Loading...

Internet Explorer (IE) での当サイトのご利用は動作保証対象外となります。以下、動作環境として推奨しているブラウザをご利用ください。
Microsoft Edge / Google Chrome / Mozilla Firefox

close
menu
人間とは、正義とは、理想の社会とは何か。

Vol.1|人間とは、正義とは、理想の社会とは何か。|鼎談 共感資本主義×THE MEANING OF WORK

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有
  • 堂目 卓生

    堂目 卓生TAKUO DOUME
    大阪大学総長補佐
    社会ソリューションイニシアティブ長 大学院経済学研究科教授

    慶應義塾大学経済学部卒業、京都大学大学院経済学研究科修士課程修了、京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、経済学博士。立命館大学経済学部助教授を経て、大阪大学大学院経済学研究科教授に。専門は経済思想史。未来社会を構想するシンクタンクとして、2018年に「社会ソリューションイニシアティブ(SSI)」を立ち上げる。2019年、紫綬褒章受章。著書に『アダム・スミス』(中公新書)

  • 大島 崇

    大島 崇TAKASHI OSHIMA
    株式会社リンクアンドモチベーション モチベーションエンジニアリング研究所 所長

    京都大学大学院修了後、大手ITシステムインテグレーターを経て、2005年、株式会社リンクアンドモチベーションに入社。中小ベンチャー企業から従業員数1万名超の大手企業まで幅広いクライアントに対して、組織変革や人材開発を担当。現場のコンサルタントを務めながら、商品開発・R&D部門責任者を歴任。2015年、モチベーションエンジニアリング研究所所長に就任。

  • 白藤 大仁

    白藤 大仁DAIJI SHIRAFUJI
    株式会社リンクコーポレイトコミュニケーションズ 代表取締役社長

    2006年リンクアンドモチベーション入社、同社の採用支援部門の事業部長を務め、業務効率向上コンサルティング等に従事。2015年には新規グループ会社を設立。企画室室長としてマーケティングやセールスプロセス構築のコンサルティングに従事した経験を持つ。多くの経営者および経営ボードとの実務を経て、2019年に株式会社リンクコーポレイトコミュニケーションズの代表取締役社長に就任。「オンリーワンのIRを。」をメインメッセージとし、企業のオンリーワン性を導き出すことで、IR活動や経営活動を支援する事業を行う。

世界が劇的な変化を遂げる中、社会、そして企業は「あるべき姿」への変革が求められている。だが、その具体像を語れる者は決して多くない。大阪大学大学院の堂目卓生教授を招き、これからの社会、企業経営の「あるべき姿」を模索していく。


自分の幸せは、大きく見える。

自分の幸せは、大きく見える。
白藤 大仁
白藤

アダム・スミスの著書『道徳感情論(The Theory of Moral Sentiments)』では、感情という概念を「Sentiment」ではなく、「Sentiments」と捉えています。つまり、ある特定の感情ではなく、多様な諸感情に基づく考え方だと言えます。

大島 崇
大島

私たちリンクアンドモチベーションは、組織と個人のエンゲージメントを高め、それを成長のエンジンとしていく事業を展開していますが、人は「限定合理的な感情人」であるという人間観を前提に組織改革に取り組んでいます。人は常に合理的な判断をする存在ではなく、感情に左右される。そして、その判断はシチュエーションやタイミングによっても変わります。アダム・スミスが示した考え方と非常に近しいものがあると考えています。

堂目 卓生
堂目

そうですね。いわゆる理性によって社会秩序を構築する『社会契約論』(ジャン・ジャック・ルソー著)に対して、アダム・スミスは本当にそうだろうかと疑問を提示しました。感情に左右される私たちが、将来を見据えた合理的な判断ができるのか。人々の命について理路整然と考え、どのような道徳が求められるのかを考えているのだろうか。いや、できていないでしょうと。大島さんの話にあった「限定合理的な感情人」という言葉を聞くと、本来は合理的であるべきなのに、できていないというネガティブなイメージを持ってしまいます。でも、違うんですよね。アダム・スミスは、そもそも道徳は理性に基づくものではなく、感情に基づいたものだとしています。複数の感情が入り乱れ、対話を重ねることで、秩序が構築される。そこが、『道徳感情論』の基本的なコンセプトなんです。

白藤 大仁
白藤

対話ですか。

堂目 卓生
堂目

はい。さまざまな立場や考え方の人が集まって対話し、話の内容だけでなく、それを話す人の動機、意向、そして感情を理解しようとする。話の真偽を判定するだけでなく、話す人の気持ちを理解しようとするのです。そして、自分がその人の立場に立ったら、どんな感情を持つだろうかと想像し、是認や否認をする。これは、自分の立場や感情に固執するディベートとは大きく異なるものです。

大島 崇
大島

対話から共感が生まれ、それが社会を構築していくわけですね。

堂目 卓生
堂目

そこで、さらに大事になってくるのが、相手とのやり取りや意見・感情の違いを第三者はどう見るだろうかと想像してみることです。アダム・スミスは「公平な観察者」という言葉でそれを表現しています。自分と相手のどちらにも偏らず、等距離を保って見る視点を持とうと。この立場に立って、あらゆる人々が互いに共感しながら、「公平な観察者」の立場で、自分や相手の行動が適切かどうかを判断する目を持つことができれば、多様な意見を聞き合いながら、コミュニティーとしてまとまりのある意見が形成されていくのです。

大島 崇
大島

それぞれが「公平な観察者」という視点を持っている。このことは、堂目教授の著書を読んで、特に印象に残ったポイントでもありました。私たちが定義する「限定合理的な感情人」という人間観は、少し単純化されすぎているな、と。感情人という側面の中にも、「公平な観察者」としての一面や、賢明さ、感情的になってしまう弱さをそれぞれに抱えている。そうした点を踏まえて、人というものを捉えなくてはいけないと感じさせられました。

堂目 卓生
堂目

「公平な観察者」について説く時に、私はよく遠近感で説明します。例えば、今、私が目の前にペンを持っていて、その向こうには窓があって遠くの山が見えるとします。これを絵にすると、ペンが大きく見え、山は小さく見える。ところが、私たちは山が小さいとは思いませんよね。それは、それぞれの大きさを理解する別方向からの目線を持っているからです。では、このペンを自分の利益や幸せだとしましょう。そして、山は自分が所属するコミュニティー全体や社会の利益・幸せです。何気なく生活していると、どうしても自分のことばかりを考えがちですが、「公平な観察者」の視点があれば、もっと大事なものがあることに気づくというわけです。自分の幸せだけにこだわり過ぎず、道徳的な遠近感を持つことで利己心が抑制され、皆が安心して生きていける社会が構築される。アダム・スミスはそうしたことを説明してくれているのです。

白藤 大仁
白藤

ペンと山。道徳的な遠近感。わかりやすいお話ですね。

堂目 卓生
堂目

誰にでも、自分の幸せは大きく見えますよね。すべての人が常に合理的になれるか、科学に基づいてすべてを計算した社会をつくっていけるか。できるはずがないですよね。アダム・スミスは、その傲慢さや科学・知識に対する過信を諫めているのです。ソクラテスではありませんが、「まずは己の無知を知ること」が大事です。貴社が定義する「限定合理的な感情人」という捉え方も、ある意味、謙虚になれというメッセージが含まれているのかもしれません。

大島 崇
大島

私もそうですが、「ペンのことしか見えていなかったな」と反省する人は多いのではないでしょうか。人は完全に合理的にはなれない。だからこそ、経営の世界においても、「感情」や「共感」をエネルギーに変えられる人は強いですよね。

「慈恵」ではなく「正義」の問題だ。

「慈恵」ではなく「正義」の問題だ。
白藤 大仁
白藤

リンクアンドモチベーションでは、お客様からいただいた売上を「共感」の総量、そこから生まれる利益を事業成長に与えられた「自由」だと考えています。これからの社会や経営を考えるうえで、「共感」は大きなキーワードになると思います。では、次の質問に移ります。アダム・スミスは「正義」が社会を支えると言っています。今の世の中において企業の「正義」を考えた時に、どのような指標が本来的な「正義を遂行している指標」になりうるとお考えでしょうか?

堂目 卓生
堂目

アダム・スミスの言う「正義」とは「他人の生命、身体、財産、評判を侵犯しないこと」で、これはアリストテレスの『ニコマコス倫理学』における「交換正義」に該当します。ですが、もともとは「ふさわしい物がふさわしい者に所属していること」こそが「正義」です。アリストテレスが示した「正義」には、もう一つ「分配正義」という概念があり、「人々の間で物がどのように分配されているのが適性なのか」を指しています。この視点から見れば、貧富の差も「正義」の問題ということになりますよね。しかし、『道徳感情論』において、アダム・スミスは「分配正義」を「慈恵(他者に分け与えること)」の問題として取り扱いました。

白藤 大仁
白藤

「慈恵」に属する部分も、現代では「正義」の問題に捉えるべきだとお考えなのですね。

堂目 卓生
堂目

そうです。アダム・スミスの定義に従った場合、企業であれば、法に則って、契約を結んで労働者を雇用し、原材料を仕入れ、生産して、消費者に届ければ、「正義」を守っていることになります。しかし、雇用、生産、販売、消費など経済の諸局面に「外部性」が存在する場合は、狭義の「正義」を守っているだけでは済まないですよね。低賃金での雇用が労働者の生活を困窮させている。生産において環境を破壊している。事業がエネルギーの枯渇につながっている。消費によって消費者の健康や生活、人間関係を損ねている……。そのようなことになっていないかどうかも「正義」の範疇に入ってきます。企業活動における「外部性」の影響は、無視できないほどに大きくなっています。ESG投資に関連する指標や、SDGsなどは、スミスが言う「慈恵」ではなく、「正義」の問題として捉えなくてはなりません。そして、その「正義」を守っているか否かは、法に触れているか否かではなく、「公平な観察者」の目で見て、是認できるか否かで判断すべきだと思います。

白藤 大仁
白藤

「外部性」がキーとなり、企業に求められる「正義」も拡大してきているのですね。従業員からのエンゲージメントは、それがしっかりと守られているかの指標になりうるかもしれません。

大島 崇
大島

「外部性」という観点から考えると、地球という惑星に対して、どこまで想像を膨らませられるかが大事になると思っています。少し話が反れますが、私の実家はお寺なんです。子どもの頃からさまざまな教えを受けてきたのですが、その多くは「人が喜ぶことをしよう」「人が嫌がることはやめよう」の2つに分類できるんですよ。何気なく生活していると、周囲の人や所属する会社の中くらいにしか意識は向かないものですが、この2つの行動が連鎖していけば、社会から動植物をはじめとしたすべての命、地球といったところまで想像が至るのではないかと思っています。いささか楽観的かもしれませんが(笑)。いずれにしても、「正義=理想社会の追求」であると捉えると、従業員エンゲージメントの意味合いは大きく変わってきますね。自分だけの幸せにとどまることなく、自分を生かしてくれている環境や地球にも目を向け、所属する組織に対しての共感が生まれる……。私たちは「よい会社の定義を変える」と標榜していますが、そのための一つの指標となりうる可能性はあると感じます。

白藤 大仁
白藤

ビジネスの現場では、どうしても目の前のことに集中してしまいます。その先のことを想像することが難しいですよね。

大島 崇
大島

『道徳感情論』や『国富論』の背景にある社会状況は、技術の発展、格差の拡大など、現代と似通った部分がありますよね。アダム・スミス自身も、現実と理想が程遠いことは理解したうえで、「実現していこう、いきたい」といった想いを込めて、メッセージを発信していたように感じます。

堂目 卓生
堂目

その通りだと思います。世界はどうあるべきかという理想と、それをどこまで追求するかという現実。理想を共有しなくては、エンゲージメントも単なる居心地の良さや、仲間との団結を示すだけになる。それでは、今の世界に閉じ込められたままですよね。しかし、理想さえ掲げていればいいかと言うと、そうではない。大切なのは、それを実現していくこと。大層な理想を掲げたものの、組織にいるのは「体系の人」ばかり。現実は違和感と反発しかないといった状況では、うまくいくはずがありませんから。

白藤 大仁
白藤

「体系の人(=The Man of system)」の話題が出ましたね。次回は、このテーマについて深く掘り下げていきたいと思います。

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有

この記事が気に入ったら
フォローしよう!