『世界標準の経営理論』がビジネスを革新する。書籍誕生秘話。
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入山 章栄AKIE IRIYAMA
早稲田大学大学院教授・早稲田大学ビジネススクール教授慶應義塾大学経済学部卒業、同大学院経済学研究科修士課程修了後、(株)三菱総合研究所を経て、2008年に米ピッツバーグ大学経営大学院より博士号(Ph.D.)を取得。同年、米ニューヨーク州立大学バッファロー校ビジネススクール助教授に就任。2013年、早稲田大学ビジネススクール准教授。2019年より現職。専門は経営戦略。国際的な主要経営学術誌に多く論文を発表している。『ビジネススクールでは学べない世界最先端の経営学』(2015年11月刊)、『世界標準の経営理論』(2019年12月刊)は、いずれもベストセラーとなっている。
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林 幸弘YUKIHIRO HAYASHI
株式会社リンクアンドモチベーション
モチベーションエンジニアリング研究所 上席研究員
「THE MEANING OF WORK」編集長早稲田大学政治経済学部卒業。2004年、株式会社リンクアンドモチベーション入社。組織変革コンサルティングに従事。早稲田大学トランスナショナルHRM研究所の招聘研究員として、日本で働く外国籍従業員のエンゲージメントやマネジメントなどについて研究。現在は、リンクアンドモチベーション内のR&Dに従事。経営と現場をつなぐ「知の創造」を行い、世の中に新しい文脈づくりを模索している。
世界の主要な経営理論30を網羅した『世界標準の経営理論』がベストセラーとなっている。この正解のない不確実な時代に、多くのビジネスパーソンに「思考の軸」をもたらす野心的な一冊は、いかにして誕生したのか。そして、ここからどのような化学反応が生まれていくのか。著者の入山章栄氏に話を伺った。
「純粋なあこがれ」が、志の原点にあった
林
『世界標準の経営理論』がいかにして誕生したのか。まずは、入山先生がアカデミアの世界を志したきっかけをお聞かせください。 |
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入山
私は1992年に受験で慶應の経済学部に入ったのですが、実は経済にも、ビジネスにも全然興味はなかったんですよ。受かった大学の中で、一番偏差値が高いところだったので経済学部を選んだだけ、という残念な理由です。それが正直なところですね。経済を学ぶことに腹落ちしてないから、講義も休みがち。1年生の時には、勉強をしなさすぎたので留年しかかったほどです(笑)。 |
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林
それは意外ですね。何が転機となったのですか? |
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入山
慶應経済では3年生になるとゼミが始まるのですが、そのタイミングで恩師の木村福成先生と出会ったことですね。木村先生は直前までニューヨーク州立大で教壇に立ち、世界の経済学の第一線でバリバリ活躍し、論文もたくさん出していた。そんな先生が帰国して慶應にやってきた。私はたまたまその一年目のゼミ生になったのです。当時の私が、国際経済学を理解していたかというとそうではないのですが、木村先生には「オレは世界だ!」みたいな凄みとカッコよさがありましてね。そこで感じた「純粋なあこがれ」がアカデミアの世界を志す原点になったと思っています。 |
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林
一度、三菱総合研究所に入社され、そこから博士号取得のためアメリカへ留学されていますね。そちらの経緯について教えていただけますか。 |
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入山
三菱総研で自動車業界のリサーチ・コンサルティングを任されていたのですが、そこで抱いた「経済学」への疑問が、「経営学」の世界に進むきっかけになりました。例えば、古典的な経済学の考えで、生産関数というのがよく使われます。当時の経済学では、おおまかに企業の生産関数は一つの業界内ではどの会社も同じ、と仮定します。学生時代はそんなもんなのかなと思っていたのですが、いざ三菱総研に入って自動車業界の現実をみると、同じ業界なのに、会社ごとに、能力も、技術力も、組織カルチャーや人材も全然違う。経済学が悪いわけではないのですが、個人的にはそこに疑問を感じ出していたんです。そんなタイミングで、たまたま「経営学」の論文を読む機会があったのですが、背景となる理論が数式ではなく、自然言語で書かれている。かつ、データを駆使した統計分析も求められる。私はデータ解析が好きで、でも理論を数学で書く経済学は少し違和感があった。だから、経営学は自分にすごく向いていると思ったんです。しかも何より、経営学は経済学よりも、個々の企業に焦点をあてる学問だ、と。「自分が求めていたものは、これだ!」と思いました。 |
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林
ある意味での人間臭さというか。数式だけでは測れない面白さというか。そこに魅せられたと。 |
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入山
そうですね。ただ、本音を言えば、もう一つ理由がありました。「外国に住んでみたい」という単純な願望です。外国に住むためにはどうすればいいか考えた時に、「そうか、木村先生みたいに海外で博士号を取ればいいんだ!」と(笑)。実はこっちの方が大きかったですね。 |
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林
内発的な動機があったんですね。好きだから動く。やりたいと思ったからチャレンジする。とても素敵なことだと思います。 |
多様な個性が集い、議論し、知が深まっていく
林
アメリカ留学時の経験は、入山先生の今を形成するうえで、極めて重要な意味があると思います。博士号(Ph.D.)取得はシビアな世界で、世界から優秀な人材が集まり、その半数近くが脱落していくそうですね。 |
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入山
アメリカの大学では、1週間で数十本もの学術論文を徹底的に読み、それをもとに授業で最先端の議論を行っていきます。それを怠れば、「こいつはついていけない使えない奴だ」とクビになってしまうわけです。だから、眠れない。クビになる前に、精神的に耐えられなくなり辞めてしまう仲間もいました。でも私の場合、確かに大変なのですが、苦しいと思ったことはまったくなかったですね。私としては、好きなことを腹落ちしてやっていたわけですから。 |
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林
当時を振り返って、特に印象的だったことを教えてください。 |
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入山
アメリカのPhDにいたときに一番よかったのは、「あなたはどこの国の人?」といった国籍に関する話をほとんどしないんですよね。多様性のある国の強さだと感じました。Ph.D.の授業は少人数での議論がメインですが、あるときなど教授はインド人、学生も日本人、中国人、インド人……。そこには、アメリカ人は一人もいない。その多様な面々がたどたどしい英語を使って、遠慮なく議論し、互いの考えをアプリシエートしていくわけです。 |
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林
正解がない世界で、切磋琢磨し合いながら、知を掘り下げていく。その過程で、思考が突き抜ける瞬間が生まれていく……。知識詰め込み型の教育スタイルでは、そうした刺激的な機会には、なかなか恵まれません。 |
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入山
そうした意味では、本当に恵まれていました。これは私のいた大学院のリベラルなカルチャーも影響していると思うのですが、経営学の最前線で活躍する著名な研究者たちが「オレはこう思うけど、みんなはどう思う?」とフラットに議論を交わしてくれるんです。学生たちが遠慮なく反論すると、彼らも「そんなことはない!」と熱くなって。最終的には教授VS生徒のバトルに発展するのがお約束でした。自分と異なる知見を持つ、多様な人たちと議論を交わす。その積み重ねが私の世界を飛躍的に広げてくれたと思っています。新たな知を生む、議論の場をつくる。『世界標準の経営理論』を通じて、ビジネスの世界で実現したいのも、まさにそんな場なんです。 |
経営理論を、社会実装する
林
「思考の軸」となる理論をもとに、異なる相手と議論し、新たな知を生み出していく。『世界標準の経営理論』は、ビジネスパーソンの「共通言語」となるものだと私は考えています。この本を出そうと考えた経緯を教えていただけますか。 |
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入山
「共通言語」!うれしいですね。まさにそれこそ、この本の狙いです。本書を書き始めたきっかけは、「世界初の経営理論の教科書をつくりたい」という想いがあったからです。著書でも述べたのですが、経営理論の教科書は、この世界に存在していませんでした。経営学の理論には、経済学・社会学・心理学という3つの基礎理論が根底にあり、経営学者によって、どの理論を基礎(ディシプリン)にするかもそれぞれ違います。学者の仕事は論文を書くことであり、名を成すためには、自らのディシプリンを極めることが重要になります。専門外の領域までをも俯瞰した本を書く暇などないわけです。一方で私の場合、たまたま経済学がベースにあり、留学先のピッツバーグ大学が社会学に強かったこと、そして、単位交換をしていたカーネギーメロン大学が認知心理学の総本山のようなところだったことが大きかった。たまたま、この3つの理論ディシプリンをベースにした経営理論に全部触れられたんですよね。私自身はたいした人間ではないですが、運がよかったんです。この本を書く縁と運に恵まれたということですね。 |
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林
まさに、入山先生だからこそ書けた野心的な書籍ですね。では、どのような目的を持って、執筆にあたっていたのでしょうか。 |
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入山
実は、書き始めたタイミングと書き終わったタイミングで目的が違うんです。最初は単純に「経営理論の教科書をつくろう」と思っていたので、文章も学術的なものを意識していました。ところが、執筆した記事を編集者から突き返されてしまって(笑)。それも当然ですよね。『世界標準の経営理論』のもととなった連載記事は、ハーバード・ビジネス・レビュー誌に掲載されていたのですが、この雑誌はビジネスパーソン向けのもの。いかにビジネスに意味があるかが求められるのですから。それからは、実際のビジネスを強く意識するようになりました。 |
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林
実際のビジネスを意識する中で、目的が変わっていったと? |
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入山
執筆しているうちに、「経営理論はビジネスに示唆がある、思考の軸になる」ということに気づいたんです。そこで、ビジネスの世界で活躍する人たちと、この連載をベースに議論をしてみたいと考え、ハーバードビジネスレビューを通じて勉強会イベントを開催させていただいたのです。すると、大企業の経営層やマネージャー、スタートアップの経営者など、実に多くのビジネスパーソンに集まっていただけました。そして、そこでの議論を通じて自らの知識がさらに深まり、新たな文脈と理論に対する腹落ちが生まれていったんです。「理論は思考の軸になる」、そう確信できた段階で、この本を書く目的は、「経営理論を社会に実装する」ことに変わりました。 |
抽象化して、対話する。そのための「共通言語」を
入山
林さんは「『世界標準の経営理論』は『言語』だ」と言ってくださったでしょう?あれ、すごくありがたかったんですよね。まさに、そうなってほしいと願って書いた本でしたから。それ以来、あちこちの講演で「言語」という表現を使わせていただいています(笑)。 |
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林
理論とは、「何が=what」に応えるものではなく、「どのように=how」「いつ=when」「なぜ=why」に応えるもの。入山先生の本にも書かれていますが、数々の理論を基本として、異なる業種の人が理解し合い、議論し、知を深めていける。まさに、「言語」だなと思います。実は、『世界標準の経営理論』を使った、“越境読書会“と称した少人数の勉強会を開催しています。参加者は静岡・神戸・松山とさまざま。業種も製造業、シンクタンク、マスコミ、行政など多様です。でも、「共通の言語」を介しただけあって、理解が深まり、議論も毎回、大いに白熱しています。私自身も読み、対話をしていくにつれて、経験が血肉化されていき、整理されて、考える切り口が広がり、思考の自由度が高まっていくような感覚になりました。単なる読書会ではなく、『世界標準の経営理論』の掘り下げ範囲を決めて、メインの担当を決めます。参加者全員、事前に該当範囲を読み込み、自分なりの解釈を持ち寄る形式にしています。メインの担当者は、準備がちょっと大変なのですが、ビジネスで苦労した経験を『世界標準の経営理論』に照らし合わせて言語化していくプロセスを経て、腹落ちしていく感覚を持っています。 |
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入山
それこそがまさに、私がやりたいことなんです。実際に異業種の人同士が集まって、現実をベースに議論しても、話がかみ合わないことがままありますよね?各々が独自の常識の中にいることを認識していない。だから、その業種・業界の専門用語を何気なく使っても通じず、「これって常識じゃないんですね」と気づくケースが多いんです。多様な価値観とバックボーンを持つ人が議論をするには、実はそれぞれが抱える問題を抽象化することが必要です。それぞれの現場の具体感だけで話していると、言葉も事例も違うので、かみ合わないわけです。でも抽象化すれば、議論になる。そして、抽象化するためには「共通の言語」が必要なんです。それがあるからわかり合えるし、「こういうことか」と腹落ちできる。「言語化、抽象化、そして対話」。これら3つが整って初めて、新たな知が生まれていくのだと私は考えています。 |
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林
『世界標準の経営理論』を活用しながら対話によって学びを深めていくことは、入山先生がアメリカで経験された教授との学生のセッションのように、立場を超えて本気の議論による知の格闘技に近い経験ができるのですね。『世界標準の経営理論』が共通言語になって、「英語」のように、対話を可能にする役割を果たしてくれると実感しました。 |
センスメイキングが、イノベーションの原動力に
林
私自身、仕事を通じて組織や人の変革のご支援をしてた経験からも、『世界標準の経営理論』に取り上げられた「センスメイキング※理論」は特に重要だと感じました。入山先生のキャリアの中でも、「腹落ち」というキーワードが目立っていましたよね。 |
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入山
「センスメイキング理論」は、知の探索・知の深化の理論、野中郁次郎先生の「知識創造理論」と並んで、もっとも大切な3大理論だと考えています。「不確実な時代に、事前に用意できないことを腹落ちしてやってみたら、できちゃった」ということって実は多いんですよ。 |
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林
なるほど。客観的な分析やロジックだけで、世の中は動いているのではないと。 |
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入山
腹落ちした人が仲間を巻き込んでいって、大きなことを成し遂げる。でもそれまでは必死で、あとで振り返ってから「ああ、自分が成したことはこういうことだったのか」と気がつくものだ、というのがセンスメイキングです。これはすべてのイノベーションに共通する大事なことだと思いますし、これまでの世の中もそうして動いてきた経緯があります。例えば、オイルショックの時などは、客観的にみればトイレットペーパーがなくなるわけはなかった。でも日本人の多くが「トイレットペーパーがなくなるかもしれない」と思い込んだので、結果的に本当にそうなってしまった。腹落ちするって、それくらい大きなパワーになるんですよ。これからの企業にはイノベーションが求められますが、そのためには人材のセンスメイキングが必要不可欠になります。心が躍らなければ、何かを変えることはできない。ですから、これからの人事には、人を腹落ちさせる、惹き付けることが求められますよね。従来のように、新卒で一括採用されて、腹落ちする機会のないまま、降りてきた仕事をただこなし続ける。それでは、話になりませんから。 ※センスメイキング(sensemaking):世界的な組織心理学者のカール・ワイク氏が生み出し発展させてきた理論 |
林
『世界標準の経営理論』を社会に実装することによって、所属組織やそれぞれの立場を超えた「越境での対話」が可能になります。それが、日本中のいろんな場所で起こることによって、ムーブメントになっていくことで、日本全体の経営がレベルアップし続けることができる。そうなったら、エキサイティングだなと思っています。私も実際に、「越境読書会」という取り組みを行うことによって、『世界標準の経営理論』には、そんなパワーがあると手応えを感じています。 |
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入山
昨今の新型コロナウイルス感染症の影響を見てもわかるように、これからの世界は常にさまざまな変化にさらされることになります。今後、同じようなことが起きないとは言えませんし、未来を正確に予測することは誰にもできません。ビジネスパーソンはそんな正解のない不確実な世界で、進むべき道を自ら考え、決めていかなければならない。これまでのように、フレームワークに思考を閉じ込め、行動の指針とすることは選択肢を狭めてしまうことになります。正解のない世界では、思考を閉じるよりも、広げていくことが大事です。だからこそ、自らの意思決定を支える「思考の軸」として、他者と議論するための「言語」として、科学的根拠を持った理論の存在が重要になるんです。 |
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林
私は、『世界標準の経営理論』を自分の経験と照らして腹落ちさせて味わうことで、思考が解放されていく感覚を持ちました。その感覚はとても大事なものだと思っています。ビジネスの場面で起こる現象が、なぜそうなるのかを知ることで、さまざまな視点から物事を考えられるようになります。思考の軸ができると、流行り言葉に安易に流されることなく、地に足をつけて、前よりも広く深く考える課題に対峙することができますね。 |
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入山
経営理論を知っていただくことはもちろんですが、それを周囲で議論していただきたいですよね。まずは、部下の方でも、友達でも構わないですから。その対象が社内のさまざまな立場の人、違う業界の人と広がっていけば、自ずと思考が解放され、多くの知が生まれていくでしょう。 |
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林
『世界標準の経営理論』を使った所属組織を超えた対話の機会をつくりたいと思っています。今からワクワクしているんです。そこで、どのような熱い議論が展開されるのか。どのような化学反応が生まれるのか。言うなれば、知の総合格闘技といったところでしょうか。結果として、経営を革新し、日本をレベルアップさせる「知のうねり」をつくる。熱いムーブメントを巻き起こる社会になれば、もっとビジネスの舞台が最高にエキサイティングになると思います。 |