Loading...

Internet Explorer (IE) での当サイトのご利用は動作保証対象外となります。以下、動作環境として推奨しているブラウザをご利用ください。
Microsoft Edge / Google Chrome / Mozilla Firefox

close
menu
Vol.3|流行りの経営理論の源流にある日本の経営技術①:両利きの組織とカイゼン|経営コンセプトの力|「理論」と「実践」の接続|Link and Motivation Inc.
img

Vol.3|流行りの経営理論の源流にある日本の経営技術①:両利きの組織とカイゼン|経営コンセプトの力

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有
  • 岩尾 俊兵

    岩尾 俊兵Shumpei Iwao
    慶應義塾大学 商学部 准教授

    慶應義塾大学商学部卒業、東京大学大学院経済学研究科マネジメント専攻博士課程修了、東京大学博士(経営学)。第73回義塾賞、第36回・第37回組織学会高宮賞、第22回日本生産管理学会賞など受賞。近刊に『13歳からの経営の教科書』(KADOKAWA)。

日本の組織はなぜ力を失ってしまったのか、それは組織内で働く個人にとってどんな問題を引き起こすのか、そこから抜け出すヒントはどこにあるのか。こうした問題意識のもとで、この連載3回目からは、世界的に流行しているいくつかの経営理論の源流に日本の経営技術が果たした役割を概観する。今回は、その中でも、「両利きの経営/両利きの組織」とカイゼンの関係について考える。

経営技術の逆輸入は他人事では済まされない

経営技術の逆輸入は他人事では済まされない

前回までの連載において、筆者は、日本企業がおちいる「経営技術の逆輸入」状況について説明した。しかも、経営技術を逆輸入してしまうことで、経営コンセプトレベルの競争において「強みは捨て、弱みを取り入れる」という愚行をおかしてしまうと指摘した。こうした愚行を繰り返していけば、個人を束ねる経営コンセプトがむしろ個人の能力の合計を割引(ディスカウント)してしまう可能性がある。すなわち、組織能力が個々人の能力の合計よりも経済的価値が低くなる。

そうなれば、個人は組織において能力を十分発揮できず、給与・報酬も実際の能力以下しか受け取れなくなる。組織もまた、組織としての価値を発揮できないため、成長率は低下し、競争力は喪失し、投資家からの評価は低くなる。組織は単なる個人の集合以上である。だが、経営技術の逆輸入は、組織を個人の集合以下の存在に変えてしまう。だからこそ、この連載で指摘している状況は経営トップだけではなくすべての企業人にとって自分事なのである。

流行の経営理論を一歩引いて見てみる

流行の経営理論を一歩引いて見てみる

ビジネス界隈で「流行り言葉」「バズワード」となっている経営コンセプトの中には、日本企業の経営実践・経営技術が源流の一部をなすものがある。たとえば、両利き経営、オープン・イノベーション、ユーザー・イノベーション、リーン、アジャイル、ティールなどは、程度の差こそあれ、コンセプト創出段階において日本の経営技術が重要な役割を果たしている。それにもかかわらず、日本の経営は「すべてにおいて」「全方面で」「一方的に」遅れていると考えるのは、思考停止による根拠なき悲観論である。

最初に、両利きの経営・両利きの組織について見てみよう。両利きの経営とは、企業等の組織があたらしい事業機会の探索と既存の資源・能力の活用とをどちらもバランスよくおこなうことを指す。知の探索と活用・深化などと呼ばれることもある(図表1)。

図表1 両利き経営の概念図

ときどき「日本企業は両利きの経営ができないからダメなのだ」という言説が聞かれる。しかし、一度立ち止まってよく考えてみると、既存の技術や知識の活用をしつつ、あたらしい技術や知識を探索したり、あたらしいビジネスを模索したりするというのは日本企業の得意技ではないだろうか。たとえば、カイゼン活動はどうだろうか。カイゼン活動は、世界でカイゼン(Kaizen)という単語で通じるくらい一般化した日本発の経営技術である。カイゼンは、普段の生産活動をおこなう中で、生産に関しての知識を蓄積し、さらにその知識に疑問を持つ機会を与えることで、生産やサービスのあり方を再考することを指す。QC七つ道具など、カイゼン活動の遂行に便利なツールも開発されている。

カイゼンは、一方面において既存の生産の知識を深化させている。しかし、その知の深化を「前提として」、新たな生産のやり方が探索される。そして、その結果として、新車種の量産が既存の生産ラインを活用する形で安価に実現されたりする。たとえば、筆者が日本の自動車産業を調査した際に発見した、ロボットが行き交い、1生産ラインで5車種・6車種の同時生産が可能な未来の生産ライン「変種変量ライン」も、きっかけはちょっとしたカイゼン活動であった(Iwao, 2022)。また、小川進『QRコードの奇跡』(東洋経済新報社)が詳細に報告しているように、世界を変えた日本発イノベーションである「QRコード」は、もとはトヨタ自動車(株)のサプライヤーである(株)デンソーがトヨタ生産方式で用いるカンバンを管理するために発明したもので、こちらもきっかけはカイゼン活動だった。既存の生産活動を実行しつつ、これを効率化させ、さらに工程や製品のイノベーションを起こす。まさに、両利き経営だと思われないだろうか。

日本企業の得意技「カイゼン」は両利き経営のお手本

日本企業の得意技「カイゼン」は両利き経営のお手本

このように主張すると、「いや、カイゼンとイノベーションは違う」とか「カイゼンは両利き経営とは関係ない」という反応が返ってくる。では、両利き経営の生みの親であるオライリーとタッシュマンはどう主張しているか確認してみよう。実は彼らは、2013年にAcademy of Management Perspectives誌に発表した論文の329頁において、トヨタ生産方式が両利き経営の最も分かりやすい例(most visible illustration)だと述べている。すなわち、カイゼン活動においては、作業者が自動車を組み立てるという既存の知識の活用と、作業をより効率的なものに変化させるという知識の探索との両利き経営をおこなっているというのだ。なお、彼らは、生産のフレキシビリティを向上させるのも知識の探索やイノベーションだとしているので、前述の「変種変量ライン」はまさにその好例である。

さらに、両利き経営の提唱者の一人であるチャールズ・オライリー教授は、筆者がManagement and Business Review誌に掲載した論文を読んだ感想を、2022年8月30日日本時間2時20分に私信で送っている。以下に一部を引用する。

この論文は、カイゼンというプロセスが常に漸進的な改良のみをもたらすとは限らず、時には非連続的な進歩をもたらすこともある、ということをうまく言い当てていると思います。これに関して、興味深いことに、アマゾン ウェブ サービス(2021年に620億ドルの事業規模)もまた、2002年に開発者のITインフラへのアクセス性を向上させるための小さな社内プロジェクト(カイゼン)から始まりました。これをきっかけに、アマゾンはITサービスを外部の開発者にも販売できると認識しました。QRコードの例も、効率化のための社内プロジェクトが、結果的に抜本的な変化につながった例でしょう。そういう意味では、漸進的なイノベーションがラディカルなブレークスルーを生むことがあるというのは、私も同意見です。

原文:I liked it and thought you made a good case for why continuous improvement (a process) does not always produce only incremental improvements but can, on occasion, result in discontinuous advancements. It's interesting that the origins of Amazon Web Services (a $62 billion business in 2021) began in 2002 with a small internal project to improve the accessibility of IT infrastructure for developers (a process improvement). This led to a recognition that Amazon could also sell IT services to external developers. I think your example of the OE codes is of this sort: an internal project to improve efficiency results in the discovery of something that offers radical improvements. In this sense, I agree with you that incremental innovation can sometimes produce radical breakthroughs.

もちろん「それは日本企業の中でも良い企業にすぎない。大抵の日本企業はそんな先端的ではない」という反論はありうる。しかし、それはアメリカ企業も同じである。基本的に、見本とされている企業は、その本拠地が日本であろうとアメリカであろうと世界のどこか別の国であろうと、良い企業だから取り上げられたのである。だとすれば、日本にもアメリカにも(その他の国にも)優れた企業とそうでない企業とがあるのだから、どこかの国の企業から一方的に学ばなければいけないことにはならない。むしろ、自国の中に優れているとされた企業があるのなら、地理的にも言語的にも文化的にも距離の近い自国の企業から学んだ方が、効率がいいだろう。

Facebookへ共有 Twitterへ共有 LINEへ共有 noteへ共有

この記事が気に入ったら
フォローしよう!