『経営行動』の理解を深める:サイモンの理論背景
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磯村 和人Kazuhito Isomura
中央大学 理工学部ビジネスデータサイエンス学科教授京都大学経済学部卒業、京都大学経済学研究科修士課程修了、京都大学経済学研究科博士課程単位取得退学、京都大学博士(経済学)。主著に、Chester I. Barnard: Innovator of Organization Theory(Springer, 2023年)、『戦略モデルをデザインする』(日本公認会計士協会出版局、2018年)、『組織と権威』(文眞堂、2000年)がある。
今回の連載では、サイモンが、意思決定と限定された合理性に関して、どのようなことを考えていたのか、再検討する。いうまでもなく、サイモンは、「経済的組織における意思決定プロセスの先駆的研究」によって、ノーベル経済学賞を受賞している。しかし、彼の主著である『経営行動』については十分に分析されておらず、経営研究に対してどのような貢献があったかも明確ではないという評価も存在する。まずは、サイモンの理論背景を見直すことにする。
はじめに
これから、何回かに分けて、サイモンの意思決定と限定された合理性に関する理論について考察する。サイモンは、『経営行動』において、意思決定が経営の核心にあることを論じ、人間による選択の論理と心理学から経営理論を導き出す必要があると主張した。しかし、サイモン理論に造詣が深いJ.C. Spenderは、『経営行動』については十分に分析されておらず、その経営研究における影響もはっきりしていないと指摘している(Spender 2013)。『経営行動』は、第1版が1947年に出版されて以降、第2版が1957年、第3版が1976年、第4版が1997年に出版されている(Simon 1947, 1957, 1976, 1997)。サイモン自身、『経営行動』について、並々ならない思い入れをもっていることがわかる。
したがって、今回の連載では、改めて、サイモンの意思決定と限定された合理性という考え方について再検討する。今回は、『経営行動』を理解する上で参考になる理論背景を取り上げる。次回以降では、『経営行動』を読み直すことで、意思決定と限定された合理性について、どのようなことが議論されているかを見直し、『経営行動』の出版以降、どのように意思決定理論を深化させているか、関連ある文献をレビューする。
サイモンの研究業績に対する評価
最初に、サイモンの研究業績が、一般的に、どのように評価されているかを見てみる。Pugh and Hickson(2000)によると、サイモンの業績は、以下のようにサマリーされる。
まず、サイモンは、管理とは意思決定と同義であると考え、意思決定のプロセスを、①情報収集を行う諜報活動、②情報を分析し、プランを作成する設計活動、③代替案から1つを選び出す選択活動という3つの段階に分けられるとしている。その上で、決定を実行することも意思決定とプロセスに含まれる。
次に、サイモンといえば、新古典派経済学が採用する最大化を図る「経済人間」モデルに対して、満足化を図る「管理人間」モデルを提示したと評価される。人びとの思考と行動には非合理要素が含まれ、人間の合理性に実践上の限界があること、合理性の限界は固定されたものではなく、個人が決定を下す環境に依存することを指摘した。
最後に、サイモンが意思決定の技法として、2つの両極にある決定類型、つまり、プログラム化された決定とプログラム化されない決定があると論じた。前者については、反復的、ルーチン的であり、それらに対処するための明確な手続きが用意される。これに対して、後者については、対処すべき課題自体が構造化されていないために、明確な手続きが存在しない。前者については、数学的分析、オペレーションズ・リサーチ、電子情報処理、コンピュータ・シミュレーションのような技法の応用を通じて、処理することが可能になることを論じた。
このように、多岐にわたるサイモンの業績のなかで、Pugh and Hickson(2000)は、意思決定の理論を中心にその貢献をまとめている。
続いて、経営学説上の評価について、特に、『経営行動』がどのように理解されているかを見ておく。『経営学史事典 第2版』の「行動科学の生成とサイモン」という項では、『経営行動』において、サイモンは、「組織の実態に即して記述するためには先ず、当時重要性を高めつつあった意思決定問題に焦点を当てた。目的の決定に関わる価値前提部分は、価値判断が必要で科学の対象にはなりにくいので、研究の対象から除外した。すでに決定された目的に対して諸手段を探索し、合理的なものを選択するという事実前提・機会主義的意思決定部分に絞って研究した」(経営学史学会, 2012, p. 43)とされている。また、「近代組織論(b)サイモン以降」という項では、「『意思決定』概念をバーナードとの比較でいえば、バ-ナードは意思決定を機会主義側面と道徳的側面から考察を行い、特に組織目的の形成や行為の質に関わる価値を扱う道徳的意思決定を重視し、道徳の創造という経営者の責任を明らかにしている。これに対してサイモンは、論理実証主義で言うところの事実に関わる意思決定の機会主義的側面に限定し、その概念を軸にして、組織に関する基礎理論を見事なまでに首尾一貫した形で構築している」(経営学史学会, 2012, p. 114)というようにサイモンの業績を評価している。さらに、サイモンは、「分析対象を行為ではなく、行為に先立ってなされる選択とし、その選択が意思決定前提に基づいてなされる過程に焦点を当てている。決定前提は、目的に関わる価値前提と手段に関わる事実前提に分けられ、価値を経験的に検証不可能であるという論理実証主義の立場から、事実前提を対象として、与件たる目的を達成できうる手段を選択することを『合理性』とする」(経営学史学会, 2012, p. 114)としている。
このように、サイモンは、意思決定プロセスにフォーカスを当て、組織の理論を構築したと見なされている。また、そのときに、基本的には、論理実証主義の立場を採用し、価値前提と事実前提を分け、とりわけ事実前提から意思決定の合理性を考察した研究というように評価されている。
サイモンの理論背景
サイモンは、さまざまな研究分野で顕著な業績を上げているので、何の研究者ということが特定することが容易ではない。Pugh and Hickson(2000)では、「ハーバート・A. サイモンはアメリカの著名な政治学者・社会科学者である。彼は鋭い洞察力をもって多領域における思考と実践に大きく貢献した。彼の研究歴は行政管理とオペレーションズ・リサーチの領域を出発点としているが、いくつかの大学を遍歴するうちに探求の範囲を管理のすべての側面に拡大していった。今はピッツバーグにあるカ―ネギー・メロン大学のコンピュータ・サイエンスと心理学の教授である」(訳書, p. 194)と述べている。オペレーションズ・リサーチ、行政学、政治学、経営学、経済学、認知心理学、コンピュータ・サイエンスに関する研究者ということができる。
また、サイモンがノーベル経済学賞を受賞した際、スウェーデン王立科学アカデミーはそのプレスリリースで、「サイモンは、科学理論、応用数学的統計学、オペレーション・アナリシス、経済学、経営学、他にも異なる研究分野で貢献をしてきた(中略)しかし、サイモンは、その言葉の最も広い意味で何といっても経済学者であり、彼の名前は、とりわけ、経済学の研究では比較的に新しい領域である経済的組織における意思決定と構造に関する出版と結びついている」(Royal Swedish Academy of Sciences 1978)と紹介している。当然といえば当然であるが、スウェーデン王立科学アカデミーは、サイモンを経済学者として見なしている。
それでは、サイモン自身は、どのように考えているのだろうか。そのことを知る興味深いエピソードがあるので、彼の自伝から紹介する。サイモンは、「私の書斎の壁には全部で7枚の写真が掛かっているが、彼の写真(クラレンス・リドリーを指している)はその中にある。他の写真は、父、チャールズ・メリアム、チェスター・バーナード(ビジネスマンであり『経営者の役割』(Barnard, 1938)の著者でもある)、フランクリン・デラノ・ルーズベルト、エイブラハム・リンカーン、それにアルバート・アインシュタインである」(Simon, 1991, 訳書, p. 115)と述べている。シカゴ大学のリドリーは行政学者であり、サイモンを行政学の研究に導いている。また、メリアムもシカゴ大学の政治学者で、政治学主任教授として、当時、経験主義的な研究が中心であったなかで、自然科学で要求されるような客観性や再現性を社会科学にも取り入れ、政治学を科学として確立しようとしていた。さらに、バーナードは、サイモンの『経営行動』を執筆する際に、大きな影響を及ぼしている。サイモンは、『経営者の役割』への理解を深めるために、何度か、同僚とともに読書会を開催している。サイモンは、研究者としてスタートを切った当初から、多様な研究分野からさまざまなアイデアを摂取し、自らの理論を形成してきたと考えることができる。
そのなかでも、心理学の影響を無視することはできない。サイモンは、その自伝である『学者人生のモデル』において、何度も迷路のメタファーに触れている。まえがきでは、「人生の迷路で私は多くの分岐点にぶつかり、あるときは左に、またあるときは右の道をとった。すでに書いているように、人間の判断を理解するための研究に科学者としての仕事を捧げてきた自分としては、どうしても迷路の比喩を用いたくなってしまう」(Simon 1991, 訳書, p. vii)と述べている。また、「学位論文は、経営を意思決定のプロセスと見なす枠組みを迷路の比喩を借りて導入し、それに基づいて経営を意思決定のプロセスとして考察したものである。すなわち、『人間の意思決定の単純なモデルを創るには、心理学の実験室の迷路の中で食べ物にたどりつけるような1本の道を探す白ネズミの行動をモデル化すればよい』(学位論文からの引用)」(Simon 1991, 訳書, p.133)と指摘している。ただし、「修正した論文の出版に先立って原稿を読み、コメントをしてくれた何人かの人たちからは、人間をネズミになぞらえる類推に対して強い批判を受けた。そこで、公刊された論文ではその箇所を削り、迷路の比喩も削除した」(Simon 1991, 訳書, p.133)ことを記している。
実際、『経営行動』Preliminary Editionの31ページから34ページにかけて、目的と手段のスキームでは、合理的な選択を満足がいくようには説明できないことを論じている(Simon 1945)。33ページには、図1のような仮想上の迷路が示されている。迷路におけるネズミの行動に対して、以下のような実験を行うことを想像するように述べている。つまり、ネズミがスタートから食べ物に到達するまでの簡単な迷路を考え、左の通路には金属製格子があって通ろうとすると電気ショックを受けるように設定される。実験1では、ネズミは、左の道をとると、電気ショックを受けるので、右の道をとることを学習する。実験2では、ネズミが空腹の場合には、右の道がふさがれているので、電気ショックを受けようとも左の道を選択する。実験3では、右の道を選択しようとしても、食べ物をあきらめる必要はなく、1時間待つと食べ物が与えられるようにする。この状況では、待つことで食べ物を手に入れると学習するか、あるいは、金属製格子を通っても食べ物を入手するかは、どの程度、ネズミが空腹かに依存するとしている。
この事例では、食べ物が目的であり、選択する道が手段として示されている。待つという選択をした場合には、食べ物が目的であることには変わりはないが、選択すべきことは、食べ物か、食べ物なしかではなく、今すぐの食べものか、しばらく後の食べ物に変わっている。このように、サイモンは、時間という軸を選択に加えることで、単純な目的と手段という連鎖ではない事態が起きることを迷路の事例を通して説明している。
サイモンが迷路のメタファーに惹かれるようになったきっかけは、カリフォルニア大学バークレー校のエドワード・トールマンの影響であると考えられる。トールマンの『新行動主義心理学』(Tolman 1932)にはよく迷路が出てくる。行動選択に関する実験の被験体はネズミであり、『経営行動』の第5章「管理上の決定の心理」においてもトールマンのこの著書が引用されている。
『経営行動』の変遷
サイモンは、『経営行動』の第1版を1947年に出版している。その後、1957年に第2版、1976年には第3版、そして、1997年には第4版を出している。『経営行動』という著書への並々ならない思い入れが理解できる。ここでは、まずは、各版について、どのような加筆や修正があるのか、その目次の変遷から見てみる。
まず、第1章から第11章まで、第1版において出版された内容自体については、変更されていないことから、基本的には、第1版で提示した考え方が第4版まで堅持されている。第3版は、第11章以降に6つの章を追加することで、その後の研究成果や研究動向を踏まえて、拡張を図っている。しかし、第4版では、各章の後にコメンタリーを追加するスタイルに変更される。コメンタリーを入れることでその後の研究成果や研究動向から各章をレビューするというスタイルになっていることから、第1版という原点に戻り、それ自体について、変更を加える必要はないとサイモンが考えていることを改めて示したと考えられる。
第1版にはPrefaceがあり、第2版、第3版、第4版には、第1版のPrefaceの他に、それぞれイントロダクションを付け加えられている。第1版のPrefaceでは、経営組織がどのようなものであり、どのように働くか、科学的に分析するための理論が必要であること、その理論として、意思決定が経営の核心にあり、こうした理論を人間の選択の論理と心理学から導き出されることが求められることを論じている。
第2版と第3版へのIntroductionは比較的に長く、サイモンが『経営行動』の内容について解説し、第1版出版以降、どのような研究が展開されてきているか、説明を行っている。第2版のIntroductionでは、第4章と第5章が『経営行動』の核心であり、人間による選択と意思決定の理論が提示されているとしている。選択の合理的側面とその限界となる側面の両面から考察していると述べている。そして、『経営行動』の後半部は、意思決定そのものよりもその前提に着目し、それらが集まって、組織のメンバーの意思決定に対してどのような影響が及ぼされているかを記述したとしている。第3版のIntroductionでは、第1版の内容(第1章から第11章まで)は、その内容を改訂したいと思う本質的なことがないので、そのままであると述べられている。しかし、第1版でのいくつかの重要な主題を発展させ、例示する材料を追加させることで、内容の充実を図ると考えて、第12章から第17章まで新たな章を付け加えたという。
第4版のIntroductionは、比較的に短いものとなっていて、相変わらず第1版の内容を取り消す必要性は感じないものの、内容の充実を図るという観点から、新たな章を追加するのではなく、各章に対してコメンタリーを付す方式を採用することを述べている。「コメンタリーの多くは、私が何年にもわたって出版してきた論文を使っている。しかしこれらは第4版の本文の内容に合うように全て書き直し、再整理したものである」(Simon 1997, 訳書, p.xi)としている。サイモンは、ますます意思決定が組織の中心的存在になっていることを強調している。その他で大きな変更点としては、第4版では、バーナードによるはしがきが削除されていることが挙げられる。
一般的に、サイモンは、『経営行動』において、意思決定の理論を限定された合理性に基づいて、議論を展開していると考えられている。しかし、『経営行動』においては、高橋(2008)が指摘するように、限定された合理性(bounded rationality)という用語は一度も出てこない。実際、第1版、第2版、第4版の索引を見てみると、合理性(Rationality)という親項目のなかに、子項目として合理性の限界(limits of rationality)があるだけである。ただし、第3版においては、合理性(Rationality)という親項目のなかに、子項目として限定された合理性(bounded rationality)が5カ所(xxxi, xxxiii, 38-41, 80-81, 240-244)で登場している。確かに、指定されたp. xxxiとp. xxxiiiには限定された合理性(bounded rationality)は登場するが、第3版のイントロダクションであり、後から追加されたものである。しかし、後の3カ所については、合理性の限界が論じられているものの、限定された合理性という用語それ自体は存在しない。しかも、上述したように、第3版でいったん索引に登場した限定合理性という項目については、第3版のIntroductionから第4版のIntroductionに変わったことから、子項目として削除されている。したがって、限定された合理性という用語は、本文には存在しないことを確認できる。
このことから、『経営行動』において、合理性の限界については議論されているが、限定合理性という用語自体は採用されていないということがわかる。サイモンは、『経営行動』の出版以降に限定された合理性という用語を使用するようになり、合理性の限界が同等の意味をもつと考えていたと見なすことはできるだろう。
さらに、高橋(2008)は、『経営行動』にはPreliminary Editionが存在し、第1版の奥付に“Copyright, 1945, 1947, BY HERBERT A. SIMON”というように記されていることについて考察している。高橋(2008)は、サイモンがゲーム理論の考え方を早くから取り入れていたことを示すために、わざわざ、Preliminary Editionを奥付に追加したと推察している。ただし、第1版からすでにフォン・ノイマンとオスカー・モルゲンシュテルンの文献について、第4章の脚注で触れられているので、彼らよりも先であったことを主張したものではないだろう。おそらく、1944年に出版されたノイマンとモルゲンシュテルンのゲーム理論のことを知ったが、その前に、自分も独自で同じような考え方に到達していたことを主張したかったのではないか。実際、第4章の脚注では、「ここで提示されている理論は、著者が1941年につくり上げたものである。ここでの再構成にあたっては、John von NeumannとOskar MorgensternのThe Theory of Games and Economic Behavior(Princeton: Princeton University Press, 1944)の第2章に大きな影響を受けている。彼の理論でここでの議論に関連する部分について、Von Neumannが、最初に出版したのは、1928年であることを指摘しておいたほうがフェアだろう。“Zur Theorie der Gesellschaftsspiele,” Math. Annalen 100: 295-320(1928)」(Simon 1947, p. 67)と述べている。
おわりに
今回、サイモンによる『経営行動』の理解を深めるために、その理論背景になることを中心に検討を進めた。そのなかで、いくつか、サイモン理論を理解する上で、疑問になることがいくつか浮かび上がってきている。そこで、いったん、それらの内容を整理し、その観点から次回以降で、『経営行動』、あるいは、その後のサイモンの研究を見直してみたいと考えている。
まず、サイモンの研究業績に対する評価では、サイモン理論のバックボーンは論理実証主義と見なされているものの、それは本当に適切であるのだろうか。この評価が次の疑問と強く結びついている。つまり、サイモンは論理実証主義の立場から価値前提と事実前提を峻別して、価値前提を切り捨てたと考えられているが、サイモン理論を理解する上で、適切なのだろうか。また、サイモンは限定された合理性という観点から意思決定を考察したと評価されているが、当初、サイモンが考えていた合理性の限界と限定された合理性というものは同じものと見てもいいものなのだろうか。さらに、『経営行動』のPreliminary Editionでは、ネズミと人間の意思決定を同一のものと考えるように記述しているが、サイモンが考えている意思決定は、ネズミと人間で大きく変わるものではなく、シンプルなアルゴリズムに基づくものと捉えていたのだろうか。
以上のような疑問を『経営行動』を読み直す視点として設定し、次回では、いよいよ『経営行動』のなかでも意思決定と限定された合理性について論じた部分を中心に再検討する作業に取り組むことにする。
参考文献一覧
経営学史学会編『経営学史事典 第2版』、文眞堂、2012年。
The Royal Swedish Academy of Sciences (1978) “Studies of decision-making lead to prize in economics,” available at: https://www.nobelprize.org/prizes/economic-sciences/1978/press-release/?source=post_page---------------------------(2024年5月15日閲覧)。
Pugh, D.S. and Hickson, D.J.(2000)Great Writers on Organizations, The Second Omnibus Edition, Ashgate Publishing, Hampshire, England(北野利信訳『現代組織学説の偉人たち』、有斐閣、2003年)。
Simon, H.A. (1945) Administrative Behavior, Preliminary Edition, Illinois Institute of Technology, Chicago.
Simon, H.A.(1947, 1957, 1976, 1997)Administrative Behavior, Macmillan, New York, NY(松田武彦・高柳暁・二村敏子訳『経営行動』第2版、ダイヤモンド社、1965年、第3版、ダイヤモンド社、1989年、二村敏子・桑田耕太郎・高尾義明・西脇暢子・高柳美香訳『経営行動』第4版、ダイヤモンド社、2009年)。
Simon, H.A. (1991) Models of My Life, Basic Books, New York, NY(安西祐一郎・安西徳子訳『学者人生のモデル』、岩波書店、1998年)。
Spender, J.C. (2013) Herbert Alexander Simon: Philosopher of the Organizational Life-World, in Witzel, M. and Warner, M. (eds.), The Oxford Handbook of Management Theorists (pp. 134-151), Oxford: Oxford University Press.
高橋伸夫(2008)「『限定された合理性』はどこに ―経営学輪講 Simon (1947, 1957, 1976, 1997)―」『赤門マネジメント・レビュー』第7巻第9号, pp. 687-706。
Tolman, E.C. (1932) Purposive Behavior in Animals and Men, D. Appleton-Century-Crofts, New York, NY(富田達彦訳『新行動主義心理学―動物と人間における目的的行動―』、清水弘文堂、1977年)。