないことにフォーカスすれば、知っていることは知ることができないことのなかで小さな部分しか占めていない。われわれがつねに驚きに遭遇するのも今まで知ることのなかったことを知るようになるからである。図1に示すように、知ることができることは知ることができないことの本当にほんの一部でしかないことを認識する必要がある。

図1:知ることができることとできないこと
図1:知ることができることとできないこと

経験、科学、アートの三位一体性

科学は分析と論理に強みがあり、その力を技術と組み合わせることで遺憾なく発揮し、社会生活を豊かで便利にすることに貢献してきた。科学は知ることができることにフォーカスし、それらを徹底的に分析し、その結果として蓄積してきた知識を活用することで、大きな力を引き出す。

しかし、われわれが生きる世界には決して知ることできないことが存在している。むしろ、それらは無限に広がっているといえる。知ることができないことを無視し、忘れていると、予想外のしっぺ返しを受けることは歴史が示している。対象を極めて限定し、分析し、その結果を通じて、発見されたことは、全体のごく一部であり、それ以外のものとどのようにつながっているか、すべてを知ることができるわけではない。

演繹は、正しい前提があり、その前提から論理的に導いたものに限り、その正しさを主張できる。事例を積み上げることで結論を導く帰納は、その精度は演繹に比較すれば、低くなる。さらに、アブダクションについては、その精度は保証されず、つねに仮説は検証にさらされている。しかし、帰納、アブダクションは、演繹よりは精度は低くなるが、その適用範囲を拡大し、より現実にアプローチすることを可能にする。

演繹を活用した場合には、その論理が強固であるために、かえってその誤りに気づきにくい。これに対して、帰納とアブダクションは、正しさの精度が高くないことが認識されているために、修正できる柔軟性を含んでいる。

科学は基本的には非論理的なもの、特に価値を含むものを扱うことを得意にしていない。経験は、しばしば信頼のおけないものとして科学の立場から否定的に評価される。しかし、経験は非論理的なものを扱うことができ、しかも誤りを正す仕組みを内在化させている。アートは、質的に性質を異にするバラバラのものを集めて、バランスを図ることによって総合することができる。実際には、これらの三つをバランスよく組み合わせることで、組織のセンスを高めることができる。

複雑な現象、特に、人間の行動を含む社会科学においては、科学だけをベースにするのではなく、経験やアートを無視することはできない。誤りが起きることを前提にしつつ、それらを経験やアートの力を活用することでコントロールし、現実的なアプローチを取ることができれば、科学を生かすことができる適用範囲を格段に拡張することができる。特に、ビジネスの世界では、図2のように、科学だけでなく、経験をそのベースに据えて、さらに、アートを活用することによって、創造的で、想像的な活動を実現することができる。そのとき、理論と実践を架橋する道が開かれるだろう。

図2:経験、科学、アートの三位一体性
図2:経験、科学、アートの三位一体性

参考文献一覧

Barnard, C.I. (1938). The functions of the executive, Harvard University Press, Cambridge, MA.

Barnard, C. I. (1937). Notes on some obscure aspects of human relations, in Wolf, W.B. and Iino, H. (eds.), Philosophy for managers: Selected papers of Chester I. Barnard, Bunshindo, Tokyo, pp.63-111.

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有

この記事が気に入ったら
フォローしよう!